歩行記録 H27-8-28(金)
歩行時間:6時間25分 休憩時間:2時間20分 延時間:8時間45分
出発時刻:9時10分 到着時刻:17時55分
歩 数: 40、334歩(推定距離30.2km) GPS距離29.0km
行程表
内海駅 0:45> 48番 0:25> 49番 0:15> 56番 0:05> 52番 0:05> 53番 0:05> 51番 0:05> 50番 0:20>
55番 0:30> 57番 1:35> 番外 0:05 58番 0:05> 59番 0:20> 60番 0:30> 61番 0:15> 62番 0:25>
63番 0:10> 65番 0:10> 64番 0:15> 常滑駅
60番安楽寺(回向文)
放置されている西瓜 安楽寺遠望
次の60番安楽寺(あんらくじ)も旧道と思しき道を北に向かう。高台に向かい歩いて行くと右手に安楽寺を示した標識があった。
手持ちの地図ではまだ先にある中学校の所を右折するようになっていたが、一先ず標識に従って早めの右折をした。
畑に西瓜が放置してある。手ごろな大きさになっているがどうしたのだろう。病気なのか、甘味が無いのか。折角ここまで育てた
のに口惜しいだろうに、どうせなら西瓜割にでも使って憂さ晴らしでもしたらいいのに。
下の方に寺が見えてきた。きっと安楽寺だろう。どうやら標識は車用で歩き遍路には遠回りになったようだ。
土管の土留 安楽寺
石垣の代わりに土管が使われているのは如何にも常滑らしい眺めだ。石垣と土管を比べるとどちらの方が安いのだろう。
生産地だから格安に土管が手に入るのか、それとも一部不良品の土管を使っているのか。そんな罰当たりの想像は良くないが
土管の裏の一部が欠けていてもどうと言った事は無い。それなら私ならきっとそうする。
本堂と弘法堂が並んで建つ配置は境内の広さが増す感じで、間にある層搭や大師像がこの二坊を分けているようにも見える。
境内には石や砂紋を配した禅宗風の庭園が美しく整えられていた。
安楽寺本堂 弘法堂
安楽寺の本尊阿弥陀如来は行基菩薩作と伝えられ、今川と織田の戦火から守るため次の札所高讃寺から移されたという。
ここで不思議なのはなぜ戦火が治まったら阿弥陀如来を元の高讃寺へ戻さなかったかだ。高讃寺が廃寺になったのなら
ともかく現在も札所として残っているのだから。
弘法堂の前には久し振りに幟旗が立っていた。しかし幟の文字は “南無弘法大師” で、今まだ多くあった “知多四国霊場”
ではない。この違いは何だろう。
修行大師 石 仏 オビンズル様
修行大師像の台座に 「願わくば此の功徳を以て 普く一切に及ぼし 我等と衆生と皆共に 仏道を成ぜん」 の回向文が刻まれて
いた。この回向文とは読経の終わりに唱える短い経(?)なので、四国霊場を廻ったとき高祖宝号と共に最初に覚えたることが
出来た。意味? 習わぬ経を読むです。
安置されていた石仏の中心は多分青面金剛だろう。その前に水瓶を手にした小さな石仏達は観音さんだろうか。
下に置いてある卵形の石は何だろう? 分からない。
ここのオビンズル様は見慣れ風体のものだった。でも撫ぜ擦る気は起きない。
59番玉泉寺から60番安楽寺への道
歩行時間:6時間25分 休憩時間:2時間20分 延時間:8時間45分
出発時刻:9時10分 到着時刻:17時55分
歩 数: 40、334歩(推定距離30.2km) GPS距離29.0km
行程表
内海駅 0:45> 48番 0:25> 49番 0:15> 56番 0:05> 52番 0:05> 53番 0:05> 51番 0:05> 50番 0:20>
55番 0:30> 57番 1:35> 番外 0:05 58番 0:05> 59番 0:20> 60番 0:30> 61番 0:15> 62番 0:25>
63番 0:10> 65番 0:10> 64番 0:15> 常滑駅
60番安楽寺(回向文)
放置されている西瓜 安楽寺遠望
次の60番安楽寺(あんらくじ)も旧道と思しき道を北に向かう。高台に向かい歩いて行くと右手に安楽寺を示した標識があった。
手持ちの地図ではまだ先にある中学校の所を右折するようになっていたが、一先ず標識に従って早めの右折をした。
畑に西瓜が放置してある。手ごろな大きさになっているがどうしたのだろう。病気なのか、甘味が無いのか。折角ここまで育てた
のに口惜しいだろうに、どうせなら西瓜割にでも使って憂さ晴らしでもしたらいいのに。
下の方に寺が見えてきた。きっと安楽寺だろう。どうやら標識は車用で歩き遍路には遠回りになったようだ。
土管の土留 安楽寺
石垣の代わりに土管が使われているのは如何にも常滑らしい眺めだ。石垣と土管を比べるとどちらの方が安いのだろう。
生産地だから格安に土管が手に入るのか、それとも一部不良品の土管を使っているのか。そんな罰当たりの想像は良くないが
土管の裏の一部が欠けていてもどうと言った事は無い。それなら私ならきっとそうする。
本堂と弘法堂が並んで建つ配置は境内の広さが増す感じで、間にある層搭や大師像がこの二坊を分けているようにも見える。
境内には石や砂紋を配した禅宗風の庭園が美しく整えられていた。
安楽寺本堂 弘法堂
安楽寺の本尊阿弥陀如来は行基菩薩作と伝えられ、今川と織田の戦火から守るため次の札所高讃寺から移されたという。
ここで不思議なのはなぜ戦火が治まったら阿弥陀如来を元の高讃寺へ戻さなかったかだ。高讃寺が廃寺になったのなら
ともかく現在も札所として残っているのだから。
弘法堂の前には久し振りに幟旗が立っていた。しかし幟の文字は “南無弘法大師” で、今まだ多くあった “知多四国霊場”
ではない。この違いは何だろう。
修行大師 石 仏 オビンズル様
修行大師像の台座に 「願わくば此の功徳を以て 普く一切に及ぼし 我等と衆生と皆共に 仏道を成ぜん」 の回向文が刻まれて
いた。この回向文とは読経の終わりに唱える短い経(?)なので、四国霊場を廻ったとき高祖宝号と共に最初に覚えたることが
出来た。意味? 習わぬ経を読むです。
安置されていた石仏の中心は多分青面金剛だろう。その前に水瓶を手にした小さな石仏達は観音さんだろうか。
下に置いてある卵形の石は何だろう? 分からない。
ここのオビンズル様は見慣れ風体のものだった。でも撫ぜ擦る気は起きない。
59番玉泉寺から60番安楽寺への道
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