アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

何を守ろうとしているのか

2007年10月15日 22時35分02秒 | Weblog
 新しい歴史教科書を作る会の藤岡氏が血相を変えて沖縄戦での軍の関与はなかったとまくしたてる。彼は何を守ろうとしているのか。沖縄の人の声を聞かないで、彼に歴史の何が語れるのか。

 被爆、C型肝炎、水俣病等々々に苦しむ人たちが多くいる、国は何故歩み寄らないのだ。シャッターを下ろすのは何故だ。

 政治家は利益とは無縁な人間がいい。何のために、誰のためにしているのか。ぼくたちはその辺を見極めないと大変なことになるように思う。「1円の領収書を出す店があるのか!」と言った政治家は次の選挙では当選させてほしくない。アホだ。

夜明の散歩

2007年10月15日 20時42分31秒 | Weblog
 もしかすると恋人時代なら「散歩に行かないか」と耳元に囁けば、娘達の母親はすぐに起きるかもしれない。しかし、そっと起きて、ドアを閉める音、階段の明かりのスイッチの音にも気をつけて、靴下をはいて、散歩用の靴をはいて外に出る。長袖でないと寒い。今の彼女はもう起きて、ぼくを迎えてくれる。尻尾を振ってくれるのが嬉しい。
 彼女とは約2キロ歩く。稲刈りが終わった田んぼに行くと、彼女を放す。嬉しそうに走り回る。何かの気配があると向っていく。人間は弱くて、臆病だからここまで強くなったと思う瞬間。
 ぼくは胴回りを気遣った歩き方をする。ほぼ倍の歩幅で胴をひねりながら歩く。かなりキツイ。体力が落ちている。
 東の空は毎日表情が違う。雲の形によって色が違う。毎朝の新鮮な感動。
 それにしても犬の鼻の好奇心はすごいな。いつも歩く道を科学者のように探求しながら歩く。その姿勢(習性)には教えられる。
 自分になれて、自分の感触と考えに出会える。他に人がいない夜明だからいいのかもしれない。

憶えていない

2007年10月09日 20時01分04秒 | Weblog
 Tシャツのまま寝て、布団も何も要らない。10月の今頃っていつもそうだったのかな。
 半袖シャツで仕事に行く、長袖に替えるのはいつ頃だったか。
 何も憶えていない。毎年のことなのに、思い出せない。その記憶の悪さが、諸悪の根源なのか。
 悩んでも仕方ない。忘れるからこそ悩まない。そう考えるしかない。

犬と猫の警告

2007年10月07日 16時20分59秒 | Weblog
 犬を飼っている。子どもが学校の帰りに拾った子猫は住居をオヤジの家にしながら、ウチに食べに来る。犬と猫の共通の食事の一つがニボシ。ところが二匹とも頭だけを残す。

 痛風予備軍ですよ、と、医者に言われた。そして、その医者が「ニボシを頭から食べますか?」と訊かれ、どちらかといえば、そうです、と、答えたら、そういう人に結構痛風多いんです、だと。

 犬と猫は、きれいに頭だけ残して食べる。あいつら、好きなだけ動き回ってる生活なのに、そこまで健康のことを考えているのか。侮れない。

研修で教育も学校も変わらない

2007年10月06日 17時41分04秒 | Weblog
 時々受けてよかったと思う研修がある。その先生のもとで講義を受けている大学生に嫉妬することもある。そういう研修が増えればいいと思う。

 しかし、研修だけで教育や学校が変わるとは思わない。同時に学校の環境作りをしないと意味はない。教育再生会議の無責任な連中は「授業を増やせ」というけれど、ならば同時に学校環境を学習に適したものにと誰か言ったか? だからあいつらはダメなんだ。学校の全ての教室にエアコンをつければ、だから授業を増やしましょうというのならまだわかるが。
 わからないのは「再生」というけれど、何を再生するのかね。新生ならまだわかる。再生だから懐古趣味連中を集め、それについていけないヤンキーはやめたということか。

 研修だけで変えようとする安易な方法が問題なのだ。それは問題を全て現場に押し付けているだけ。文科省や教委こそ槍玉筆頭ではないのか。

 文科省、教委、そして管理職。ここを変えれば学校はグンと変わる。再生会議はそこには触れずに現場だけを問題にする。再生会議の連中に研修を!


 

下らない研修はゴミ以下

2007年10月05日 22時10分52秒 | Weblog
 研修はそれを受ける人間が「受けてよかった」と思うものでないといけない。それは多分、企画する人間も「こんな研修を受けたい」と思うものであるはずだ。もし、その企画者が健康な精神の持ち主であるならば。
 ところがそうではない。その当たり前の条件を満たしていないからだ。ぼくは、企画する側に100パーセント問題があると考える。
 数年やっておる研修がある。その研修の最後にはアンケートをとる。ところが数年目の研修を受けてビックリした。アンケートの結果を受けて、改善したとは思えないのだ。多分改善しようという気持ちはないのだろう。
 ここで、企画者側のボヤキがある。研修だけではなく、他の仕事もあり、メチャクチャ忙しいのだ、と。しかし、それは通らないことは本人もわかっている。わかっていながら、下らない研修をしているということなのだ、結局は。
 

下らない教員研修について考える

2007年10月03日 22時21分27秒 | Weblog
 学校経営という研修を受けた。
 生徒、保護者、地域等々の学校への希望とかを考えながら、学校の目標を考える、という、あまりに大雑把すぎるが、そんなもんだ。それを違う学校の連中と考えるのが研修なのだ。だったら、講師を務める県の職員が各学校に来てやりゃあいいのに、何故こんな実の効果が上がらないことをするのか。100名近い人間の旅費より、学校に講師を派遣する方がはるかに安いし、効果もある。
 「私達はしっかりと教師を研修させてます」というそれだけのための研修の何と多いことか。お前らがまず研修についての研修をしてから企画しろと思う。自分達のアリバイ作りの研修は勘弁してもらいたいのだ。

秋ですね。介護問題でも。

2007年10月01日 17時30分50秒 | Weblog
 突然秋らしくなって、朝方はちょっと寒い。

 学校に卒業生が二人来た。一人は介護の仕事をしいて、もう一人は彼女を送り迎えするボランティア役の卒業生。
 介護現場は大変みたいだ。大変な割には給料は安い。家族のしないことまでしているのに、と、思う。その辺のイライラがあるのか、介護を受ける人の身体のあちこちにつねられたようなアザがあちこちにあるという。卒業生は「写メして上役に見せたら、その人は夜勤から外された」と。また、お年寄りが楽しみにしているオヤツもひどくて、お金払っているんだからとこれも講義したら、変化が見られたという。
 介護は今後受容は増えると思うが、現場だけに任せるのではなく、可能な限り家族が訪問して会って、話すことをした方がいいと思う。このまま行くと、とんでもない事件になる可能性もあるように思う。目にはさやかに見えねども、だ。