以前、森林ボランティアで山に登って木を植えた。この木が一人前になる(一木前の方が正しいのかナ?)にはどれくらいかかりますかと訊ねたら、250年という答えだった。ぼくはそこで特長の物差しを手に入れた。
ぼく達が持っている物差しは今日、一週間、一ヶ月程度。
せめて100年の物差しを持つべきではないか。その物差しで計った上で、短い物差しで計る。次期首相は憲法改正だの教育改革だのアドバルーンをあげているけれど、今国民が求めているのは生活不安の解消だろう。空虚なんだな。
政治家は信用できない。自分の立場だけで考え、行動するからだ。その政治家に教育現場は右往左往じゃないか。
自分の物差しで考え、判断して行動するしかない。文部科学省や県には余裕がなく、真に大切なことは何かを考える物差しはない。官僚や担当者の「やってます」というアリバイつくりだけだけだ。今まで何か画期的、活気的なものが出たことなんかない。悪くしているだけだ。学校は悪くなっている。何故か、彼らには生徒一人の物差しがないからだ。
教師の大半は諦めているように思う。「仕方ない」の言葉で納得させようとしている。こんな現場で何か新しいことができるのか?
自分の物差しで考えることが肝心ではないか?
ぼく達が持っている物差しは今日、一週間、一ヶ月程度。
せめて100年の物差しを持つべきではないか。その物差しで計った上で、短い物差しで計る。次期首相は憲法改正だの教育改革だのアドバルーンをあげているけれど、今国民が求めているのは生活不安の解消だろう。空虚なんだな。
政治家は信用できない。自分の立場だけで考え、行動するからだ。その政治家に教育現場は右往左往じゃないか。
自分の物差しで考え、判断して行動するしかない。文部科学省や県には余裕がなく、真に大切なことは何かを考える物差しはない。官僚や担当者の「やってます」というアリバイつくりだけだけだ。今まで何か画期的、活気的なものが出たことなんかない。悪くしているだけだ。学校は悪くなっている。何故か、彼らには生徒一人の物差しがないからだ。
教師の大半は諦めているように思う。「仕方ない」の言葉で納得させようとしている。こんな現場で何か新しいことができるのか?
自分の物差しで考えることが肝心ではないか?