みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

2429 賢治の肥料設計について少し(その7)

2011-11-20 08:00:00 | 賢治関連
「稲作挿話」における推敲の不安と危惧
 真壁仁の研究メモ「農業者としての宮澤さん」に次のようなことが書いてあった。
 「稲作挿話」といふ詩は農業指導者としての宮澤さんの優れた風格と技術とを吾々、にはつきりと示したいゝ詩である。一人の少年が自分でやった肥料が窒素過多に陥入って困てゐる。肥料は原則としてそれぞれの肥効の異ふ窒素燐酸加里の三要素を、適當の(といふのは土性土質地力に應じて異る)比率で施すのだが、それが窒素過重に偏したため稲が軟弱に育つて風雨に倒伏するおそれが見える。倒伏すれば充分な結實を見ずに終るのであつて、この少年ばかりでなくわれわれ舊式な頭の百姓が常にくり返してゐる失敗である。そこで入れてしまったものは仕方がないから灌漑を中止して葉莖のむだな成長を抑へて三番除草をやめて根の發達をうながす。それでも稲がのびすぎるなら、株間を塞ぐ枝垂れ葉をむしつて通風をよくしたり、更に出穂前一定の高さに葉先を刈りとつてしまふ。過度に葉莖が繁茂すれば、すべての植物は充實した實を結ばない――それだけの事を此の詩は教へてゐる。
<『宮澤賢治研究1』(草野心平編輯、宮澤賢治友の會)より>
1. 「稲作挿話」
 そこで改めて「稲作挿話」を見てみたい。
     稲作挿話(未定稿)
   あすこの田はねえ
   あの種類では
   窒素が余り多過ぎるから
   もうきつぱりと灌水を切つてね
   三番除草はしないんだ
      ……一しんに畔を走つて来て
        青田のなかに汗拭くその子……
   燐酸がまだ残つてゐない?
   みんな使つた?
   それではもしもこの天候が
   これから五日続いたら
   あの枝垂れ葉をねえ
   斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
   むしつて除つてしまふんだ
      ……せわしくうなづき汗拭くその子
        冬講習に来たときは
        一年はたらいたあとゝは云へ
        まだかゞやかなりんごのわらひを持つてゐた
        今日はもう日と汗にやけ
        幾夜の不眠にやつれてゐる……
   それからいゝかい
   今月末にあの稲が
   君の胸より延びたらねえ
   ちようどシヤツの上のぼたんを定規にしてねえ
   葉尖をとつてしまふんだ
        ……汗だけでない
          涙も拭いてゐるんだな……
   君が自分で設計した
   あの田もすつかり見て来たよ
   陸羽百三十二号のはうね
   あれはずゐぶん上手に行つた
   肥えも少しもむらがないし
   いかにも強く育つてゐる
   硫安だつてきみが自分で播いたらう
   みんながいろいろ云ふだらうが
   あつちは少しも心配ない
    反当三石二斗なら
    もう決まつたと云つていゝ
      …(略)…

<『校本 宮澤賢治全集 第四巻』(筑摩書房)より>
2.〔あすこの田はねえ〕
 一方、次の詩は「詩ノート」の中にある〔あすこの田はねえ〕である。
 一〇八二
     〔あすこの田はねえ〕
                  一九二七、七、一〇、
   あすこの田はねえ
   あの品種では少し窒素が多過ぎるから
   もうきっぱりと水を切ってね
   三番除草はやめるんだ
       ……車をおしながら
         遠くからわたくしを見て
         走って汗をふいてゐる……
   それからもしもこの天候が
   これから五日続いたら、
   あの枝垂れ葉をねえ、
   斯ういふふうな枝垂れ葉をねえ
   むしってとってしまふんだ
       ……汗を拭く
         青田のなかでせわしく額の汗を拭くそのこども……
   それから いゝかい
   今月末にあの稲が君の胸より延びたらねえ
   ちゃうどシャッツの上のボタンを定規にしてねえ
   葉尖を刈ってしまふんだ
       ……泣いてゐるのか
         泪を拭いてゐるのだな……
       ……冬わたくしの講習に来たときは
         一年はたらいたあととは云へ
         まだかゞやかな苹果のわらひをもってゐた
         今日はもう悼ましく汗と日に焼け
         幾日の養蚕の夜にやつれてゐる……
   君が自分で設計した
   あの田もすっかり見て来たよ
   陸羽一三二号のはうね
   あれはずゐぶん上手に行った
   肥えも少しもむらがないし
   植えかたも育ち工合もほんたうにいゝ
   硫安だってきみがじぶんで播いたらう
   みんながいろいろ云ふだらうが
   あっちは少しも心配がない
   反当二石五斗ならもうきまったやうなものなんだ
       …(略)…

<『校本宮澤賢治全集第六巻』(筑摩書房)より>
3. 不安
 さて、この前者「稲作挿話」は昭和3年3月地元の同人誌『聖燈』に発表されたものであるというし、後者は昭和2年7月10日に詠んだものであることが解る。ということは、どちらも賢治が下根子桜に住んでいた頃の作品となるわけだが、先に詠まれたのが〔あすこの田はねえ〕であり、これが推敲されて約10ヶ月後公に発表されたのが「稲作挿話」ということになろう。
 ところでこの作品についてはいろいろ気になることがあるが、ここではその中でも一番気掛かりな次のことに言及してみたい。それは先に詠んだ〔あすこの田はねえ〕の下書稿(一)においては
    あっちは少しも心配がない
    反当二石五斗ならもうきまったやうなものなんだ

であったのに、その部分はその本稿や『聖燈』に発表した「稲作挿話」においては
    あつちは少しも心配ない
     反当三石二斗なら
     もう決まつたと云つていゝ

と推敲がなされて訂正されていることが、である。
 以前〝賢治の肥料設計について少し(その4)〟で投稿したようにその当時の岩手県の平均収穫高は反当たり約2石であったが、この少年の陸羽132号は2.5石は穫れるだろうと賢治が保証していたからそのことにまず驚き、そして感心する。流石、それは賢治の指導の賜と。
 ところがそこまでは良かったのだが、その部分が推敲後に反当たり3.2石は穫れると太鼓判を押した詠み方になっていることを知って、なぜ賢治はその収穫高を2.5石→3.2石と変更したのだろうかということに一抹の不安を抱いてしまった。こんなに大幅に数値を変えてしまったことと、平年作の(3.2石÷2石=)1.6倍も穫れると「もう決まつたと云つていゝ」なんてことを賢治はいたいけなこの少年に言っていいのだろうかということに。まして、公表した作品の方が大幅に収穫高が増やされている訳で、これはあまりフェアな行為とは言えないのではなかろうかと。
 そして、この少年に「もうきまったやうなものなんだ」とか「もう決まつたと云つていゝ」とか、恰もそれが確かなことであるという期待を持たせてしまうような言い方を賢治はしている訳だが、これだけ数値が変化するということはそもそもそれは「確かなこと」とはいえないということなのだから、そこには自己撞着がある。
4. 危惧
 もちろん、「稲作挿話」は詩なのだからフィクションがあっても一向に構わないわけで、そこに事実と違うことが書かれていても何ら問題はない良い訳ではある。問題は、我々読み手がそれらの数値をそのまま鵜呑みにしてしまって、それがあたかも真実であると捉えてしまうことの方にあるのだろう。
 例えば巷間賢治に関して言われていることの一つに、
  〝賢治は昭和2年までに肥料設計書を2,000枚書いた〟
があるが、この根拠は一体何なんだろうか。もしかして
 一〇二〇
     「野の師父」
    …(略)…
   しかもあなたのおももちの
   今日は何たる明るさでせう
   豊かな稔りを願へるままに
   二千の施肥の設計を終へ
   その稲いまやみな穂を抽いて
   花をも開くこの日ごろ
   四日つゞいた烈しい雨と
   今朝からのこの雷雨のために
   あちこち倒れもしましたが
   なほもし明日或は明后
   日をさへ見ればみな起きあがり
   恐らく所期の結果も得ます
    …(略)…

<『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)より>
をその根拠であるとしたのかも知れない(しかし、正直私はこの「二千の施肥の設計」の〝二千〟は枚数が多すぎるのではなかろう今まで思っていた)。
 それがこの度「稲作挿話」において〝2.5石→3.2石〟という推敲の仕方していたということを知って、賢治の詩に於ける数値の扱いは慎重にする必要があると思わざるを得なくなってしまった。この〝二千〟も鵜呑みにしていいのだろうかと。
 一般に賢治の心象スケッチや詩は真実や事実が詠まれているといままでは思っていたが、このような賢治の推敲の仕方は、そこには一概に真実や事実ばかりばかりが詠み込まれているは言えず誇張もありうるという不信感を読み手に抱かせてしまう結果を生じさせてしまった。
 したがって、このような数値の扱い方は科学者賢治の為すべきこととは私には到底思えず、不安を抱いてしまう。そしてひいては、この行為はこの詩のみならず他の詩にも波及し、他の詩に於いてもそこで詠み込まれている数値の信頼度が失われてしまうという危惧を生じさせる。

 それとも、賢治も人の子、私たちに似た部分が彼にも当然あるのだと思えばいいだけのこと、宮澤賢治の詩などに於ける数値は読み手が慎重に読み取ればいいだけのことなのだろうか…。
 
 続きの
 ”賢治の肥料設計について少し(その8)”へ移る。
 前の
 ”賢治の肥料設計について少し(その6)”に戻る。

 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2428 河童沢 | トップ | 2430 賢治の肥料設計について... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

賢治関連」カテゴリの最新記事