みちのくの山野草

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二 イーハトーヴの土地、賢治の土地(10番稿)

2018-12-14 10:00:00 | 賢治渉猟
《『宮澤賢治』(國分一太郎著、福村書店)》

 そして國分氏は、
 わたくしは、ずいぶん長々と、イーハトーヴの土地についてかきましたが、もしも、みなさんが、すこしでも、こんなことを知っていて、「グスコー・ブドリの伝記」だけでなく、その他の賢治の文学を読んだら、いままでよりも、すこしよけいに、彼の作品がわかるのではないかと思ったからです。
             〈『宮澤賢治』(國分一太郎著、福村書店)27p~〉
と述べていた。そのとおりだろうと私も思った。頭ごなしに「グスコーブドリの伝記」は「ありうべかりし賢治の自伝」とか、「ブドリはあり得べかりし賢治である」と言われるよりは、中学生たちにとっては國分氏の解説の方がはるかにわかりやすいだろう、と。まして、「ブドリはあり得べかりし賢治だ」と仰る方は、賢治がかならずやそうであるはずだという説得力のある根拠を示しているというよりは、自分の想いをそこに託しているだけだと私からは見えるのでなおさらにである。

 ただし、國分氏のこれに続く次の記述、
 有名な「雨ニモマケズ」の詩ばかりでなく、「稲作挿話」「野の師父」「和風は河谷いっぱいに吹く」「それでは計算いたしましょう」「稲熱病」「地主」「倒れかかった稲の間で」などの詩も、よく味わうことができるだろうと思うのです。
            〈同28p〉
に対して私は少し違和感を感じた。
 かつての私であれば、これらの中の特に「稲作挿話」「野の師父」「和風は河谷いっぱいに吹く」「それでは計算いたしましょう」についてはいたく感動したものだ。賢治と農民との交歓や賢治の稲作指導の凄さをひしひしと感じ取れたからだ。だから、國分氏の言うとおり、「ずいぶん長々と、イーハトーヴの土地についてかきましたが、もしも、みなさんが、すこしでも、こんなことを知って」いれば、私ももっと感動していたに違いない。
 ところが、「稲作挿話」「野の師父」「和風は河谷いっぱいに吹く」の3作品の中に、自然現象の虚構や推敲の際に収穫高の操作等があったことを私はある時点で知って<*1>しまってからは、以前のような感動はもはやそれらには感じられなくなった。それは、私がこれらの3作品にかつて私が感動したのはそこでは事実が詠われていると思っていたが故だったのだが、実はそうではなかったからである。つまり、これらの3作品には虚構等が含まれているので、字面がそのまま事実であったとは言えない、いわゆる還元ができないのである。そこで私は、この還元の可否について言及していない國分氏の先の記述に違和感を抱いたのだと思う。 

 そして実は、その「還元」絡みでこれらの作品を一番気に掛けていたのが賢治自身であろうと私は推察している。それは、賢治が後に、この篇みな/疲労時及病中の心ここになき手記なり/発表すべからず』と記して封印した詩稿群、いわゆる「10番稿」の中に、
   〔あすこの田はねえ〕(「稲作挿話」はその雑誌発表形)「野の師父」「和風は河谷いっぱいに吹く」
の3作品を入れているからである<*2>。
 これらの「下根子桜時代」に詠んだ、例えばN氏も、 
この時期の佳作「稲作挿話」や「和風は河谷いっぱいに吹く」などは、宮沢賢治の作品の詩作のある頂点を示すものである。
と高く評価しているこれら作品ではあるが、賢治自身は『疲労時及病中の心ここになき手記なり/発表すべからず』としている(が賢治の封印を破ってこれらの作品は公にされている)のである。
 そして、この『疲労時及病中の心ここになき手記なり/発表すべからず』という想いと、あの伊藤忠一に宛てた昭和5年3月10日付書簡の中の、
 殆んどあすこでは はじめからおしまひまで病気(こころもからだも)みたいなもので何とも済みませんでした。
             <『新校本宮澤賢治全集第十五巻 書簡篇』(筑摩書房)>
と詫びる賢治の自虐的とさえも言える「羅須地人協会時代」のほぼ全否定は通底していると思うので、「10番稿」について私たちはもっともっと賢治の想いを尊重せねばならないのだと私個人は考えている。

<*1:註>
⑴ 「稲作挿話」は〔あすこの田はねえ〕の雑誌発表形であり、〔あすこの田はねえ〕において賢治は収穫高の石高を増すという推敲をしている
⑵ 「野の師父」においては、「二千の施肥の設計を終へ」と詠まれているし、巷間賢治は当時二千枚の肥料設計をしたと言われているが、それはどうも単純に信ずる訳にはいかないということを私は知った。それは、「旧校本年譜」の責任者である堀尾青史がある対談で、
――従来の年譜にあって、今度消えたものに、――本来なら昭和三年に出てくることなのでしょうが――肥料設計のことなんです。多くのこれまでの年譜には〝肥料設計は二千枚を超えた〟とあって、――これは賢治の詩から採られたのでしょうが――これが今回なくなっている。私もこの段階で肥料設計を二千枚も具体的に出来るかな、という気がしているのですが。もしかしたら印刷用紙が二千枚なのか……。
堀尾 二千枚を超えたかもしれませんが、よくわかりません。田圃一枚ずつ作っていくのだったらそうなるかもしれません。これも正確にしにくいので迷った末、やめました。
           <『國文学 宮沢賢治』(昭和53年2月号、學灯社)より>
と答えていたことを知ったからだ。
⑶ 「和風は河谷いっぱいに吹く」については、〝「和風は河谷いっぱいに吹く」と虚構〟をご覧いただきたい。 
<*2:註> これに関連した、〝封印詩稿「野の師父」等の何故〟もご覧いただきたい。

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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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