みちのくの山野草

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『山荘の高村光太郎』おびただしい訪問者

2024-01-22 14:00:00 | 独居自炊の光太郎
《『山荘の高村光太郎』》(佐藤勝治著、現代社)

 では今回は、
   おびただしい訪問者(61p~)
という項からである。こんなことなどが述べられている。

 桜の花の咲く頃から、山口訪問者が日増にふえて来たのであります。花巻から電車で十五分、二ツ堰駅で降りて、徒歩約一時間の山口は、ハイキングコースとしても格好な所ですから、三三伍伍隊を組んで、ただ物珍しげに遊びに来る人たちも沢山ありました。

とか、

 先生は、訪ねて来るどのような人をも、やさしく招じられて、あの元気のいいお声で、愉快そうにお話をして下さいました。…投稿者略…一度でも先生を訪ねた方は、あの印象深い先生を、そのお話と共に、忘れることはできないでありましょ。殊にも小屋を辞して帰る時、門口まで送ってきた先生が、いつまでもいつまでも手を振って、サヨナラ、サヨナラといいながら立っていられた姿は、おそらく、どなたの心にもはっきりと焼き付けられているでありましょう。

といういことなどがである。そしてこのような光太郎の慇懃で優しい応対は、これまで調べてきて知った光太郎を彷彿とさせるものだ。
 ところが、以外に思ったのが次の記述だ。

 けれども高村先生としては、御自分を宮沢賢治と混同されることを、とても迷惑に思っていられました。自分の山に入ったのは、賢治が林中に暮らしたのとは、まるで意味が違うんだということを力説しておりました。先生は、すぐれた詩人としての賢治は尊敬するが、その考え方や行いには、必ずしも賛成ではないのです。玄米四合ト味噌ト少シノ野菜的生活は極力排斥されました。牛乳も、一合や二合ではなく、リットルの単位で飲まなければならないといい、大いに肉も食べ、からだを鍛えて、底力のある仕事をしなければならないと強調されました。
            〈『山荘の高村光太郎』(佐藤勝治著、現代社)64p〉
 というよりは、光太郎の食生活は賢治のような無謀なそれではなくて、理性的で合理的であったということを私は知って、光太郎と賢治の大きな差に気付いた。そして、賢治の下根子桜における自炊と、光太郎の山口における自炊とは全く違うものだということを光太郎自身が私に教えてくれた。そうか、だからこそ光太郎は、昭和26年にあの随筆集『獨居自炊』をわざわざ出版したのかと、私は腑に落ちた。

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 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

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