何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

女医が乳がんになったとき

2005-10-10 21:39:47 | Book Reviews
 医者が自らの闘病記を著したものは珍しくないが、記憶にある範囲では男性医師のそれが圧倒的に多いような気がして、女医の場合はどうなんだろう、、、というのが読む前にあった。医者だから、およそ自分の病気の診断も予後もよくわかってしまうわけで、そこでの葛藤や、自分が患者の立場になってようやく患者の気持ちに気づいた、、、なんてお定まりのコースかな、そうであって欲しくないが、、、という期待で読み始める。

 『女医が乳がんになったとき』(ぶんか社文庫)ISBN 4-8211-5009-3

 男性の医師との違いは、健康面、仕事面に加えて母親としての責務を負っているところ。その点、男性には父親としての側面があるはずなのだが、仕事で責任を果たすことが、あたかも背中で子どもに語りかけているようでもあり、そこまで生活臭が前面に出ていないような気もする。精神的な重荷の性質が違うようだ。

 しかし、やはり医者だ。自分の治療方針を探り、選択し、健康を保ち、自ら身体的側面で活路を切り開くストーリーになっている。それがほとんどと言ってもよい。そういうことができるのも、やはり医者ならではの「幸せ」なのかもしれない。

 でも、よくよく考えてみれば、医者でがんを患うなんてことは、珍しくもなんともない。それを公けに手記にするかだけかもしれない。離婚のくだりは、“迫力”があったが、その他は残念ながらお定まりの葛藤の域を出ているようには思えなかった。

 目の前の患者に、人として興味を持つ医師
 「だからどうした」というのだろうか。当り前のことだと思うのだが。

 お勧め度 ★★★☆☆
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武蔵野市市長選挙

2005-10-09 22:59:26 | よくわからないこと
 土屋前市長が衆議院選挙に出た後をめぐって行われた武蔵野市長選挙。

 結果は、民主等が推薦した「むらかみ守正」候補の勝ち
 これで都議選、衆議院議員選挙、に次いで、民主党が3連勝。自民党は3連敗。そんなに武蔵野市は民主系が強いのか、アンチ自民なのか。菅直人の影響か。自民党もこの地域だけはなかなか思うようにならないようだ。

 吉祥寺、三鷹、武蔵境と、それぞれ特徴のある町を3つ抱える武蔵野市。どうしてこのような結果が出たのか、わからない。土屋政権が長すぎたのか。近隣と比べて、さほど特別の事情があるようには思えないのだが。周辺の地域が自民が強いものだから、せめてこの地域だけは民主の灯を絶やさないようにしよう・・・なんて空気になるのか。

 ついに市長のポストまで自民は明渡してしまった。どういうふうに変わるのか、楽しみだ。また土屋長期政権下でずっとやってきた議員が、長野県に田中康夫知事が来たときのように、抵抗勢力となってジャマに走るのか。

 次は、市議選かな・・・、少し前にしたような気もするが・・・ さて?
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

売れ売れ詐欺

2005-10-07 14:24:43 | 薬害は人災だ
 昨今、一般用医薬品(OTC)がコンビニ等でも扱われるようになった。いわゆる規制緩和が進んでいるのであるが、ドラッグストア(=薬店)ではさらに、新たな販売資格を創設して、その資格のある者にもOTCの販売を認めさせようとしている。

 つまり、医薬品の販売には薬剤師が立ち会うことが必須なのであり、あたかもスーパーマーケットのように好きなものをカゴに入れてレジで会計・・・という現状が実は「違法」なのである。

 新たな販売資格とは、
タテマエ は、医薬品は生命関連商品であり、危険性を伴うものだから、国民が適正に使える状況を作ることが重要で、そのために誰でも薬を扱えるのではなく、しかるべき人が行うべき、ということなんだが、
ホンネ は、薬剤師が不在で、またいたとしてもとてもできないから、そうでもしないと自分たちの存在事態が問われかねず、ひいては売り上げが確保できない、増やせないから、ということにすぎない。利益優先の世界だ。

 薬剤師がいない、店舗を開けている長時間をカバーするほど確保できない、いても十分力量を持った人が少ない、そういった事情があるのだ。

 消費者は、自己責任(事故責任?)で、必ずしも自分に合うかどうかはっきりしない、場合によっては危険かもしれない薬を選んで使っているかもしれない。
 だから薬店ではなく、薬剤師のいるところで、効果的かつ安全に薬を使おうとするのだ。
 そもそも、薬なんて たくさん使えば使うほどいいものではない
 だから、必要なときにだけ、必要最小量使うに留める ことだ。
 すなわち薬剤師や薬局は、いかに薬を使わないで済むようにするか、減らすか それが仕事と言ってもよい。

 さて、現在の薬の売られている状態を思い浮かべてもらいたい。あまりにも、どんどん買って、どんどん使って、それで体調を整えて・・・、まるで薬の本質を無視したようではないか。一般用医薬品といえども、「薬」だ。副作用という危険性を十分有したものだ。これまで何もないのは、ある意味、幸運だったともいえる。

 薬を薬として扱わない現在のありかた、薬剤師が自らの役割を果たさない、機能しない状態は、まさに 売れ売れ詐欺 ではないかと思った。
 
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡野工業「代表社員」岡野雅行さん、赤字覚悟でとんとん

2005-10-06 08:51:28 | 思いつくまま
 一昨日(2005.10.5)の朝日新聞・朝刊「仕事・考」に、岡野さんへのインタビュー記事があることを知人から紹介を受けた。

 言っちゃあなんだけど、不景気になったって忙しいんだ、ウチの工場は。売り上げ? 年商6億円っていってるけど、金のことは女房に任せっきりでオレはよく知らない。

 ただね、職人が金のために働いたら、いいモノができるわけがない。1千万で受注した品物を、なんとか600万で仕上げて、もうけたいと考えたら終わりだよ。

 1千万で受注して、1200万円かかったって納得できる製品をつくる。赤字でも「さすが岡野さんだ」と認められれば、いずれ利益としてはね返ってくる。金を追っかけるから金が逃げる。仕事を追っかける。そうすれば後から金はついてくるよ。

 本当はね、大きな会社ならウチが開発したような製品は、挑戦すればできるんだよ。なぜできないか。責任をとる人間がいないからだ。優等生ばっかしだから。

 難しい仕事っていうのは失敗の連続だ。でもサラリーマンは自分が先走って、何もできなかったら、月給少なくなったり、とばされたりさ、大変だろ。怖いから、やらないほうがいいもんな。違うかい?

 会社をもっと大きくしないのかって? そんなことはこれっぽっちも思わない。6人を200人にして苦労するより、楽しく働けて、職人に臨時ボーナスもだせて、ノルマもない。そういう東京の下町の町工場がいいんだ。

 主だった部分を引用したが、とても我が社にあてはめようにも、正反対すぎる。
 この岡野さんというオジサン、ちょっとユニークな変わり者(失礼!)かな、と思っていたら、有名人だった。知らなかった。著書も出ている。講演も数多くこなしている。

 この岡野さんからのアウトプットに触れて感銘を受けた人も、世の中にはたくさんいるということになる。それにしては、あまり“岡野イズム”はあまり広まっていないようだ。
 利益優先がすべての世の中だ。今の不景気なんて、利益優先志向がドンづまりに来ているようなものではないのか。

 金(儲け)のことが頭から離れて、とにかくいいものを作りたい ならば、企業は利益確保を社員に問わないことが重要だ。とにかく、いいものを作れ、いいサービスをしようじゃないか。なぜ、世の中の多くの経営者はそういえないのだろうか。

 失敗が怖くてできないだろ?、多くの会社では・・・ 岡野さんは、喝破する。失敗した時の経験が残る、なんて思いもつかないか、気休め程度にしか浮かばないのだろう、凡人には。失敗は次に開花するための肥やしなんだ・・・、そう考えているのではないか。

 仕事一筋なんだろうが、「代表社員」という言い方がまたニクい。ピラミッド構造は、いいものを生み出すための足枷になっていることを見抜いている。話が合う、コネを使う、社歴が長い・・・、昔はその要職についたとしても、その時代とともに力量を失ったにもかかわらず、上の地位に留まる会社構造に、集団の腐敗臭を感じ、自分から社員の目線に下りる、その気概が素晴らしい。本田宗一郎を思い出した。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9条改憲反対!、自民党に騙されるな!

2005-10-05 22:57:08 | 思いつくまま
9条は現行通り2項に 改憲草案で自民小委 (共同通信) - goo ニュース

 憲法9条が、世界に自慢できる、世界が羨む、世界に誇れる内容であることは、『憲法を変えて戦争に行こう という世の中にしないための18人の発言』(岩波ブックレットNo.657)で学んだ。

 この記事を見ていると、核心はぼやかして、どうも自民党の言いように、アメリカ寄りに憲法改正をするための、外堀を埋める作業のように見えてならない。自衛隊を軍隊として認め、派兵の道を開きたくて、ウズウズしているようだ。

 それを危惧している人は多いようで、<憲法世論調査>9条改正「反対」は62% という世論調査が出ている。

 少し長いが、引用しておく。
-----引用ここから
 毎日新聞は憲法問題について、全国世論調査(面接)を実施した。憲法改正に「賛成」と回答した人は58%で、「反対」の34%を上回った。戦争放棄や戦力の不保持を定めた9条については「変えるべきでない」が62%で、「変えるべきだ」の30%の2倍に達した。衆参両院の憲法調査会や自民、民主、公明各党による論議で国民に改憲への支持が広がる一方で、自民党が重視する9条改正についてはなお慎重な国民意識を示した。
 調査は9月2日から4日まで全国の4550人を対象に実施し、2418人から回答を得た。調査方法が異なるため単純に比較はできないが、昨年4月と今年4月の電話調査では、憲法を「改正すべきだ」が6割程度、「改正すべきでない」が3割で、ほぼ同じ傾向となっている。
 男女別では、男性は改憲派62%、護憲派33%であるのに対し、女性は改憲派54%、護憲派36%だった。世代別では30、40代で改憲派が各65%と最も多く、20~60代の各年代で5割を超えた。70代以上では賛成44%、反対40%と拮抗(きっこう)している。
 同時に、9条改正について聞いたところ「変えるべきでない」との答えが男性で57%、女性は67%に達した。「変えるべきだ」は、男性が38%、女性は23%にとどまった。世代別では、20代の70%が9条改正に反対したのをはじめ、30、50、70代以上の各世代で6割を超えた。改正賛成派は40代の36%が最高。
 9条改正賛成派にどの部分を変えるべきかを聞いたところ、戦力不保持と交戦権否認を規定した2項だけを「変えるべきだ」と答えた人が50%と最多。戦争放棄を定めた1項と2項の「両方とも」が35%と続き、1項だけを「変えるべきだ」は13%にとどまった。
 憲法96条の規定で、改憲には(1)衆参各院の総議員の3分の2以上の賛成による発議(2)国民投票で過半数の賛成――が必要。今回の衆院選で自民、公明両党は衆院の3分の2を超える327議席を獲得している。【松尾良】
(毎日新聞) - 10月5日3時7分更新
-----引用ここまで

 すぐには派兵しないだろう。しかし満を持するように、軍隊を持っていれば、いつかは使うことを考えて、機を見て“進軍”させる者が出るだろう。それを防ぐには、その断を下すことを防ぐのではなく、武力を持たないことなのだと思う。

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

添付文書という呼び方

2005-10-05 13:08:09 | くすり雑感
 昔は「能書」(のうがき、のうしょ)と呼ばれた時代もあったようだが、添付文書という言い方が一般的かと思う。

 テレビで、一般用医薬品の宣伝があると、必ず最後に「 使用上の注意をよく読んでお使いください 」というメッセージが入る。

 それを何気なく聞いて、日頃、医療の現場で働く我々は、添付文書中の「使用上の注意」の項 をよく読んで使え、ということだな・・・、と理解する。そうだよ、そこが一番大切なんだってば、その通りさ。何も疑わない。

 医家向けの、医療用医薬品の添付文書は、箱を開ければ入っているからいいが、一般用医薬品の添付文書は、箱を開封しなければ、我々は手にとって見ることができない。開封して、添付文書を見ることができても、その商品は販売できなくなるから、むやみに開封もできない。

 そこで、メーカーのホームページを見る。狙いは、一般用医薬品の添付文書のダウンロードだ。単に添付文書の内容を知ることができればいいのではなく、イラストなども含めて、現物と同じものが見たい のである。

 ところが、ホームページに辿りついてみると、「使用上の注意」がダウンロードできるようになっているメーカーがあり、「添付文書」とは書いてない(三共、ゼファーマ、武田薬品)。

 そう、これらのメーカーでは、一般用医薬品の添付文書を、「使用上の注意」と呼ぶ  のである。もちろん、添付文書と呼んでいるメーカーもある(アラクス、エーザイ)。説明書と称しているところもある(大正)。

 添付文書とは、「効能・効果」を除けば、すべて“使用上の注意”だ! という考えかたもあるので、呼称にひどくこだわるつもりはないが、一般の人が迷いなく使うことができるためには、揃えたほうがいいかもしれない。

 添付文書を見るのか、使用上の注意を見るのか、添付文書中の「使用上の注意」を見るのか、OTCの現状はあいまいであることは確かなようだ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入院時の服薬管理をスムーズにバトンタッチ

2005-10-03 15:35:04 | 薬害は人災だ
 しばらく前から、病院薬剤師において、入院時に(=入院直前まで)服薬している薬を把握して、すみやかに入院加療を進める活動が脚光を浴びている。
 当り前といえば当り前、前からやっていたといえばそう、近年それを 病院薬剤師の重要な活動のひとつとして位置づけた ことに意味がある。

 目新しいことでない、といったら身も蓋もないが、位置づけないと医者に任せていたり、看護師が行っていたり、薬のことなのに専門家がサボっていたことにもなってしまいかねない。それこそ薬剤師の存在意義を失いかねないところだった。

 外来から入院へと治療の場が移るということは、開局薬剤師から病院薬剤師へ患者さんを引き渡すことになる。ということは、引継ぎの場面で、薬剤師間に何らかの連携があってもよい と考える。いや、あるべきだろう。

▽入院時には被保険者証とともに、お薬手帳等の服薬の様子がわかるものを持参させる
▽患者さんの了解(同意)のもと、さらに確認したいことがあれば、開局側はそれに応じる意思がある

 ことを明確にするとよいのではないか。とくに後者は、患者さんを通じて、病院薬剤師側に伝えるもので、いわば 入院先の医療機関(薬剤部)に開局側からトラックバックを送るようなもの である。

 患者さんは、どこに入院するかわからない。薬剤師同士が、特定の医療機関同士で知り合っていても、患者さんの引継ぎには限界がある。お互いが見ず知らずでも、患者さんの治療をスムーズに継続するうえで、前向きに係り合う意思表明は重要だろう。

 このことは、薬剤師がその存在を示すことはもちろんだが、そもそも(それ以前に)患者さんのメリットに繋がることを、患者さん自身にも知らせておくとよい。

●入院前の服薬状況を伝えることは、入院後のすみやかな治療計画の実施につながること(たとえば副作用で入院したのであれば、原因を把握しやすい)
●他院で服薬中の薬があるのなら、院内採用薬を考慮して、その薬の手配(準備)が容易になること
●入院後の服用薬(注射等も含む)と、それまでの服用薬との間で、相互作用や重複投与を避けることができること

 など、患者さん自身のメリットが最大の理由である ことを前面に、推進してはどうかと思う。薬薬連携の新しい展開にもなろう(おおげさかな)。

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薬害の原因は薬だと思っていませんか?

2005-10-03 13:45:47 | 薬害は人災だ
薬害の原因は薬だと思っていませんか?

 正直言って、このタイトルを見たとき、少し驚いた。ギョッとした。その通りだと思うんだけど、ついにそこまで言うか、言う時が来たのか、と一瞬身震いした。

 このタイトルは、全国薬害被害者団体連合会(薬被連) による 薬害根絶フォーラム のテーマだ。

 薬という化学物質そのものに、罪はない。それを世に出したのは誰か? 杜撰な使い方をしていたのは誰か? 被害者をいたずらに増やしてしまったのは誰か? そのようなことを問い掛けている。

 自然発生的に起こったのではない。そこには何らかの立場にいる「人」が係っているのだ。ということは、それぞれの場面で薬に携わる「人」が、必要な役割を果たしていけば、薬害は防げるということだ。
 薬害という、許すことの出来ないレベルから、副作用というやむをえないレベルに、不都合を抑えることができる。

 しかし、薬害に「歴史」があるように、必要なことが行われてこなかった。それは作業的に、あるプロセスが組み込まれていなかったのだろうか。それとともに、倫理的なものが欠けていたこともあるだろう。科学者としての使命感も必要だ。

 いまサリドマイドが改めて医薬品として復活しようとしている。薬の世界から追放されたものが、過去の教訓をふまえることで、復活が認められようとしている。果たして、二度と同じ被害が今後発生しないと言い切れるのか?
 使われ方に厳しい管理をすることで、この世から「薬」としての居場所を失った物質に、再びチャンスを与える道が開かれるのかどうか、薬害の歴史の中で“罪をかぶせられた他の物質”も、固唾を飲んでサリドマイドの使われ方を見守っている。ひっとしたら、開発段階で、治験でやはり世にでることを許されなかった物質だって、オレも晴れてシャバに出ることができるかも、なんて期待を持ってみているかもしれない。

 サリドマイドにせよ、薬害はなくさねばならない。しかし薬害がなくなれば、それを知る人が減って、やがては忘れ去られて、喉もとすぎたころに被害が繰り返されるおそれはないのだろうか。薬害の歴史、その事実だけは(特にその本質について)風化させることは許されないだろう。


Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする