みちのくの山野草

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戦時中の「雨ニモマケズ」の利用

2023-02-08 16:00:00 | 賢治渉猟
《コマクサ》(2019年6月26日撮影、岩手)

 さて、小倉豊文が、「雨ニモマケズ」の詩について、
 この詩に対する敗戦後の今一つの問題は、戦時中に国民の「国策」協力に利用されたのと同様、占領下の義務教育改革による新学制の文部省編纂中学校用国語教科書に採用されたことであろう。内容が変わっても権力体制に奉仕するのが官僚の常であるとはいえ、この採用に当たって原文に「一日ニ玄米四合ト……」とある所の「四」を「三」と変改したのは失笑以上の何物でもなかった。
             〈『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)149p〉
というように、歴史学者らしい手厳しい批判をしていることを前回知ったが、この「戦時中に国民の「国策」協力に利用された」には具体的にどんなことがあったのだろうか。そんな時にいの一番に思いつくのは、あの谷川徹三の講演だ。

 谷川徹三は昭和19年9月20日に東京女子大で「今日の心がまえ」という演題で講演し、賢治の童話に関して、
 創作者としての賢治の態度が生活者としての賢治の態度と一つになっている(『宮沢賢治の世界』(谷川徹三)27p)
とか、羅須地人協会時代の実践等に関して、
 とにかく実践した。その実践に意味があるのであります。その実践を、宮沢賢治は自分の生まれた地方の農民たちの友としてしたのであります。(同28p)
と谷川は論を展開し、そのようなものを元にして、
 「雨ニモマケズ」の詩は、賢者の文学としての賢治の文学の特色を、最も純粋に最も高い精神で打ち出したものであると私は考えております。
            〈『宮沢賢治の世界』(谷川徹三著、法政大学出版局、昭和45年)29p~〉
とか、
 「雨ニモマケズ」の精神、この精神をもしわれわれが本当に身に附けることができたならば、これに越した今日の心がまえはないと思っています。
            〈同32p〉
と聴衆に語った。
 なぜだったのだろうか。それはこの演題「今日の心がまえ」そのものが教えてくれそうだ。その頃の「今日」とは、昭和19年9月20日のことだから、戦局はますます悪化していって、国民生活が窮乏し、日に日に不安が増していったはずの頃だ。だから、タイトルが「今日の心がまえ」であったことは、是非は別として、ある意味当然だということに気付く。
 一方で、西田良子は次のように、
 「雨ニモマケズ」の中の「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ」という<忘己><無我>の精神や「慾ハナク」の言葉は戦時下の「滅私奉公」「欲しがりません勝つまでは」のスローガンと結びつけられて、訓話に利用されたりした。
           〈『宮澤賢治論』(西田良子著、桜楓社)166p〉
と断じていることを私は思い出す。そこで、西田のこの言を借りれば、
 谷川は、戦況が好転する見通しが立たないこの時期、「雨ニモマケズ」の精神を身に附けて、「滅私奉公」「欲しがりません勝つまでは」の精神で国民は耐え忍べと聴衆に訴えた。
と言い換えることもできそうだ。それは、終戦間近の谷川は海軍の思想懇談会に参加していたというから、私はなおさらにそう思えてしまう。
 つまり、この時期、この「欲しがりません勝つまでは」の精神を大政翼賛会は国民に染み込ませようとしていたから、谷川はこれに呼応したタイトル「今日の心がまえ」で講演したのではなかろうかと、そして谷川は大政翼賛会の意を体して、そのために賢治を、特にその作品「雨ニモマケズ」を利用しようとしたのではなかろか、とつい勘ぐってしまいたくなる。
 それは、谷川はこの講演で、
 私は「今日の心がまえ」という主題から非常に離れたようであります。主題に少しも触れなかったではないか、と思っておいでの方もあるかも知れない。しかし「雨ニモマケズ」の精神、この精神をもしわれわれが本当に身に附けることができたならば、これに越した今日の心がまえはないと私は思っています。今日の事態は、ともすると人を昂奮させます。しかし昂奮には今日への意味はないのであります。われわれは何か異常なことを一挙にしてなしたい、というような望みに今日ともすると駆られがちであります。しかし今の日本に真に必要なことは、われわれが先ず自分に最も手近な事を誠実に行うことであります。
            〈『宮沢賢治の世界』(谷川徹三著、法政大学出版局、昭和45年)31p〉
ということを聴衆に語っていることから、なおさらにそう勘ぐりたくなる。時局は敗色濃厚に見えるが、皆さんはお国の言うことに不平不満など抱かずに、「雨ニモマケズ」精神で日々を耐え忍んでゆくことが必要なのですと、谷川は語っていたと言えるのではなかろうか。
 ただその一方で、谷川には賢治を利用することに対しての一抹の不安や後ろめたさもおそらくあったであろうことは私にも想像できる。それは、谷川はこの講演の終盤で、
 …投稿者略…「雨ニモマケズ」はその彼の内心の祈りだったのであります。その心からすれば、このような詩でない詩が、今もなおこんな風に採り上げられていることを彼は喜ばなかったかも知れない。どんな人に対しても謙虚に対したというあの気質から、恥ずかしいことだと地下で思っているかも知れない。しかし、人類の精神的財産というものは、実はそういうふうにして作られるものであります。わたくしのものが公にせられ、秘密のものが明るみに出され、無意識なものの意味が意識される。そこに人類の意識的共有財産は初めて作られるのであります。私が恐らく宮沢賢治自身の意志に反しても、この詩の、また宮沢賢治の文学の今日における大きな意味を知って頂きたいと思うのは、その故であります。
              〈『宮沢賢治の世界』(谷川徹三著、法政大学出版局)38p~〉
と述べているからである。「彼は喜ばなかったかも知れない」とか「恥ずかしいことだと地下で思っているかも知れない」と述べているし、もちろん「」とは賢治のことだ。そして、「私が恐らく宮沢賢治自身の意志に反しても」と述べていたのは、賢治に対しての谷川の後ろめたさの表れであり、「私が恐らくこの詩の、また宮沢賢治の文学の今日における大きな意味を知って頂きたいと思う」は、その言い訳であると私には思えてならない。私流に言い方を換えてみれば、谷川にはためらいはありつつも、「雨ニモマケズ」、そして「生活者」としての賢治、はたまた賢治の「実践」は、戦意高揚のために、あるいは滅私奉公のために非常に利用しやすいことに気づき、谷川はそこに飛びついたのではなかろうか。
 しかも、戦意高揚に利用価値や効果が頗る大であることに気づいた谷川は戦後、戦争協力したことを反省するどころか逆に、今度はいわば「青少年善導教育」のために賢治を大いに利用したのではなかろうか、という疑念を私は最近抱きつつある。

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