アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

物差しを上手に使う

2006年09月03日 16時58分57秒 | Weblog
 以前、森林ボランティアで山に登って木を植えた。この木が一人前になる(一木前の方が正しいのかナ?)にはどれくらいかかりますかと訊ねたら、250年という答えだった。ぼくはそこで特長の物差しを手に入れた。

 ぼく達が持っている物差しは今日、一週間、一ヶ月程度。
 せめて100年の物差しを持つべきではないか。その物差しで計った上で、短い物差しで計る。次期首相は憲法改正だの教育改革だのアドバルーンをあげているけれど、今国民が求めているのは生活不安の解消だろう。空虚なんだな。
 政治家は信用できない。自分の立場だけで考え、行動するからだ。その政治家に教育現場は右往左往じゃないか。
 自分の物差しで考え、判断して行動するしかない。文部科学省や県には余裕がなく、真に大切なことは何かを考える物差しはない。官僚や担当者の「やってます」というアリバイつくりだけだけだ。今まで何か画期的、活気的なものが出たことなんかない。悪くしているだけだ。学校は悪くなっている。何故か、彼らには生徒一人の物差しがないからだ。
 教師の大半は諦めているように思う。「仕方ない」の言葉で納得させようとしている。こんな現場で何か新しいことができるのか?

 自分の物差しで考えることが肝心ではないか?
 

『素晴らしき日曜日』を観ろ!

2006年09月03日 12時27分39秒 | Weblog
 朝4時過ぎに起きて、黒沢明の映画を観た。最近、黒沢の昔の映画を週4本の割合で観ている。東京で働いている頃、デートで『影武者』を観たが、全然面白くなかった。何故海外で黒沢が評価されているのかわからなかった。『乱』で黒沢から離れた。今回黒沢を観ようと思ったのは、彼が評価されたのは昔のい作品からだから、一応観てみるか、と、子どもの付き合いでレンタル店に行って、ブラブラしている時に、彼の作品の棚を見たからだった。

 『素晴らしき日曜日』は黒沢は脚本にタッチしていない。貧しい若い二人の日曜日のデート(作品ではランデブーというフランス語を使っている)を描いている。貧しいからあれこれ出来ない。その二人から、男女の在り方の一つの形を考えることができる。セックス抜きのデート。だからこそ、愛情。現在の日本には死滅した形かもしれない。とにかく、いい映画です。