みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

推敲の結果「反当三石二斗」に変えた

2022-07-10 18:00:00 | 下根子桜八景
 「反当三石二斗」(「宮澤賢治文学散歩道」の石碑〔あすこの田はねえ〕より抜粋)

 さて、その「決定的に違っている箇所」とはどこのことか。
 『詩ノート』所収の〔あすこの田はねえ〕の場合は、
一〇八二  〔あすこの田はねえ〕    一九二七、七、一〇、
   あすこの田はねえ
   あの品種では少し窒素が多過ぎるから
   もうきっぱりと水を切ってね
   三番除草はやめるんだ
       ……車をおしながら
         遠くからわたくしを見て
         走って汗をふいてゐる……
   それからもしもこの天候が
   これから五日続いたら、
   あの枝垂れ葉をねえ、
   斯ういふふうな枝垂れ葉をねえ
   むしってとってしまふんだ
       ……汗を拭く
         青田のなかでせわしく額の汗を拭くそのこども……
   それから いゝかい
   今月末にあの稲が君の胸より延びたらねえ
   ちゃうどシャッツの上のボタンを定規にしてねえ
   葉尖を刈ってしまふんだ
       ……泣いてゐるのか
         泪を拭いてゐるのだな……
       ……冬わたくしの講習に来たときは
         一年はたらいたあととは云へ
         まだかゞやかな苹果のわらひをもってゐた
         今日はもう悼ましく汗と日に焼け
         幾日の養蚕の夜にやつれてゐる……
   君が自分で設計した
   あの田もすっかり見て来たよ
   陸羽一三二号のはうね
   あれはずゐぶん上手に行った
   肥えも少しもむらがないし
   植えかたも育ち工合もほんたうにいゝ
   硫安だってきみがじぶんで播いたらう
   みんながいろいろ云ふだらうが
   あっちは少しも心配がない
   反当二石五斗ならもうきまったやうなものなんだ
   しっかりやるんだよ
   これからの本統の勉強はねえ
   テニスをしながら 商売の先生から
   きまった時間で習ふことではないんだよ
   きみのやうにさ
   吹雪やわづかな仕事のひまで
   泣きながら
   からだに刻んで行く勉強が
   あたらしい芽をぐんぐん噴いて
   どこまで延びるかわからない
   それがあたらしい時代の百姓全体の学問なんだ
   ぢゃ さようなら
       雲からも風からも
       透明なエネルギーが
       そのこどもにそゝぎくだれ
              <『新校本 宮澤賢治全集 第四巻詩Ⅲ本文篇』(筑摩書房)273p~>
となっているのだが、これは推敲されて、『春と修羅 第三集』所収の、
    〔あすこの田はねえ〕   一九二七、七、一〇、

あすこの田はねえ
あの種類では窒素があんまり多過ぎるから
もうきっぱりと灌水を切ってね
三番除草はしないんだ
  ……一しんに畔を走って来て
    青田のなかに汗拭くその子……
燐酸がまだ残ってゐない?
みんな使った?
それではもしもこの天候が
これから五日続いたら
あの枝垂れ葉をねえ
斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまふんだ
  ……せわしくうなづき汗拭くその子
    冬講習に来たときは
    一年はたらいたあととは云へ
    まだかゞやかな苹果のわらひをもってゐた
    いまはもう日と汗に焼け
    幾夜の不眠にやつれてゐる……
それからいゝかい
今月末にあの稲が
君の胸より延びたらねえ
ちゃうどシャッツの上のぼたんを定規にしてねえ
葉尖を刈ってしまふんだ
  ……汗だけでない
    泪も拭いてゐるんだな……
君が自分でかんがへた
あの田もすっかり見て来たよ
陸羽一三二号のはうね
あれはずゐぶん上手に行った
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育ってゐる
硫安だってきみが自分で播いたらう
みんながいろいろ云ふだらうが
あっちは少しも心配ない
反当三石二斗なら
もうきまったと云っていゝ
しっかりやるんだよ
これからの本統の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら
  ……雲からも風からも
    透明な力が
    そのこどもに
    うつれ……
             <『新校本 宮澤賢治全集 第四巻詩Ⅲ本文篇』(筑摩書房)101p~>
となったと言える。
 よって、両者は殆ど似ているのだが、決定的に違っている箇所があって、それは、

    反当二石五斗  反当三石二斗

というように推敲されたことだ。
 実は、この詩が書かれた原稿のコピーをかつて見たことがあるが、そこには「菊池信一」というメモが書いてあったから、この詩に登場しているく「」とは多分彼のことだろう。となれば、賢治は石鳥谷好地の菊池信一の家、「東田屋」まで行ったときにこの詩を詠んだのだろうか。もしそうだったとすれば、菊池信一は花巻農学校を大正14年に卒業しているから、この詩が詠まれたであろう日付1927,7,10であれば彼はまだ17歳頃の青年だったはずだ。
 おそらく賢治はこの時に、この農村青年に
   陸羽一三二号のはうね
   あれはずゐぶん上手に行った
   肥えも少しもむらがないし
   植えかたも育ち工合もほんたうにいゝ
   硫安だってきみがじぶんで播いたらう
   みんながいろいろ云ふだらうが
   あっちは少しも心配がない
   反当二石五斗ならもうきまったやうなものなんだ
と声をかけ、褒めて励ましたのだろう。当時の稲作といえばその収穫量は普通反当二石前後だったから、それが二石五斗であったならば上出来である。そしてそもそも、「陸羽132号」とは肥料に適合する品種改良という逆転した対応によって生まれた品種(『岩手県の百年』(長江好道ら共著、山川出版)より)であり、施肥の仕方を間違わねばその収量が「反当二石五斗ならもうきまったやうなもの」という見通しは妥当なものであったであろう。ということからは逆に、『詩ノート』に所収の〔あすこの田はねえ〕には基本的には虚構はなかったであろうと推断できる。ところが、『春と修羅 第三集』所収の〔あすこの田はねえ〕になると、推敲の結果「反当三石二斗」に変えたことになる。

 さて、なぜ賢治は反当収量の数値をこのように変えたのだろか。当時の平均の反当収量が2石前後、それが2.5石というのであればそれは嬉しいが、3.2÷2.5=1.28だからさらに3割弱の水増しをしたこととなり、
    (三石二斗)/(二石)=1.6
だから当時の平均収穫高よりも6割も多いことになる。だから嬉しさもさらに増すかもしれないが、逆に、一体そこにはどれだけの現実味があったのだろうかと却って不安になってしまう。そこで私は、この水増しをする賢治に対して、この農村青年に対してこの「推敲」の説明が出来るのですかとつい心配してしまう。

 前回述べたように、昭和2年頃の賢治の詩からは農民に対する優しさを感じられず、逆に悪し様に詠んでいるものが少なくないことが気になっていたのだが、この〔あすこの田はねえ〕であれば賢治の優しさがどんどん伝わってきてほっとする、と一旦は思ったのだったが、こんな推敲ってありなのかな?と気づいてしまったならば、逆に却って複雑な心境に私は陥ってしまった。
 もちろん、これは詩だから虚構はありという人もいるとは思うが、この〔あすこの田はねえ〕や「和風は河谷いっぱいに吹く」は事実を詠んでいるからこそと思ってかつての私は感動していたのだから……。

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