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※- STAP細胞:小保方さん・自分に言い聞かせ頑張ってきた 2014年01月30日
1月30日、STAP細胞の作製に成功した理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの研究ユニットリーダー、小保方晴子さんは、「あした失敗したらこの実験はやめようかな」と思ったり、「きょうだけは頑張ろう、あすは頑張ろう」と毎日のように自分に言い聞かせたりしてきたと話しています。
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小保方晴子さんは、昭和58年生まれの30歳で、幼いころから再生医療に関心を持っていました。
早稲田大学を卒業後、大学院時代は東京女子医科大学・先端生命研究所の研修生として、再生医療などについての共同研究を行い、平成23年からは、アメリカのハーバード大学で、体の細胞の元となる細胞、「幹細胞」と生物の再生についての研究を行いました。
今回の研究生活につながる実験は、アメリカ留学中に取り組み始めましたが、試行錯誤の連続でした。
体の細胞の元となる細胞が、皮膚や血管などの組織や臓器を作る細胞に変わる「分化」が起きると、それ以前の状態に戻ることは、基本的には起こりえないと以前は考えられていました。
小保方さんの研究は、これを覆すもので、初めにイギリスの科学雑誌に論文を投稿したところ、「あなたは、過去何百年にもおよぶ細胞生物学の歴史をばかにしている」と返答され、悔しい思いをしたと小保方さんは会見で話していました。
研究は5年間に及びましたが、その間、「きっとそれは間違いだ」と周囲の人から言われることもあり、小保方さんは、「あした失敗したらこの実験はやめようかな」と思ったり、「きょうだけは頑張ろう、あすは頑張ろう」と毎日のように自分に言い聞かせ、ときには、泣き明かした夜もあったといいます。
そんな小保方さんですが、趣味は、ペットとして飼育しているカメの世話や温泉、ショッピングで、みずから「普通の女の子です」と話しています。
研究室の壁をお気に入りのピンク色にして、大好きな「ムーミン」の人形を置き、白衣の代わりにふだんから愛用している「かっぽう着」で、研究に取り組んでいます。
研究成果の発表では、「お風呂に入っているときも研究のことが頭を離れませんでした」と述べる場面もあり、研究熱心な姿勢を改めて印象づけました。
≪ STAP研究の着想と経緯 ≫
小保方さんが、STAP細胞のアイディアを思いついたのは20代半ば。
アメリカのハーバード大学医学部に留学していたときでした。
マウスの神経や筋肉の細胞を細長い管に入れて通す実験をしていたところ、管に入れたものとは異なる小さい細胞が出てきたのです。
この小さい細胞を詳しく調べると、iPS細胞など、いわゆる万能細胞にあるOct4という遺伝子が活発に働いていました。
神経や筋肉の細胞が、細長い管の中を通る刺激で、万能性を獲得するような変化を起こしたのではないか。
小保方さんが、STAP細胞の発想を得た瞬間でした。
しかし、外部からの刺激だけで細胞が万能性を獲得するという考えは、生物学の常識からは外れたものでした。
周囲からの理解もなかなか得られなかったといいます。
そうした小保方さんに転機が訪れたのは、3年前。
神戸の理化学研究所に移ったときです。
クローン技術で世界的に知られた研究者、若山照彦さんが上司となり、この発想を理解してくれました。
小保方さんは、若山さんと一緒に動物実験を進め刺激を与えて出来た細胞に万能性があることを証明しようとします。
データをそろえてイギリスの権威ある科学雑誌「ネイチャー」に投稿しましたが、「あなたは過去数百年にわたる細胞生物学の歴史を愚弄している」と厳しいコメントを受け取ったといいます。
しかし諦めず実験を続け、多くのデータをそろえて再びネイチャーに投稿。
今回、ようやくその研究成果が世界に認められました。
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≪ 自分を信じて頑張っていた ≫
小保方さんが所属する神戸市の理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの副センター長で、共同研究者でもある笹井芳樹さんは、「初めに論文が却下され、心が折れそうになったときも、小保方さんは自分を信じて頑張っていた」と振り返りました。
そのうえで、「理化学研究所には、この分野の世界で有数の研究者たちがいたので、小保方さんはさまざまな場面でアドバイスを求めていた。研究者たちも小保方さんが興味深いことに挑戦していると感じ、『一肌脱いでやろうじゃないか』と難しい実験を支援してくれた。研究者の心意気のようなものが厳しい時期の彼女を支えたと感じている」と話していました
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