歩行記録 H27-5-17(日)
歩行時間:7時間35分 休憩時間:1時間05分 延時間:8時間40分
出発時刻:7時00分 到着時刻:15時40分
歩 数: 40、328歩(推定距離36.3km) GPS距離35.1km
行程表
興津駅 0:50> 薩埵峠 2:15> 送電線展望所 0:45> 浜石岳 0:25> 下町屋分岐 0:25> 陣場山(狼煙台) 0:40>
番古農道出合 0:25> 下町屋バス停 0:30> 立花吊橋 0:35> 承元寺緑地 0:45> 興津駅
阿津羅沢コース観歩記
「歩行禁止」 崩壊現場?
浜石山頂直下の登山道入口がテープで封鎖され 「坂本&阿津羅沢 崩壊により 歩行禁止」 の貼紙がしてあった。
阿津羅沢は聞いた事のない地名だが、坂本はこれから歩く静清庵自然歩道の案内板にあった地名だ。とすると自然歩道は
歩けないという事か? だが登山道入口が封鎖されているという事は、銚子口の滝に下る一般ハイキングコースも通行止
なのだから、まだ歩いた事のない自然歩道が通行止めと云う事ではなさそうだ。
兎も角行ける所まで行って危険なら引返せばよい、と封鎖テープを潜って先に進みました。
林の中の登山道が林道に出ると、林道の先が土砂に埋まっていた。でも土砂の量は左程の事は無く、既に踏み跡もあり
何の危険性も感じない。上を見ると赤土が剥き出しになっているが崩れてくる様子はない。
ここが通行禁止の崩壊現場なのだろうか? 貼紙も何もないのでハッキリしないが多分違うだろう。
分岐点 静清庵自然歩道の案内板
崩壊した所から林道を3分も歩くと、昨夜写真で確認した分岐点と静清庵自然歩道の案内板があった。
ここまで来れたという事は、この先の自然歩道には崩壊ヶ所は無いという事だと一安心。
一般コースの銚子口の滝は案内板の下に向かう槍野(うつぎの)方面で、これから行く自然歩道は分岐点からUターンする
所で坂本と陣場山方面に分かれているようだ。坂本も陣場山もどこにあるか知らないが、下る場所は興津川に出たいので
案内板の左にカーブしている陣場山方面に行く事にしてある。
陣場山分岐の封鎖 アジサイ?
自然歩道の入口は封鎖されていないので多分大丈夫だろうし、駄目なら戻ればよい、と入った道は思っていたより踏み跡も
シッカリしている道で、分かりやすい案内板も要所要所にあるので迷う心配はない。
浜石からの東側のメインルートは銚子口の滝だと思っていたが、このルートも大分歩かれているようだった。
入口から10分ほど行った分岐点にまた封鎖ヵ所があった。何の封鎖案内も無いが分岐に建つ案内板は、封鎖方向が坂本に
なっている。この先が浜石山頂にあった封鎖案内の “坂本” なのか? 少し腑に落ちないがマーこれから向かう陣場山方面が
大丈夫ならそれでいい。
前方の立木の影に白っぽい物が動いていた。何だろうと一瞬ストックを持つ手に力が入り、歩く速度も遅くなった。
どうやら人間のようだと分かったとき木陰から出てきた人は、歳の頃なら30代、普段着姿で靴は運動靴、ザックは柔らかそうな
布製ザックで山用ではなさそうだ。木陰にいたのは立木に目印の紐を結んでいたので隠れていたわけではない。
後方を見たが連れは居なそうだ。「こんにちは」 と挨拶を交わし行先を尋ねると浜石だと言い、「この山は結構厳しいですね」 と
言う。私が「凄いですね、こんな所を一人で歩くなんて」 と感心すると「冒険と言うかチャレンジをしてみたくて来てみた。」 と言う。
と云っても先のことは心配してないのか、浜石までどの位かかるかも、道の状態も聞かれなかった。
山で会う単独の女性の多くは、私の格好より本格的で、如何にも山をやってますと云った感じの人が多いが、この女性の格好は
それこそ家の近くを歩いているような姿だった。
この人が本格的に山を歩きだせば、すぐに山ガール、いや恰好だけではない“山おんな”になりそうな感じがした。
のろし台跡 陣場山標識
「武田信玄の駿河進攻に際して、久能城から武田の本陣へ狼煙で情報伝達を行うため、標高640mのここ陣場山に砦を築き
久能城-陣場山-身延山と結び、駿河の情報を数刻後に甲斐に伝わるようにした。そのためこの一線を結ぶ下のには煙を
出す事を禁じ、それを犯した者は厳罰に処した」 と狼煙台の石碑にはそんな事が記されていた。
ただ現在の陣場山は杉林の中の小高い場所で、景色は一切は見えず、どちらが久能城か身延山か分からない状態だ。
それに途中には狼煙を遮る山もあるだろうし、ここから身延山までの直線距離は30kmを越している。例え見通しが利いたとしても
狼煙の煙が見えたとは思えない。きっと間には幾つかの狼煙台があったのだと思う。
廃屋(休憩所跡?) 廃道
途中に倒壊している小屋があったが、農作業小屋にしては辺りには山林ばかりで畑など見当たらない。なんの小屋なのか
不思議だったが、後で見た登山口の案内板に休憩所とあったので、多分これが休憩所跡なのだろう。
しかし案内板には小屋の横に案内看板とも書いてあったが、それは見当たらなかった。
道を下って行くと左沢方向を指して 「道路崩壊通行禁止」 とか 「浜石岳 ⇒ × 行けません」 とか 「落居の段 いけません」
などの表示がある。どうやら以前は陣場山経由だけでなく、別の浜石岳に登るコースがあったようだ。
最後にあったそのコースの入口らしき所には 「浜石岳登山の皆さんへ この先道路崩壊のため浜石岳登山の方は、陣場山を
経由して登ってください」 とあった。踏み跡は今も残っているが、最近歩いた形跡はない。
こんな物もあったが、この道も朝歩いた薩埵峠から浜石岳への稜線と同じで景色は一切見えません。
ただ静かな道であることは間違いないので、浜石からの下りで車道歩きが嫌な人には向いていると思います。
やっと農道への標識があった ミカンの木(後ろは浜石岳の稜線)
案内板に番古1.5kmと番古(近道)1.4kmと書いてある。100mの違いなら正規の道を行こうかと思ったが、そちらは急に道が
細くなりザワザワした感じになっている。一方近道の方は下り坂で、細いながらも舗装された道になっていて周りはミカン畑だった。
これを見て正規な道なんて事はすぐ忘れ近道を下ってしまった。
細い道は自然と農道になり、さらにその下で別の農道に合流した。さっきミカン畑の上の標識は直進する方向が番古に行く正規の
道だったので、合流した所を右折しようとしたが、草の中の案内板に気が付いた。
フー良かった! 番古への道は右折の下る道ではなく、左折の少し登りの道だった。危ない、危ない。
阿津羅沢コース案内板
20m程でまた農道は合流するが、そこにはいま歩いて来た道の分かりやすい案内板が建っていた。
歩いた登山道は 「阿津羅沢(あつらざわ)コース」 とあり、途中には休憩所と案内看板の表示がある。だが実際には休憩所も
案内看板も無かったが、きっと倒壊していた小屋が休憩所だったのだろう。
更に上には654mの陣場山の表記もある。確か狼煙台の石碑には640mとあったが細かい事は言いっこ無しだ。
でもやはり気になって調べてみると、地理院の地形図には654mのピークの記載があるが、登山道はそこを通らず沢を辿る
道になっていた。(前回アップした概略図も間違っていたので訂正しておきました)
阿津羅沢コースは進入禁止に 崩壊している阿津羅沢 倒木が吊橋に(通りません)
案内板の近くにこんな標識もある。貼紙は 「阿津羅沢コースは通行できません」 と書いてある。
私が歩いて来た道は大きな案内板によれば阿津羅沢コースに間違いはない。だがこの標識だと阿津羅沢コースは通行禁止に。
これは役所が通行禁止表示の撤去漏れかとも思えるが、イヤイヤそうではなく、ここの登山道は以前は沢に沿った道だったが
それが崩壊などで通行不能となり、陣場山経由の尾根に新しい登山道を付けたのではないか。その時コース名を 「阿津羅沢
尾根コース」 とでもしておけば良かったが、従来の 「阿津羅沢コース」 をそのまま使ったので若干の混乱を招いたのだろう。
尤もこんな疑問を感じるのは私のようなヘソ曲りだけだろうが。
阿津羅沢は中々の暴れ川のようで、崩壊ヶ所が彼方此方にある。中でも圧巻なのは崩れて表面に現れたのが赤土ではなく
岩壁になっている所だ。私の歩いているこの辺りの低山では、こんな岩壁を見る事は少ない。しかも沢には岩床や大きな石が
ゴロゴロしているのを見ると、浜石岳は岩山かと思いたくなる。
途中に掛かっていた吊橋に倒木が寄りかかっていた。幸い渡る吊橋でなくて良かったが、若しここを渡らなければならないなら
どうしただろうか。
桑の実 阿津羅沢2号橋 コース案内
農道が阿津羅沢と興津川を渡ると旧2号線の身延街道に出合った。その合流部には阿津羅沢コースの案内板がある。
そうかコース名を変更するといろいろ面倒な事が増えるのだろう。
歩行時間:7時間35分 休憩時間:1時間05分 延時間:8時間40分
出発時刻:7時00分 到着時刻:15時40分
歩 数: 40、328歩(推定距離36.3km) GPS距離35.1km
行程表
興津駅 0:50> 薩埵峠 2:15> 送電線展望所 0:45> 浜石岳 0:25> 下町屋分岐 0:25> 陣場山(狼煙台) 0:40>
番古農道出合 0:25> 下町屋バス停 0:30> 立花吊橋 0:35> 承元寺緑地 0:45> 興津駅
阿津羅沢コース観歩記
「歩行禁止」 崩壊現場?
浜石山頂直下の登山道入口がテープで封鎖され 「坂本&阿津羅沢 崩壊により 歩行禁止」 の貼紙がしてあった。
阿津羅沢は聞いた事のない地名だが、坂本はこれから歩く静清庵自然歩道の案内板にあった地名だ。とすると自然歩道は
歩けないという事か? だが登山道入口が封鎖されているという事は、銚子口の滝に下る一般ハイキングコースも通行止
なのだから、まだ歩いた事のない自然歩道が通行止めと云う事ではなさそうだ。
兎も角行ける所まで行って危険なら引返せばよい、と封鎖テープを潜って先に進みました。
林の中の登山道が林道に出ると、林道の先が土砂に埋まっていた。でも土砂の量は左程の事は無く、既に踏み跡もあり
何の危険性も感じない。上を見ると赤土が剥き出しになっているが崩れてくる様子はない。
ここが通行禁止の崩壊現場なのだろうか? 貼紙も何もないのでハッキリしないが多分違うだろう。
分岐点 静清庵自然歩道の案内板
崩壊した所から林道を3分も歩くと、昨夜写真で確認した分岐点と静清庵自然歩道の案内板があった。
ここまで来れたという事は、この先の自然歩道には崩壊ヶ所は無いという事だと一安心。
一般コースの銚子口の滝は案内板の下に向かう槍野(うつぎの)方面で、これから行く自然歩道は分岐点からUターンする
所で坂本と陣場山方面に分かれているようだ。坂本も陣場山もどこにあるか知らないが、下る場所は興津川に出たいので
案内板の左にカーブしている陣場山方面に行く事にしてある。
陣場山分岐の封鎖 アジサイ?
自然歩道の入口は封鎖されていないので多分大丈夫だろうし、駄目なら戻ればよい、と入った道は思っていたより踏み跡も
シッカリしている道で、分かりやすい案内板も要所要所にあるので迷う心配はない。
浜石からの東側のメインルートは銚子口の滝だと思っていたが、このルートも大分歩かれているようだった。
入口から10分ほど行った分岐点にまた封鎖ヵ所があった。何の封鎖案内も無いが分岐に建つ案内板は、封鎖方向が坂本に
なっている。この先が浜石山頂にあった封鎖案内の “坂本” なのか? 少し腑に落ちないがマーこれから向かう陣場山方面が
大丈夫ならそれでいい。
前方の立木の影に白っぽい物が動いていた。何だろうと一瞬ストックを持つ手に力が入り、歩く速度も遅くなった。
どうやら人間のようだと分かったとき木陰から出てきた人は、歳の頃なら30代、普段着姿で靴は運動靴、ザックは柔らかそうな
布製ザックで山用ではなさそうだ。木陰にいたのは立木に目印の紐を結んでいたので隠れていたわけではない。
後方を見たが連れは居なそうだ。「こんにちは」 と挨拶を交わし行先を尋ねると浜石だと言い、「この山は結構厳しいですね」 と
言う。私が「凄いですね、こんな所を一人で歩くなんて」 と感心すると「冒険と言うかチャレンジをしてみたくて来てみた。」 と言う。
と云っても先のことは心配してないのか、浜石までどの位かかるかも、道の状態も聞かれなかった。
山で会う単独の女性の多くは、私の格好より本格的で、如何にも山をやってますと云った感じの人が多いが、この女性の格好は
それこそ家の近くを歩いているような姿だった。
この人が本格的に山を歩きだせば、すぐに山ガール、いや恰好だけではない“山おんな”になりそうな感じがした。
のろし台跡 陣場山標識
「武田信玄の駿河進攻に際して、久能城から武田の本陣へ狼煙で情報伝達を行うため、標高640mのここ陣場山に砦を築き
久能城-陣場山-身延山と結び、駿河の情報を数刻後に甲斐に伝わるようにした。そのためこの一線を結ぶ下のには煙を
出す事を禁じ、それを犯した者は厳罰に処した」 と狼煙台の石碑にはそんな事が記されていた。
ただ現在の陣場山は杉林の中の小高い場所で、景色は一切は見えず、どちらが久能城か身延山か分からない状態だ。
それに途中には狼煙を遮る山もあるだろうし、ここから身延山までの直線距離は30kmを越している。例え見通しが利いたとしても
狼煙の煙が見えたとは思えない。きっと間には幾つかの狼煙台があったのだと思う。
廃屋(休憩所跡?) 廃道
途中に倒壊している小屋があったが、農作業小屋にしては辺りには山林ばかりで畑など見当たらない。なんの小屋なのか
不思議だったが、後で見た登山口の案内板に休憩所とあったので、多分これが休憩所跡なのだろう。
しかし案内板には小屋の横に案内看板とも書いてあったが、それは見当たらなかった。
道を下って行くと左沢方向を指して 「道路崩壊通行禁止」 とか 「浜石岳 ⇒ × 行けません」 とか 「落居の段 いけません」
などの表示がある。どうやら以前は陣場山経由だけでなく、別の浜石岳に登るコースがあったようだ。
最後にあったそのコースの入口らしき所には 「浜石岳登山の皆さんへ この先道路崩壊のため浜石岳登山の方は、陣場山を
経由して登ってください」 とあった。踏み跡は今も残っているが、最近歩いた形跡はない。
こんな物もあったが、この道も朝歩いた薩埵峠から浜石岳への稜線と同じで景色は一切見えません。
ただ静かな道であることは間違いないので、浜石からの下りで車道歩きが嫌な人には向いていると思います。
やっと農道への標識があった ミカンの木(後ろは浜石岳の稜線)
案内板に番古1.5kmと番古(近道)1.4kmと書いてある。100mの違いなら正規の道を行こうかと思ったが、そちらは急に道が
細くなりザワザワした感じになっている。一方近道の方は下り坂で、細いながらも舗装された道になっていて周りはミカン畑だった。
これを見て正規な道なんて事はすぐ忘れ近道を下ってしまった。
細い道は自然と農道になり、さらにその下で別の農道に合流した。さっきミカン畑の上の標識は直進する方向が番古に行く正規の
道だったので、合流した所を右折しようとしたが、草の中の案内板に気が付いた。
フー良かった! 番古への道は右折の下る道ではなく、左折の少し登りの道だった。危ない、危ない。
阿津羅沢コース案内板
20m程でまた農道は合流するが、そこにはいま歩いて来た道の分かりやすい案内板が建っていた。
歩いた登山道は 「阿津羅沢(あつらざわ)コース」 とあり、途中には休憩所と案内看板の表示がある。だが実際には休憩所も
案内看板も無かったが、きっと倒壊していた小屋が休憩所だったのだろう。
更に上には654mの陣場山の表記もある。確か狼煙台の石碑には640mとあったが細かい事は言いっこ無しだ。
でもやはり気になって調べてみると、地理院の地形図には654mのピークの記載があるが、登山道はそこを通らず沢を辿る
道になっていた。(前回アップした概略図も間違っていたので訂正しておきました)
阿津羅沢コースは進入禁止に 崩壊している阿津羅沢 倒木が吊橋に(通りません)
案内板の近くにこんな標識もある。貼紙は 「阿津羅沢コースは通行できません」 と書いてある。
私が歩いて来た道は大きな案内板によれば阿津羅沢コースに間違いはない。だがこの標識だと阿津羅沢コースは通行禁止に。
これは役所が通行禁止表示の撤去漏れかとも思えるが、イヤイヤそうではなく、ここの登山道は以前は沢に沿った道だったが
それが崩壊などで通行不能となり、陣場山経由の尾根に新しい登山道を付けたのではないか。その時コース名を 「阿津羅沢
尾根コース」 とでもしておけば良かったが、従来の 「阿津羅沢コース」 をそのまま使ったので若干の混乱を招いたのだろう。
尤もこんな疑問を感じるのは私のようなヘソ曲りだけだろうが。
阿津羅沢は中々の暴れ川のようで、崩壊ヶ所が彼方此方にある。中でも圧巻なのは崩れて表面に現れたのが赤土ではなく
岩壁になっている所だ。私の歩いているこの辺りの低山では、こんな岩壁を見る事は少ない。しかも沢には岩床や大きな石が
ゴロゴロしているのを見ると、浜石岳は岩山かと思いたくなる。
途中に掛かっていた吊橋に倒木が寄りかかっていた。幸い渡る吊橋でなくて良かったが、若しここを渡らなければならないなら
どうしただろうか。
桑の実 阿津羅沢2号橋 コース案内
農道が阿津羅沢と興津川を渡ると旧2号線の身延街道に出合った。その合流部には阿津羅沢コースの案内板がある。
そうかコース名を変更するといろいろ面倒な事が増えるのだろう。
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