ニュージェネリックとか、ニュータイプジェネリックと呼ばれる、単なる後発医薬品でなく、先発品にない付加価値をもたせたジェネリックがある。たとえば、小型化しているとか、味を改良したなどというもの。
この中のひとつの形態として分類されているもので、「倍量規格」と呼ばれるものがある。はたしてこれは、評価すべきものかどうか・・・。
確かに国の製造承認上は、ジェネリックである。成分も剤形も用途も、先発品以上のものはないので、先発品には属さない。しかし、どこかおかしい。 一般名処方でも代替調剤でも、調剤に供されることはない。 わざわざ先発品にはない、倍量規格の製剤を指定した処方せんの書き方にしないといけない。これでは、ジェネリックメーカーが、少しでも自社品を使ってもらおうとする戦略ではないか。
1回に2個飲むところを、1個で済ませることができるという利用価値はあるが、先発品を意識して一般名処方を書いても、現行の調剤ルールではこの倍量規格のものが使えることにはならない。代替処方でも同様だ。倍量規格の存在を知っているものだけが、調剤できるというシロモノだ。利用価値があっても、調剤面で特定メーカーの製品を強制させるようなものは、どこか商売優先の、あくどい感じがして、なんか好きになれない。
ジェネリックは、先発品から容易に移行できて、医療の質を下げずにコストを下げるものだ。 一般名処方や代替調剤は、先発品も選択できる余地を持っているのであるが、この倍量規格はそれができない。 ジェネリックメーカーのものを使わざるをえない。
果たしてこのような存在はいかがなものであろうか
この中のひとつの形態として分類されているもので、「倍量規格」と呼ばれるものがある。はたしてこれは、評価すべきものかどうか・・・。
確かに国の製造承認上は、ジェネリックである。成分も剤形も用途も、先発品以上のものはないので、先発品には属さない。しかし、どこかおかしい。 一般名処方でも代替調剤でも、調剤に供されることはない。 わざわざ先発品にはない、倍量規格の製剤を指定した処方せんの書き方にしないといけない。これでは、ジェネリックメーカーが、少しでも自社品を使ってもらおうとする戦略ではないか。
1回に2個飲むところを、1個で済ませることができるという利用価値はあるが、先発品を意識して一般名処方を書いても、現行の調剤ルールではこの倍量規格のものが使えることにはならない。代替処方でも同様だ。倍量規格の存在を知っているものだけが、調剤できるというシロモノだ。利用価値があっても、調剤面で特定メーカーの製品を強制させるようなものは、どこか商売優先の、あくどい感じがして、なんか好きになれない。
ジェネリックは、先発品から容易に移行できて、医療の質を下げずにコストを下げるものだ。 一般名処方や代替調剤は、先発品も選択できる余地を持っているのであるが、この倍量規格はそれができない。 ジェネリックメーカーのものを使わざるをえない。
果たしてこのような存在はいかがなものであろうか
私がある病院様に営業活動を行った際、そちらの薬局長様はジェネリックに求めるものとして、薬価差・差益もさることながら「付加価値」を挙げられました。後発はその剤形や規格などに「低コスト」で工夫を加えられる・・・。ジェネリックメーカーが多数存在し、そのメーカー選択にも悩まされる中、こういった品揃えの良さということも信用性の指標になってきているのでしょうね。ジェネリックのMSとして、「患者さんに質の良い医療をより安価に」が本来の目的である事を忘れずに活動したいものです。
長くなってしまい、すみませんでした。また寄らせて頂きます。
ニュータイプジェネリックについて、基本的に付加価値を考慮することに賛成です。ジェネリックには薬価差益しか“価値”がないように扱われていましたが、そうではなかろうと思います。先発品に与える影響もあるでしょう。
ただ、その中でも、倍量規格や半量規格においては、薬局だけでそれらに変更できない規制が働いていますので、それが解除されれば、さらに価値の範囲が拡大されると思います。
今後ともご意見をお聞かせください。