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お愉しみはココからだ!!

映画・音楽・アート・おいしい料理・そして...  
好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

「食がわかれば世界経済がわかる」 榊原英資著

2013年07月13日 | My Diary
「ミスター円」と言われた元財務官の榊原英資さんは、外交交渉の合間に相当美味しいものを食べ歩いたに違いない。そして、その経験と食に対する思いがこの著書の根底にあることは想像に難くない。

食を「資源」として捉える国々と「文化」として捉える国々とがある、と著者は言う。前者はイギリスやアメリカなどのアングロサクソン系、後者はフランス、イタリアなどのラテン系や中国。日本はもちろん後者のグループに属する。

食を「文化」として捉える国であっても、フランスや中国とは異なり日本の食文化の特色は「季節感」と「非効率」と言う。「季節感」はよく指摘される。旬を大事にして、季節の折々に採れる食材の持ち味を活かして調理する。バターやクリームで濃厚に味付けすることによって、素材の味が分からなってしまうフランス料理とは明らかに異なる料理法を発展・進化させた国であることは我々は気づいている。そして、この独自の料理感はフランス料理にも取り入れられ「ヌーベル・キュイジーヌ」という潮流になっていく。別の人から聞いた話だが、フランスの高級料理店では日本人シェフがいないと困るらしい。日本人シェフの持つ料理センスと繊細な盛り付け技能がミシュランの星取りに不可欠だからだとのこと。そして、榊原氏は訪れた北京の高級ホテル、グランドハイアットのバー内に寿司バーが設置され、流行を追う地元の若者たちで混んでいたことを見て驚いている。「もし、無人島で暮らすことになったとしたら、何料理のコックを連れて行きたい?」という他愛もない質問が昔あり、多くの人が「中国料理」と答えていたのに対して納得していた記憶がある私として、あれだけの調理法とメニュー、レシピがある中国の最先端のバーでsushiが人気になっているとは想像だにしなかった。

生魚を切っただけ、と言われ勝ちな料理ではあるが、「活け締め」の技術がなければ新鮮な魚を愉しめる寿司や刺身が可能にならず、ほとんどの国々で採られた魚は市場に来るときにはすでに痛んでいると言う。だからこそ、香辛料が貿易で求められたのだろうし、新鮮でない食材を美味しく食べるための技術として濃厚ソースが生まれる必要があった。それはそれで美味しい料理に発展したのであろうが、素材自体が持つ絶妙な味わいを愉しむ食文化には進化することはなかった。

食材にこだわることと一汁十菜といわれるような多品種の食材を使用する日本食は、規格大量生産が出来ないために効率とは対極にある、とも指摘している。食を「資源」と捉えるアングロサクソン系では、物事をシステムとして捉えて効率化した結果、植民地時代のプランテーション経営により英国は世界を制覇でき、今ではアメリカが大量の資本投下とオートメーションによる経済効率の追求の結果として世界経済を支配できているのだと指摘している。マクドナルドの世界進出もこの論理の線上で語ることができるのでしょうね。

しかし、ファーストフードに代表される「食の工業化」によって、肥満や糖尿病の蔓延、狂牛病の発正(この本は2006年に出されている)という恐ろしい結果がもたらされている現状を見ると、効率化を追求する食文化から古来の日本が持っていた食のあり方に回帰すべきであると榊原氏は考えている。「リ・オリエント」と氏が呼ぶムーブメントは、効率化と安さから健康や環境という「自然への回帰」を根底に持っている。スローフードのムーブメントもその一環であろう。「豊かさ」が表わすものは、安価ですぐに入手できるということではなくなり、例えば時間をかけてお茶を淹れるという非効率ではあるがお茶がはいるまでの時間を愉しんだり大量生産された規格品では望めないお茶本来の味わいを愉しむといったことににシフトしてきている、またそう考えて生活を愉しむべきだ、というのが著者の意見である。(もちろん、そんなことが許されるのは効率化によって金銭的に豊かになった国ならではの特権ではあろうが。)

この考え方には同意できるね。単に夕食を作るという義務としての「作業」ではなく、美味しく食べてくれる子供たちの笑顔を思い浮かべながら、クッキング自体を愉しむのが最近の週末の営みになっている私には、「そうそう」と思い、いいねボタンを押したくなる、そんな本でした。

著書の中にあったことで知らなかったこととして、
● 縄文遺跡の発掘によって縄文人がどんぐりを発行させて造った縄文みそとでも呼べる調味料を食べていたこと(へぇ、大陸から伝わったものばかりではなかったんだ)
● 17世紀後半の江戸時代には料理屋が生まれて18世紀半には外食文化が浸透していたこと(パリでレストランが広まったのも18世紀半ばというから、ほぼ同時期だったんだ。へぇ×へぇ)
● 産業革命の前段には農業革命が必要で、江戸時代の各藩では干拓を努める他にも、砂糖や生糸などの商品作物生産を奨励したり、陶磁器や紙、蠟といった特産品の育成といった殖産興業を進めた結果、農村の生産性が高まり農業革命が起こっていたこと(へぇ×へぇへぇ)
は知識の小ネタになった反面、「ブランド化」という観点ではフランス料理やイタリア料理、中国料理に比べて今イチ劣っていると感じられるのはなぜなのだろうか??という疑問が残りました。

この疑問は日本食・料理に限ったことだけではなく、優れた技術や技能を持っている日本の生産品、下町の工場が持つ「ここでしか造れない」製品や、日本古来の職人が織り成す産物がなぜブランドと成りえていないのか、と同じ疑問です。一例では、オニヅカのスニーカーから生まれたNIKEが世界的なブランドになっているのに、元のオニヅカのブランド力は何なのか、その違いはどこから生まれているのか?といったら理解してもらえるのかと思います。決してCMのクリエイティブだけではないはずで、ブランドになれたものとなれなかったものの違いはどこにあるのか??という疑問を想起させてくれた本でした。

驚異のパンフォーカス写真:アンドレアス・グルスキー

2013年07月07日 | My Diary
東京新美術館で開催されているアンドレアス・グルスキーに行ってきました。「世界最高額の写真作品」というコピーに魅せられたことと、宣伝に使われていた写真の通常ではあり得ないほどのパンフォーカス技術にびっくりしたからです。


隅から隅までピントがしっかりあっているこのような写真を撮るにはそれなりの技術が必要であることは知っているが、でも広角レンズでとったような画面のゆがみもないし、しかも人もちゃんと写っているではないか?!?!?!これには仰天。

本物は207×325cmと馬鹿でかい作品なのですが、じっくり見ていると心なしか気持ちが悪くなる。そこで、はたと気が付いた。これはデジタル技術で合成してるに違いない!

通常の写真なら、望遠で撮ろうと広角で撮ろうと、遠近法が作用しているので写真の中央に視点が定まるはず。でも、グルスキーのパンフォーカス写真にはそのような視点がない。複数枚の写真をデジタルで繋ぎ合わせたに違いない。

だからといって、彼の作品性が損なわれることなど何もなく、着眼点の凄さと技術の確かさはすばらしく、最高額で落札されたという事実に納得がいきます。

彼の作品には、画面上を横切る線がとても印象的で、きっと意図して撮っているんだろうな。あと、証券取引所(東京とシカゴの2作品があったが)に代表される群像写真が目に焼きつく。


そして何よりも興味を惹かれたのが「カミオカンデ」という作品。


どっかの仏教寺院の曼荼羅かと思ったら、日本は岐阜県にあるニュートリノ検出装置だとか。科学技術が行き着く先は宗教的になってしまうのかね。

あと、「大聖堂」という作品も素晴らしかった。ステンドグラスとそれを撮影しているカメラクルーとが一枚の写真の中に納まることで、ステンドグラスの巨大さと力強さに息を思わず飲見込んでしまいました。



ラファエロ展

2013年04月20日 | My Diary
国立西洋美術館で開催されている「ラファエロ」に行ってみた。
ラファエロという名前は知ってはいたが、彼の絵画をこれといって知っていたわけではなく、ましてや好きだった訳でもない。そのために、冷静に鑑賞することができた。

最初の数点を見ていると、「あれ?変だな」と思ったのは、ポートレイトで描かれている人物の首の形に違和感を感じた。首の前はまっすぐに切り立った直線で後部は斜めに走る線で、まるで首が台形。しかも長い。中世イタリア人は馬のような首をしていたのか???と思ってみたいたが、途中からは首が自然な形になっていた。きっと、ダ・ヴィンチなどを研究するうちに解剖学にも触れることで、人間の体の造形を学習しなおしたんだろうな、と自分なりに納得。(当たっているかどうかは知りません)

生活の糧のために描いていたのであろうその当時の偉い方々のポートレイトを見ていると、あごをしゃくって尊大そうに構えた絵がや、口の片側に微かな薄ら笑いを浮かべたもの、決して器量良しとは言えない女性の自画像など、ラファエロならではいたずらか反抗心が見られた(私には)絵が何点か。

そして、「これはマンガか!!」と思わずにはいられない人物画も何点か。

あら探しはこれくらいにして、ラファエロの絵で気に入ったところは、彼が描く衣服の質感がすばらしい。特に赤い色のケープが皺になっている部分に光が当たった部分の陰影の美しさと、高貴な人が着るに相応しい衣の独特な質感を描く力量には目を奪われました。

左上腕部にかかる衣のひだの部分がとても美しく、かつ実物を彷彿とさせるタッチで、これを見て「マンガ的」だとか「首のかたちが変」と印象は吹っ飛び、さすがに世界的な巨匠なのだなと納得した次第です。

帰り際にふらっと寄った常設展で掘り出し物が!!!マリー=ガブリエル・カペという女性画家の自画像が美しい。しばらく目の保養をさせてもらいました。

IKEA

2012年09月23日 | My Diary
娘に教えられてIKEA港北店に行ってみた。新横浜から無料のシャトルバスが使えるのがとても嬉しい。店に着いて驚いたのが、なんと大きな店舗であることか!!そして、雨にも拘わらず(雨の日曜日だからか?)人の多さ!!だだっ広い店内が人だらけ。しかも子供連れの多いこと。

倉庫のような1Fを探索していくうちに、品揃えの多さに驚いた。そして価格の安いこと。ルーフバルコニーに置くテーブルとチェアも何種類もあって目移りがする。

2Fに行くと、キッチン用品、家具、寝具、ホーム用品は何でも揃っていた、浴室用品以外は。値段の安さ、種類の多さ、小洒落たデザイン、見ていて飽きない。他の家具屋と決定的に違って、単に商品を並べているだけではなく、「23畳部屋」といったように自分の部屋をイメージできる広さのスペースにベッドやクロゼット、ダイニングテーブル、カーテンや装飾グッズ、照明器具まで揃えて置いてある。しかもそのようなスペースが何種類もある。ライフスタイルの提案とでも言える展示方法が今まで見てみた家具店と徹底的に異なっており楽しさを醸し出している。

安い、デザインがよい、何でも揃っている、種類が多い、そして来店客が楽しめるように配慮されていることが秀逸。託児スペースがあるし、店舗のあちらこちらに子供が遊べるスペースや仕掛けがおいてあり、子供が飽きないように考えられている。これでは、親も喜んで週末の一日をIKEAで過ごせる。

2Fのカフェテリアスタイルのレストランも、手頃は料金でいろいろな食べ物が食べられる。1Fでは、ホットドッグが100円、ソフトクリームが50円と驚きの価格。マスタードとケチャップ、多くの人が並んでいて、食べられるまでに時間がかかるのが問題だが、それにしてもこの料金だと我慢できる。

店舗のあちらこちらに、IKEAウェイとでも言うのだろうか、IKEAの哲学が書かれたPOPを目にする。「引き算で製品を作るだけではなく、デザイン性、環境にやさしいこと等々、IKEAが何を考えてビジネスをしているのか、商品を開発しているのかをそれとなく、でもしっかりとインプットするようにデザインされている。必要なものを買う店舗以上の存在になろうとしている努力が見て取れる。これでは、IKEAのファンが増えるはずだ。

平日は2FnoカフェテリアにPCを持ち込んで仕事をしたり、遊んでいる人がいるそうだ。窓際に座って、コーヒーを飲みながら(しかもドリンクバーなので何杯でもお替わり自由)DVDを見ているひとがいるそうだ。次回は本でも持っていこう。飽きたら、斜め向かいにある「港北の湯」でひとっ風呂あびるのもよさそうだ。

東京の祭り

2010年08月29日 | My Diary
28日(土)と29日(日)の2日に、浅草のサンバカーニバル、高円寺阿波踊り、よさこいin府中と立て続きました。3つの中でピカイチだったのは高円寺の阿波踊り。規模も大きく、、そして何といっても鉦と太鼓のシンプルだが力強いリズムと躍動感、それに併せて踊る参加者たちの真剣なまなざしがサンバはよさこいを圧倒していました。

サンバは、上手い踊り手は見栄えがするのだが、歩いている踊り子が多いのが興ざめだった。全体の印象としては、あたかも仮装パレードのような様相で、一部にサンバを踊っている人たちがいる、というのが印象。参加グループには、それぞれの物語があり、踊りと服装でそれを表現しようという意図が見えたのだが、参加者がもっと笑顔で踊りに参加していると盛り上がったいたろうに。南米本場の人たちの踊りと迫力(胸と腰です)は、それだけでも見もので、仮装パレードから脱却して日本独自のサンバカーニバルになるのは、参加者から照れと衒いがなくなって、心から楽しもうという気になることかな!?

それに対して、阿波踊りは予想を遥かに超えて見栄えがする祭りだった。髪をひっつめにした女性、着物と笠で秩序正しく踊る女性。腰を落として踊り男性陣も、色々な踊りのパターンがあり、中には凧を模した踊りを披露してくれた連もあって、見応え十分だった。本当に高円寺の夜は暑かった。


くらやみ祭り

2010年05月05日 | My Diary
府中にある大國魂神社のお祭り「くらやみ祭り」に行ってきました。広い境内が人でいっぱいになるほどの大賑わい。
お祭りに欠かせない神輿がなんと8基も出るというので愉しみにして行ってみたのですが、すべての神輿は暗くならないと出ない(だから「くらやみ祭り」と言うのだそうだ)ために、屋台(これもすごい数の屋台が出ていた)を冷やかしながら、神社を一回りしただけでお仕舞い。肝心の神輿はケーブルTVのチャンネルで観る事にして帰ってきました。

このお祭りで使われる大太鼓の大きいこと。撥はバットですよ。大太鼓の上に数人が乗り、叩く場所を示しながら、いい年したオッサンたちがバットでこの馬鹿でかい大太鼓を力一杯ぶっ叩いているんです。

   

くらやみ祭情報はこちらから

「恋愛の発見」(韓ドラ)

2010年05月02日 | My Diary
番組タイトルが「恋愛の発見」であり、その第1話が「世界で最も美しい三角形」が示すように、三角関係が進展して友達が恋人になっていくという、ありがちなテーマです。が、人物と物語がしっかりと描けていて内容はとっても濃い、お奨めできるドラマです。

婚約者の男女(ユンソとジノン)と親友の男一人(ガンヒョク)は10年来の仲良しグループ。ガンヒョクが見合いで結婚することになって、ユンソは突然ガンヒョクを意識しだす。二人で夜を徹して酒を飲み交わすうちに男と女の関係になってしまってからが妙な三角関係が始まる...


1時間ちょっとのそれぞれの回が2話に分かれていて、第1話が「世界でもっとも美しい三角形」、第2話が「私たちの最後の夜」、第3話「さわやかな朝」、第4話「同床異夢」、第5話「プロポーズの指輪」、第6話「旅行」、第7話「不在着信」、第8話「恋愛の発見」と計8からなるストーリー展開も短編ドラマではありますが、短さを感じさせない見応えあるドラマでした。

見ているうちに、”何でこうなるかな”、”この男、もっとはっきりしろよ”と突っ込みたくなるのは韓国ドラマとしてのお約束の進展ですが、それでも男女の心の機微がしっかりと描けています。ガンヒョクの結婚相手(イヨン)を入れた4人で一緒に旅行をした夜に、イヨンとジノンがキスしているのを見たユンソがホテルを去るシーンで、ロビーで佇むガンヒョクの前をジノンが通り過ぎるシーンが印象的です。「第三の男」のエンディングシーンとは比べるほどのものではありませんが、それでもお互いに過去の間違いを意識している男女、婚約者が他の女とキスしているのを目撃したことにショックを受けつつも、それ以上の裏切り行為をして相手に黙っている自分に対する後ろめたさ、これらが入り混じることで一層混乱してしまったユンソが、ホテルを出て行くシーン。エレベーターから降りてきたユンソを前から写した後に、壁際に立っているガンヒョクの前をユンソが右から左に通り過ぎるシーン、最初は遠景で、次はカメラが寄って、3回目はガンヒョクのバストショットの前を通り過ぎるヨンスと、ここを印象に残るようにくど~く撮っていました。

ここのシーンはとっても印象的なのですが、でも?と思ってしまう。ここは大事なシーンかもしれないが物語り上では一つのシーンでしかないはず。物語上でこれ以上の山場は、職場に顔を出さなくなったジノンをガンヒョクとユンソが散々探し回った挙句に、河原でラジコンを飛ばして遊んでいるジノンを見つける。近寄ろうとするとイヨンが出てきて二人が仲睦ましくしている。これがあったからこそ、ガンヒョクとユンソは無事に恋人関係に成れたのであって、ここのシーンはもっと時間を取ることで、ガンヒョクとユンソが罪悪感から解き放たれた心理の移ろいを描いて欲しかったです。

1時間ちょっとのそれぞれの回が2話に分かれていて、第1話が「世界でもっとも美しい三角形」、第2話が「私たちの最後の夜」、第3話「さわやかな朝」、第4話「同床異夢」、第5話「プロポーズの指輪」、第6話「旅行」、第7話「不在着信」、第8話「恋愛の発見」と計8からなるストーリー展開も短編ドラマではありますが、短さを感じさせない見応えあるドラマでした。

ガンヒョク:チェ・イニョン
ジノン:アレックス
ユンソ:ユン・ジミン
イヨン:ハン・イェイン
脚本:キム・ギョンヒ

韓国MBCにて2007年に放送。

世界で二番目に古い職業

2008年03月09日 | My Diary
『傭兵の二千年史』(講談社新書 菊池良生)

1. 古代ギリシャ・ローマ時代
【軍の中心】
歩兵
【社会状況】
どちらも当初は中小土地所有者たる市民が共同体成員として兵役を担っていたが、勢力拡大による対外膨張にやり植民地からの富の流入と貨幣経済の進展により、中小土地所有者たる市民が没落し、兵役への支払いが発生し兵役の職業化が発生した。
長く続いたローマ時代においては、没落した市民が収入を得る道として有力な将軍たちの私兵になるしかなく、これにより混迷化・内乱が発生した。これを統一した一将軍のカエサルと後継者のローマ皇帝たちは、広大な領土を維持するために巨大な軍事を必要としたが、これを支えたのは属州からの援助兵の存在だった。カラカラ帝が定刻内の全自由民に市民権を与えると、属州からの志願兵が減少し、それを埋めるためにゲルマン兵を傭兵として雇用する機会が増え、ローマは末期時代にと入っていく。

2. 中世ヨーロッパ(8から13世紀)
【軍事の中心】
歩兵から騎兵に移った。これは蹄鉄の普及により騎兵の機動力が向上したため。
【社会の状況】
農民・聖職者・騎士と身分の固定が起こり、騎士=中小の封建領主による農民を支配する封建制度であり、自ら働くことのない騎士階級は自らを「神に仕えしもの」としてアイデンティティを確立した。
君主との間の緩い封臣契約で軍務に制限が存在していたこと、14世紀のペスト蔓延と凶作により農業衰退により領主層たる騎士たちの収入減少がおこり、そのためにいっそうの傭兵化が促進した。受け皿としては、混迷を極めていたイタリアが傭兵たちを惹き付ける場となった。

3. スイス傭兵の時代(14から17世紀)
【軍の中心】騎兵が重装化し機動力が失われていく中、スイス傭兵隊に代表される長槍による密集隊形を組んだ歩兵が戦闘の中核となる.
【社会の状況】
この時代の中心を担ったのがスイス傭兵たち。耕作面積が少なく農業以外の産業が乏しいスイスにあって男の働き口として残ったのが傭兵というビジネス。これをスイスの特権階級はヨーロッパ各地に輸出していった。遅れてドイツ傭兵(ランツクネヒト)も登場し、傭兵が跋扈する時代を迎える。

4. マウリッツの軍制改革
【軍の中心】
16世紀に入り火縄銃が戦争に使われるようになると、戦いの中心が長槍から銃に移っていく。
【状況の変化】
スペインからの独立を戦っていたオランダにおいてマウリッツの軍制改革が起こる。兵士に給料を支払うことで常備化し軍事訓練を施せるようになったこと、そして軍内命令系統の徹底により、統制のれた軍隊が組織されるようになる。また、歩兵・騎兵・砲兵を平等に組み合わせた軍隊組織を作りあげた。

5. ドイツ30年戦争(17世紀前半)
【軍の中心】
相変わらず傭兵が戦争の主役
【状況の変化】
軍事面では、ヴァレンシュタインという傭兵隊長が占領地における課税権を手に入れて、人員と軍備の充実を図り、30年戦争において大いなる貢献をした。戦況での貢献以上の影響として、軍事目的のための課税という制度を国家権力が手に入れ、これにより従来は私兵の集まりであった傭兵隊が絶対君主のための軍隊への変わっていった。これと30年という長期の戦争により国家内に存在していた様々な諸権力が没落したことと、君主が自分の軍隊を手に入れたことで絶対王朝確立される基盤が作られた。

6. グスタフ・アドルフの改革
【軍の中心】
徴兵制による常備軍の整備と、砲兵の充実による歩兵・騎兵・砲兵からなる軍隊の組織
【社会状況】
私兵・自由戦士という性格が強かった軍隊が、ここにいたって国家の軍隊として組織されるようになり、従来の傭兵隊長の役割は巨大な軍事組織内の一歯車になって行く。その後、フランス・ブルボン王朝に代表される巨大な絶対王朝による国家間の戦争、フランス革命後のナポレオン時代の到来において「祖国を守る」という意識が持たれるように意識変化があったものの、傭兵が国家の軍隊の一歯車になってしまったことには変わりはなかった。

人生は勝ち続きというわけにはいかない

2007年12月02日 | My Diary
最初に入社した会社の同期入社連中と久しぶりに飲んだ席で教えてもらった台詞です。

「人生は勝ち続きというわけには行かない」

小説家というよりもギャンブラーであった阿佐田哲也氏の台詞だったとのこと。氏は晩年競馬に行って、真剣勝負の末に百万、二百万円を失っても、嬉しそうな顔をしていたんだそうだ。人生は何勝何敗か判らないが、勝ち続けることはありえない。何勝であっても勝ったときには大きく勝ち、負けたときには損失を小さくするのがギャンブルのみならず人生の哲理と思っていたようだ。それ故に氏にとって、真剣勝負の末の負けが百万、二百万円ならば、人生の数限りある負け勝負を「安く済ませることができた」程度のことでしかなく、そのためにその程度の負けは嬉しいことと達観できたのだそうだ。

このところの株の下落相場で損失が膨らんでしまったわが身に当てはめて、損切りの極意もこれなんだろうな、損をするのが嫌で全勝を狙ってしまったが故に却って損失が膨らんでしまった自分の愚かさが身に染みたのでした。

高樹沙耶

2007年10月20日 | My Diary
スカパーで放送しているチャンネルLaLaTVで高樹沙耶を見ました。そして一機にファンになってしまいました。彼女のエコに対して本格的に取り組む姿勢、何よりも肩から力が抜けていて気取りが全くなく自然体で生きている姿が好感でした。

オーストラリアでアボリジニと暮らした3日間で、魂と肉体の出会いを体感したと語っていたのですが、その言葉の飾らないこと。力みがなく、言葉がごくごく自然に出てくる様は、決して創作した作り話ではないことが一目瞭然に判ります。

人生の色々な転機の時期の星の巡りを番組ホストの鏡リュウジが解説すると、そうだったですねとこれまた感心して相槌を打つ様も好印象でした。世のすべての生き物や出来事を、ありがたみを感じつつ受け入れる、そんな姿勢もエコから出ているように思いましたね。

高樹沙耶というタレントは、フリーダイビングの記録を一時持っていた女優であることは知っていましたが、良くは知らなかった。番組始めの紹介で、1963年生まれと表示されていたのを見た時は、44歳であの容姿だときっとプチ整形していたり、あちこちのエステに通っているに違いない、そんな女優がエコ生活なんて表面だけの見せ掛けだけに違いないと思ったのですが、彼女の気取りない話と話し振りを聞いていると、そんなことは勝手な誤解で、実物の彼女はとっても魅力的は人物であることが短い時間でよく判りました。

番組名は「鏡リュウジの星ものがたり」。西洋占星術研究家の鏡リュウジが毎回ゲストを招いて、星座の話をしながらゲストにあれこれ話を聞くという番組です。

東京タワー

2007年03月04日 | My Diary
子供の時以来の東京タワー見物



地上150メートルの展望台の床の一部がガラス嵌めこみとなっており、下を見下ろすことができるようになっている。こんな感じ。


日没間際まで居て日の入りを見ようと思ったのだが、霧だかガスだかのためにあと20分くらいというところで日が隠れてしまった。夜9時までの営業というので、夜景を見に行くのも一興かと思いました。

関西グルメ出張

2007年03月03日 | My Diary
今回の大阪出張(2泊3日)は愉しい出張でした。自分の担当している仕事のプレゼンを数回行うのが出張の内容でしたが、一緒にプレゼンをすることになった他社の人間が昔から知っている人だったので、気楽にできたこと、そして美味しいものを食べられたこと、そして泊まりが天然温泉つきのホテルだったこと。

初日の夕食は、「八幡浜はなれ」という魚料理のお店。愛媛の八幡浜から毎日魚を入れているというお店で、やがらの刺身とほうぼうのから揚げが大変に美味でした。ほうぼうは、身を食した後に骨を二度揚げしてくれるので、骨せんべいのように食することも出来て二度愉しめる。数人が座れるカウンターと4人掛けのテーブル席が3つというこじんまりした店でしたが、賑わっておりました。

翌日の昼は、神戸南京街で中華を愉しむ。昌園という海鮮広東料理の店で、チャーシュー、しらうおの揚げ物、カニ春雨、鮑と春野菜の炒め物、ねぎラーメン、炒飯というオーダー。を白魚の揚げ物は塩でいただくのですが、これが美味しいこと。炒飯は昔ながらの焼き飯で、葱の香りがプンとしてごはんがパラパラ。これを2人で食したから腹がいっぱいにならない訳がない。食後は腹ごなしに異人館跡の繁華街とトアロードを散策。歩き疲れると、神戸北野ホテルでお茶をする。コーヒー一杯とスイーツを2人前で3800円也。

夕食は緒にプレゼンをした4社4人が集って、世界のビールが愉しめる三宮にあるビアレストランへ。食事は今ひとつでしたが、各種のビールが愉しめるのが嬉しいお店でした。

という2泊3日でしたので、まことに結構な出張でした。

ダ・ヴィンチ・コード

2007年02月26日 | My Diary
金曜の夜から読み出したダ・ヴィンチ・コードを4日で読了。読み出したら止められない面白さがあった。ローマ教会が絶対の力を築き上げるために、キリストの教えを捻じ曲げて自分の都合のよいように聖書を書き換えたことに対して、テンプル騎士団の流れをくむシオン修道士会は何かを秘密裏に代々伝承してきた。レオナルド・ダ・ヴィンチ、アイザック・ニュ-トン、ジャン・コクトーといった西洋の英知たちが修道会のトップとして連綿と守り伝えてきた秘密。これがゾクゾクせずに読み進めましょうか。

読み出したら止まらない。単なる謎解きに葬られた裏の歴史、しかもキリスト教という絶大な影響力を持つ文化の裏側と来たら、好奇心をそそられること。上下2冊が読み通すのに週末を使ってしまいました。

ベストセラーになるほどの物語なので面白さは抜群だが、エンディングが良くないね。尻切れトンボとはこのことだね。折角歴史の裏側に隠されてきた秘密が明らかになるのかと思いきや、修道会は秘密を公にしないために秘密を守ってきたなんてなんてことだ!キリスト教社会で作られた小説だけに、教会の権威を打ち砕き、今までのキリストの教えに反するような秘密をぶちまけるようなことはできなかったのだろうね。これがもし仏教やイスラム教など、他の宗教だったらダン・ブラウンさんは何の気兼ねもなくその宗教の教えをぶち壊すようなエンディングを作ることを躊躇わなかったはずだよ。自らが育った世界を崩しえなかったんだね、良識人として。