みちのくの山野草

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「あすこの田はねえ」(賢治文学散歩道)

2022-07-10 14:00:00 | 下根子桜八景
 下根子桜の、
《1 「賢治詩碑」へ行く道は「賢治文学散歩道」と呼ばれ》(2022年7月7日撮影)

《2 いくつかの碑がある》(2022年7月7日撮影)

《3 》(2022年7月7日撮影)

《4 そして、これがあの「あすこの田はねえ」の碑である》(2022年7月7日撮影)


    〔あすこの田はねえ〕   一九二七、七、一〇、

あすこの田はねえ
あの種類では窒素があんまり多過ぎるから
もうきっぱりと灌水を切ってね
三番除草はしないんだ
  ……一しんに畔を走って来て
    青田のなかに汗拭くその子……
燐酸がまだ残ってゐない?
みんな使った?
それではもしもこの天候が
これから五日続いたら
あの枝垂れ葉をねえ
斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまふんだ
  ……せわしくうなづき汗拭くその子
    冬講習に来たときは
    一年はたらいたあととは云へ
    まだかゞやかな苹果のわらひをもってゐた
    いまはもう日と汗に焼け
    幾夜の不眠にやつれてゐる……
それからいゝかい
今月末にあの稲が
君の胸より延びたらねえ
ちゃうどシャッツの上のぼたんを定規にしてねえ
葉尖を刈ってしまふんだ
  ……汗だけでない
    泪も拭いてゐるんだな……
君が自分でかんがへた
あの田もすっかり見て来たよ
陸羽一三二号のはうね
あれはずゐぶん上手に行った
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育ってゐる
硫安だってきみが自分で播いたらう
みんながいろいろ云ふだらうが
あっちは少しも心配ない
反当三石二斗なら
もうきまったと云っていゝ
しっかりやるんだよ
これからの本統の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら
  ……雲からも風からも
    透明な力が
    そのこどもに
    うつれ……
と刻されている。
 そしてお気づきのように、この詩が詠まれたのは今から95年前の今日(昭和2年7月10日(日))である。なお、この碑の中身は『春と修羅 第三集』所収の、
    「一〇八二  〔あすこの田はねえ〕    一九二七、七、一〇
           <『新校本 宮澤賢治全集 第四巻詩Ⅲ本文篇』(筑摩書房)101p~>
と同じである。
 この頃の私は、今から95年前の、すなわち昭和2年の賢治を、彼の詩を通して見ているのだが、どうもそれらの詩からは賢治の農民に対する優しさを感じられず、逆に悪し様に詠んでいるものが少なくないことが気になっていた。ところが、この〔あすこの田はねえ〕であれば、何度か繰り返して読んでいると、この稲作に熱心に取り組んでいるこの少年(「せわしくうなづき汗拭くその子」)に対する賢治の優しさがどんどん伝わってきてほっとする。巷間云われている「賢治らしい」と。そして、こうあらねばと、私はごちってしまう。

 ところが、「一〇八二  〔あすこの田はねえ〕    一九二七、七、一〇」は『詩ノート』にも所収されており、それは以下のとおりだ。
一〇八二  〔あすこの田はねえ〕    一九二七、七、一〇、
   あすこの田はねえ
   あの品種では少し窒素が多過ぎるから
   もうきっぱりと水を切ってね
   三番除草はやめるんだ
       ……車をおしながら
         遠くからわたくしを見て
         走って汗をふいてゐる……
   それからもしもこの天候が
   これから五日続いたら、
   あの枝垂れ葉をねえ、
   斯ういふふうな枝垂れ葉をねえ
   むしってとってしまふんだ
       ……汗を拭く
         青田のなかでせわしく額の汗を拭くそのこども……
   それから いゝかい
   今月末にあの稲が君の胸より延びたらねえ
   ちゃうどシャッツの上のボタンを定規にしてねえ
   葉尖を刈ってしまふんだ
       ……泣いてゐるのか
         泪を拭いてゐるのだな……
       ……冬わたくしの講習に来たときは
         一年はたらいたあととは云へ
         まだかゞやかな苹果のわらひをもってゐた
         今日はもう悼ましく汗と日に焼け
         幾日の養蚕の夜にやつれてゐる……
   君が自分で設計した
   あの田もすっかり見て来たよ
   陸羽一三二号のはうね
   あれはずゐぶん上手に行った
   肥えも少しもむらがないし
   植えかたも育ち工合もほんたうにいゝ
   硫安だってきみがじぶんで播いたらう
   みんながいろいろ云ふだらうが
   あっちは少しも心配がない
   反当二石五斗ならもうきまったやうなものなんだ
   しっかりやるんだよ
   これからの本統の勉強はねえ
   テニスをしながら 商売の先生から
   きまった時間で習ふことではないんだよ
   きみのやうにさ
   吹雪やわづかな仕事のひまで
   泣きながら
   からだに刻んで行く勉強が
   あたらしい芽をぐんぐん噴いて
   どこまで延びるかわからない
   それがあたらしい時代の百姓全体の学問なんだ
   ぢゃ さようなら
       雲からも風からも
       透明なエネルギーが
       そのこどもにそゝぎくだれ
              <『新校本 宮澤賢治全集 第四巻詩Ⅲ本文篇』(筑摩書房)273p~>
となっている。つまり、後者が推敲されて前者になったと言える。ただし、両者は殆ど似ているのだが、決定的に違っている箇所があって、私にはそれがとても気になってしまったのだった。

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