「うそをつかない医療 患者と医療者をつなぐ仕事」 豊田郁子・著、亜紀書房、2010年3月15日
p.6-7 被害者の気持ち・感覚、考え方を医療現場に伝えることができれば、病院の対応はずいぶん変わるのではないか。想像上の被害者・遺族の気持ちでなく、実際の被害者・遺族の気持ちがわかれば、少なくとも配慮を欠いた対応はなくなるのではないか。
p.54 なぜ、(被害者は裁判で)勝てないと判断されたかといえば、息子のケースは「医療の技術上の過失ではなく、医師の不作為にあたる」からです。「何もしなかったことは、ミスだとは認められにくいのです。弁護士からは、医師の不作為で争って被害者側が勝った例はこれまでほとんどないと言われました。刑事で行政処分とは連動しているので、刑事で不起訴になれば行政処分もありません。そして、民事でも訴えられない。
p.56-7 言葉一つで許せることも許せなくなります。被害に遭った患者・家族は、平常な状態よりもずっと傷つきやすくなっています。そして、病院という大きな組織に個人で向き合い、なんとか事実を突き止めたいと必死になっています。そのために、ほんのひと言がぐさりと胸を刺すのです。
p.75 「救急外来であれだけ危機感を感じていたのに、私たちはそれを引き継げなかった。その責任は重いと思っています」
p.95・97 「言い訳は禁句」と、事故を起こした当事者が経緯を説明しようとすると、そうさえぎる人もいます。そう言われてしまっては、正直に自分が思ったことを口にできず、聞き取りをする側の「指導」や「アドバイス」に添ったことを答えていくことになります。それを続けていくと、突然、当事者が怒りをぶつけるような態度をとることがあります。自分の思いを聞いてもらえず、強制されているような雰囲気に、がまんができなくなるのです。
p.97-8 患者・家族は、医療事故によって大きな傷を受けます。しかし、その傷を、第三者に癒してほしいとは思っていません。病院側に誠実に対応され、どんな経緯でそうなったのかが解明されていくなかで、少しずつ落ち着きを取り戻し。回復していきます。患者・家族は、ショックのあまり、自分の傷ついた心を治すことは、視野にありません。ただ、ひたすら、何が起こったのか知りたいと望みます。
p.99 私がセーフティー・マネージャーとしてかかわったケースでは、当事者の医療者には「いま、患者さんはこういう状態で元気にしていますよ」「ご家族とはこのように連絡をとっていますよ」と、被害者には「先生にもご家族の様子はお伝えしていますよ」「院内では再発防止のためにこういう取り組みをしています」などと、相互の様子をできる範囲で伝えるようにしています。すると、そのことによって、被害者・医療者双方が立ち直っていくことがあるのです。
p.121 「訴訟になる場合、患者がクレーマーでないことは確かだ」
p.124 あるとき、家族の方がこう言いました。「病院が逃げなかったことがうれしい」
医療に関する事故やトラブルは、命や健康に大きくかかわることですから、患者・家族が一度や二度の説明で納得できることはまれです。すぐに「問題のあるクレーマー」と思ってしまわず、粘り強く説明し、対話を続けていくことが必要なのです。
p.135 医療事故やミスは、だれか一人のスタッフにすべての責任があるという状況は少ないと思います。コミュニケーションの問題やシステムの問題、あるいは人手不足や機器の不備など、その病院全体が抱えている問題が、直接的に、あるいは間接的にかかわっているはずです。 #RM
p.154 医療安全対策室という正式名称がかたいためか、ふだんは「患者支援室」と呼ばれています。
p.171 ヒエラルキーの強固な病院や、患者・家族に対して情報を隠蔽しようとする体質をもった病院では、いくら優秀な院内相談員を要請し、配置したとしても、本来の機能は果たせないでしょう。むしろ、院内相談員が病院と患者・家族との板挟みになってつぶれてしまう可能性もあります。
やはり、「患者とのパートナーシップを大切にする」文化、「うそをつかない」文化が病院にあってこそ、院内相談員という存在が生きてくるのだと思います。
p.175 医療者は、早くこのトラブルを解決したい、早く収拾して日常的業務に戻りたいと思っています。ところが、患者・家族は、早く解決したいのではなく、まず、とにかく事実や原因を知りたいのです。そのうえで解決をはかりたいと思っているのです。
p.175-6 「あなたたち(患者)には、医療現場のことはわからない」「あなたたち(医療者)には、病院に最愛の家族を殺された者の気持ちはわからない」と言い合い、憎しみ合うことからは、何も生まれません。医療者が患者・被害者の立場に立って考えて、対話していくなかでこそ、患者・被害者も医療者の気持ちが理解できるようになってくる、と思います。
p.183 医療者は患者を知らずしらずのうちに傷つけていることがありますが、それは相手の感情をほんとうは知っていないからです。
p.184 向き合う、というと正面で対峙する関係をイメージしがちですが、同じ方向へと気持ちが向かう、それが「向き合う」ということだと、私は思っています。
p.6-7 被害者の気持ち・感覚、考え方を医療現場に伝えることができれば、病院の対応はずいぶん変わるのではないか。想像上の被害者・遺族の気持ちでなく、実際の被害者・遺族の気持ちがわかれば、少なくとも配慮を欠いた対応はなくなるのではないか。
p.54 なぜ、(被害者は裁判で)勝てないと判断されたかといえば、息子のケースは「医療の技術上の過失ではなく、医師の不作為にあたる」からです。「何もしなかったことは、ミスだとは認められにくいのです。弁護士からは、医師の不作為で争って被害者側が勝った例はこれまでほとんどないと言われました。刑事で行政処分とは連動しているので、刑事で不起訴になれば行政処分もありません。そして、民事でも訴えられない。
p.56-7 言葉一つで許せることも許せなくなります。被害に遭った患者・家族は、平常な状態よりもずっと傷つきやすくなっています。そして、病院という大きな組織に個人で向き合い、なんとか事実を突き止めたいと必死になっています。そのために、ほんのひと言がぐさりと胸を刺すのです。
p.75 「救急外来であれだけ危機感を感じていたのに、私たちはそれを引き継げなかった。その責任は重いと思っています」
p.95・97 「言い訳は禁句」と、事故を起こした当事者が経緯を説明しようとすると、そうさえぎる人もいます。そう言われてしまっては、正直に自分が思ったことを口にできず、聞き取りをする側の「指導」や「アドバイス」に添ったことを答えていくことになります。それを続けていくと、突然、当事者が怒りをぶつけるような態度をとることがあります。自分の思いを聞いてもらえず、強制されているような雰囲気に、がまんができなくなるのです。
p.97-8 患者・家族は、医療事故によって大きな傷を受けます。しかし、その傷を、第三者に癒してほしいとは思っていません。病院側に誠実に対応され、どんな経緯でそうなったのかが解明されていくなかで、少しずつ落ち着きを取り戻し。回復していきます。患者・家族は、ショックのあまり、自分の傷ついた心を治すことは、視野にありません。ただ、ひたすら、何が起こったのか知りたいと望みます。
p.99 私がセーフティー・マネージャーとしてかかわったケースでは、当事者の医療者には「いま、患者さんはこういう状態で元気にしていますよ」「ご家族とはこのように連絡をとっていますよ」と、被害者には「先生にもご家族の様子はお伝えしていますよ」「院内では再発防止のためにこういう取り組みをしています」などと、相互の様子をできる範囲で伝えるようにしています。すると、そのことによって、被害者・医療者双方が立ち直っていくことがあるのです。
p.121 「訴訟になる場合、患者がクレーマーでないことは確かだ」
p.124 あるとき、家族の方がこう言いました。「病院が逃げなかったことがうれしい」
医療に関する事故やトラブルは、命や健康に大きくかかわることですから、患者・家族が一度や二度の説明で納得できることはまれです。すぐに「問題のあるクレーマー」と思ってしまわず、粘り強く説明し、対話を続けていくことが必要なのです。
p.135 医療事故やミスは、だれか一人のスタッフにすべての責任があるという状況は少ないと思います。コミュニケーションの問題やシステムの問題、あるいは人手不足や機器の不備など、その病院全体が抱えている問題が、直接的に、あるいは間接的にかかわっているはずです。 #RM
p.154 医療安全対策室という正式名称がかたいためか、ふだんは「患者支援室」と呼ばれています。
p.171 ヒエラルキーの強固な病院や、患者・家族に対して情報を隠蔽しようとする体質をもった病院では、いくら優秀な院内相談員を要請し、配置したとしても、本来の機能は果たせないでしょう。むしろ、院内相談員が病院と患者・家族との板挟みになってつぶれてしまう可能性もあります。
やはり、「患者とのパートナーシップを大切にする」文化、「うそをつかない」文化が病院にあってこそ、院内相談員という存在が生きてくるのだと思います。
p.175 医療者は、早くこのトラブルを解決したい、早く収拾して日常的業務に戻りたいと思っています。ところが、患者・家族は、早く解決したいのではなく、まず、とにかく事実や原因を知りたいのです。そのうえで解決をはかりたいと思っているのです。
p.175-6 「あなたたち(患者)には、医療現場のことはわからない」「あなたたち(医療者)には、病院に最愛の家族を殺された者の気持ちはわからない」と言い合い、憎しみ合うことからは、何も生まれません。医療者が患者・被害者の立場に立って考えて、対話していくなかでこそ、患者・被害者も医療者の気持ちが理解できるようになってくる、と思います。
p.183 医療者は患者を知らずしらずのうちに傷つけていることがありますが、それは相手の感情をほんとうは知っていないからです。
p.184 向き合う、というと正面で対峙する関係をイメージしがちですが、同じ方向へと気持ちが向かう、それが「向き合う」ということだと、私は思っています。
私は、何も知らない、胃癌か、胃潰瘍か病名を知りたい。
と理事長日野原重明氏に対応を求めても全く対応しない。困っていたら「嘘をつかない医療」を見たので事実を
投稿しました。組織ぐるみの嘘をつく。
詳細がわからないのでコメントが難しいのですが、一般に本人が病名を知りたいということで主治医に尋ねれば、知ることが出来ると思われます。
精神的に苦痛の中に置かれておられるであろうことはお察しします。