「采配」 落合博満・著、ダイヤモンド社、2011年11月17日
p.19 (監督に嫌われているんじゃないかと)そう思う前に、やることはいくらでもあるだろう。大切なのは、「自分の置かれている立場を、自分自身で正当に自己評価すること」である。正当にというのは、自分と向き合い、冷静に組織の中における今の自分の立ち位置を見るということ。「自分が監督やコーチだったら、今のオレはどう評価されるだろう」と客観視することだ。
p.23 人生にはさまざまな道がある。どうせ歩むなら、逃げ道を後ずさりしていくよりも、栄光への道を、模索しながら、泥だらけになりながらでもいいから、一歩ずつ前進していきたいものだ。
p.55 私は「選手は育てるのではなく、自分で育つものだ」と繰り返し言っている。基本を教えてくれたコーチや先輩はいるにせよ、自分自身が「この世界で一人前になってやろう」という意識を強く持ち、できることを増やし、その質を高めていったからこそ一人前になれたわけだ。そう考えると、「一流には自力でなれる」というよりも「自力があってこそ一流を目指せる」ということになる。
p.81 ビジネスの世界でも、成果を上げやすくしていくためのマニュアルはあるはずだ。しかし、「こうすれば絶対に勝てる」、「こうすれば絶対に売れる」という勝利の方程式はあるのだろうか。
p.83 勝負に絶対はない。しかし、「勝負の方程式」を駆使して最善の策を講じていけば、仮に負けても次に勝つ道筋が見える。そう考え、戦ってきたのだ。
p.123 私ができる限り選手を自由にさせたいと考えているのは、自由というものが最大の規律になるからである。
p.176 変わるべき部分と変わってはいけない部分を見極めるためには、毎日見ているよいも何日かおきに見たほうがいいということに気づいた。
p.190 企業経営者と話をしても、常に考えているのは「どうやって利益を上げようか」ではなく、「いかに社員とその家族の生活を守っていくか」である。その目的を達成するためなら、自分は嫌われたって恨まれたって構わない。それが監督を引き受けた時の覚悟であり、チームを指揮している間、第一に考えていたことである。
p.208 気持ちを切り替える場面で本当にしなければならないのは、ミスの原因をしっかりと精査し、次に同じような場面に出くわしたらどうするのか、その答えを弾き出してから次へ進むことである。気持ちを切り替えてミスがなくなるのなら、初めから切り替えた気持ちでやれば済むことではないか。私は「開き直る」という言葉も同じ種類だと分類している。
p.218 こちらで「○時までな」と時間を決めてしまうと、どうしても「その時間をやりすごそう」という感覚が生まれてくる。だが、監督やコーチが時間制限を設けなければ、選手は自分が納得するまでやり遂げる。こういう気持ちで練習に取り組むことが、自己成長を促し「自分の野球人生に自分で責任を持つ」という考え方を育んでいく。
p.219-20 「自分から練習に打ち込んでいる間は、オーバーワークだと感じても絶対にストップをかけるな」
指導者は、選手に対して絶対に気を遣ってはいけない。その代わり、全身全霊で練習に打ち込む選手に配慮してやることが必要なのだ。そこで、私はコーチにもうひとつ声をかけている。
「どんなに遅くなっても、練習している選手より先に帰るなよ。最後まで選手を見ていてやれよ」
p.224 いい結果が続いている時でもその理由を分析し、結果が出なくなってきた時の準備をしておきたい。そして、負けが続いた時もその理由を分析し、次の勝ちにつなげられるような負け方を模索すべきなのだ。
p.228 どんな仕事でも、目立つ成果を求めるのなら、それに見合ったバックアップが必要だ。私が監督としてある程度の成果を上げられたのも、白井文吾オーナーから監督就任の要請をいただき、現場の要望を十分に受け入れてもらったからだ。もし、「日本一になったら要望を聞いてやろう」と言われていたら、いつまで経っても優勝できなかったかもしれない。反対に、バックアップもするが口を挟むという感じで現場に介入されていたら、それも思い描いた成果にはつながらなかっただろう。
p.248 人間関係の上での環境に関しては「自分に合うか合わないか」などという物差しで考えず、「目の前にある仕事にしっかり取り組もう」と割り切るべきだと思う。
p.281 技術、仕事の進め方というものには「絶対的な基本」がある。しかし、「絶対的な方法論」はない。
p.19 (監督に嫌われているんじゃないかと)そう思う前に、やることはいくらでもあるだろう。大切なのは、「自分の置かれている立場を、自分自身で正当に自己評価すること」である。正当にというのは、自分と向き合い、冷静に組織の中における今の自分の立ち位置を見るということ。「自分が監督やコーチだったら、今のオレはどう評価されるだろう」と客観視することだ。
p.23 人生にはさまざまな道がある。どうせ歩むなら、逃げ道を後ずさりしていくよりも、栄光への道を、模索しながら、泥だらけになりながらでもいいから、一歩ずつ前進していきたいものだ。
p.55 私は「選手は育てるのではなく、自分で育つものだ」と繰り返し言っている。基本を教えてくれたコーチや先輩はいるにせよ、自分自身が「この世界で一人前になってやろう」という意識を強く持ち、できることを増やし、その質を高めていったからこそ一人前になれたわけだ。そう考えると、「一流には自力でなれる」というよりも「自力があってこそ一流を目指せる」ということになる。
p.81 ビジネスの世界でも、成果を上げやすくしていくためのマニュアルはあるはずだ。しかし、「こうすれば絶対に勝てる」、「こうすれば絶対に売れる」という勝利の方程式はあるのだろうか。
p.83 勝負に絶対はない。しかし、「勝負の方程式」を駆使して最善の策を講じていけば、仮に負けても次に勝つ道筋が見える。そう考え、戦ってきたのだ。
p.123 私ができる限り選手を自由にさせたいと考えているのは、自由というものが最大の規律になるからである。
p.176 変わるべき部分と変わってはいけない部分を見極めるためには、毎日見ているよいも何日かおきに見たほうがいいということに気づいた。
p.190 企業経営者と話をしても、常に考えているのは「どうやって利益を上げようか」ではなく、「いかに社員とその家族の生活を守っていくか」である。その目的を達成するためなら、自分は嫌われたって恨まれたって構わない。それが監督を引き受けた時の覚悟であり、チームを指揮している間、第一に考えていたことである。
p.208 気持ちを切り替える場面で本当にしなければならないのは、ミスの原因をしっかりと精査し、次に同じような場面に出くわしたらどうするのか、その答えを弾き出してから次へ進むことである。気持ちを切り替えてミスがなくなるのなら、初めから切り替えた気持ちでやれば済むことではないか。私は「開き直る」という言葉も同じ種類だと分類している。
p.218 こちらで「○時までな」と時間を決めてしまうと、どうしても「その時間をやりすごそう」という感覚が生まれてくる。だが、監督やコーチが時間制限を設けなければ、選手は自分が納得するまでやり遂げる。こういう気持ちで練習に取り組むことが、自己成長を促し「自分の野球人生に自分で責任を持つ」という考え方を育んでいく。
p.219-20 「自分から練習に打ち込んでいる間は、オーバーワークだと感じても絶対にストップをかけるな」
指導者は、選手に対して絶対に気を遣ってはいけない。その代わり、全身全霊で練習に打ち込む選手に配慮してやることが必要なのだ。そこで、私はコーチにもうひとつ声をかけている。
「どんなに遅くなっても、練習している選手より先に帰るなよ。最後まで選手を見ていてやれよ」
p.224 いい結果が続いている時でもその理由を分析し、結果が出なくなってきた時の準備をしておきたい。そして、負けが続いた時もその理由を分析し、次の勝ちにつなげられるような負け方を模索すべきなのだ。
p.228 どんな仕事でも、目立つ成果を求めるのなら、それに見合ったバックアップが必要だ。私が監督としてある程度の成果を上げられたのも、白井文吾オーナーから監督就任の要請をいただき、現場の要望を十分に受け入れてもらったからだ。もし、「日本一になったら要望を聞いてやろう」と言われていたら、いつまで経っても優勝できなかったかもしれない。反対に、バックアップもするが口を挟むという感じで現場に介入されていたら、それも思い描いた成果にはつながらなかっただろう。
p.248 人間関係の上での環境に関しては「自分に合うか合わないか」などという物差しで考えず、「目の前にある仕事にしっかり取り組もう」と割り切るべきだと思う。
p.281 技術、仕事の進め方というものには「絶対的な基本」がある。しかし、「絶対的な方法論」はない。
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