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言語はパフォーマンスの道具にすぎない

2006年03月19日 | パルプ小説を愉しむ


『外交官の娘』(ウィリアム・キンソルヴィング)の主人公リリーは、純粋な愛国心から仕事に殉じる昔かたぎの外交官を父親に持つDD(Diplomat's Daughter)。大学時代に難民キャンプでボランティアしていた時に、テロに巻き込まれ、その後父親が爆弾テロで殺されることで、自分の外交官になることを決心する。結婚した夫は、出世の階段をひた走りに登っていくが、純粋な愛国心から仕事をするリリーとは異なり、出世の野心にドライブされるタイプ。理想の違いと、別居生活からくる心のすれ違い。そこに入り込むモサド職員。そして、中東戦争、難民キャンプでの虐殺がリリーの外交官生活にピリオドを打つ。10年経過して、新しい大統領からエジプト大使への任命を要請されたリリーに、娘時代から続く因縁のテロリストとの最後の対決が始まる。別れた夫、昔恋心を抱いたモサド職員とアルジェリアの外交官の助けを借りながら、エジプトへ飛ぶ。

娘時代、外務職員時代、政務担当官時代、大使時代(正確には大使に任命される直前のテロリストとの対決の時代)の4部からなるストーリーは、フィクションとはいうものの中東戦争の史実に沿って練り上げられていて、時代の流れの中に引きずり込むような力強さがある。純粋な愛国心と何よりも人間への信頼を信じるリリーの立ち振る舞いは立派で心打たれるが、ちょっと理想的すぎて現実離れしているのかも...と思ってしまうほど。

超現実主義者の夫が恋人時代に吐く台詞が
「今や誰が何を言おうが、何の意味の持たない時代なんだよ。状況の中にあるものだけが唯一の実体だ。言語はパフォーマンスの道具にすぎない。」

ひたすら世の階段を駆け上がることしか念頭にない夫のワースの本性を知った時の言葉がこれ。
「そのうち何かの染色体プログラムが突如として体内に放出される。彼は純粋な感情よりも手練手管のほうがはるかに効果的だと悟る。ワースが無邪気さを失ったのは、ごくごく早い時期だったに違いない。」

リリーに近づいたモサド職員の魅惑的な台詞。
「我々は危険地帯に入っているんだぞ。」「どういう危険?」「我々はそろそろ恋に落ちるべき時期に来ている。」

そして、そのモサド職員の母親の台詞もいかしている。
「宗教とは、答えようのない質問に回答を与えようとする人間の頭の中で考え出されたものなの。これからも宗教は永遠に存在するでしょう。人間は回答を与えてもらわないことには我慢のできない生き物だから。」

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