@Keikoi39 素敵なお写真を、ありがとうございます。実は今日、高尾山古墳を訪ねて来ました。その後、発掘品を見て来たのですが、悠久の時に触れる優れた機会となりました。ぜひまたいらして下さい!
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月18日 - 17:58
7/28(金) 19:00- HAPSのOUR SCHOOLにて、ドクメンタ、ミュンスター彫刻プロジェクト、ヴェネツィア・ビエンナーレの報告会を行うことになりました。2時間で密度の高いものになるかと思います。関西の方はぜひ! goo.gl/1czCyE
— 池田剛介 Kosuke Ikeda (@kosukeikeda) 2017年7月16日 - 22:35
朝崎郁恵さんから頂いた、当時18歳の朝崎さんがテーマソングを歌うセミドキュメンタリー映画「エラブの海」(1960)を見た。もはや再撮影不可能と思われる、美しい沖永良部島に潜る海女さんたちのシーンが眩しくて、クラクラした。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月17日 - 21:19
amazon.co.jp/gp/product/B00…
映画「エラブの海」(1960)を見て、宮崎駿監督は「未来少年コナン」(1978)を作る上で、この映画をかなり参考にしたんじゃないかと思った。特に海の幸を取る少年シーンは、コナンが狩りをするシーンを彷彿とさせた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月17日 - 21:21
ダイアナ元妃の第4曽祖母の父親はスコットランド人の商人で、インドのムンバイの北に位置するスーラトという都市で働いており、インド人女性との間に生まれた娘から、そのDNAが受け継がれた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月17日 - 23:00
英王子の祖先にインド人 DNA鑑定で判明 cnn.co.jp/fringe/3503345…
どなたか、沼津近辺に住んでいるドイツ人(もしくはドイツ語ネイティブ)をご存知ですか?ドイツ語を一ヶ月も話していないと、もう忘れてしまいそうです。ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひご紹介下さい!
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月17日 - 23:05
沼津市の市の花「はまゆう」は、神池で有名な大瀬崎の砂地に生えているけれど、はまゆうは奄美の海岸線にも多く自生している。これも黒潮に乗って広がった黒潮文化だろう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月17日 - 23:29
city.numazu.shizuoka.jp/kurashi/kyoiku…
連続主義者は「私はどこまでも私であり、あなたではない」と言ってはいけない。
— C. S. Peirce (@peirce_bot) 2017年7月16日 - 11:01
祖母と姉と一緒に、お盆の送り火として精霊馬(と牛)を燃やした。この精霊馬がスウェーデンで見かけたDalahästや、韓国でお供え物をするときに使われるは大木馬と似ていて、死者を迎える早馬と送る牛歩のアーキタイプは騎馬民族を通じてユ… twitter.com/i/web/status/8…
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月16日 - 20:08
先日、日本最古と言われる箸墓古墳とパールシー(ペルシャ人)が齎した箸や橋、端の概念について書いたばかりだけれど、沼津で発見された高尾山古墳が日本最古の古墳である可能性があることを知って驚いた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月16日 - 23:10
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98…
狩野川の起源はカヌー川だという説があると聞いたことがあるけれど、もしも狩野のルーツは狗奴(くな)国で、「kuna」が「kanu」と変化したのだと考えると、魏書東夷伝に記載された、邪馬台国と対立していた倭人の国、狗奴国が狩野川流域の沼津にあったとは考えられないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月16日 - 23:11
狗奴国の卑彌弓呼(ひみここ)は邪馬壱国の女王卑弥呼とは不仲で、247年に戦争を起こしたとされる。この年代は、箸墓古墳と高尾山古墳の成立年代と完全に一致する。また高尾山古墳が熊野神社の下から見つかったということが、私にはとても気になっている。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月16日 - 23:12
古事記の国生みにてヒルコの次に生まれたのが淡島で、これは淡路島のことだとされているけれど、沼津には「淡島」が存在する。すると、もしかしたらこれが狗奴国の拠点であり、それが藤原不比等らによって編纂された古事記により習合し、高尾山古墳が熊野神社に改築されたとは考えられないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月16日 - 23:14
元ちとせさんのカバーするアイルランド民謡「Siúil A Rún」を聴いていると、何とも言えない気分になる。このブログの著者も、どうやら私と同じ感性を持っているようだ。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月15日 - 09:07
「元 ちとせをアイルランド人に聞かせる」
michealh.hatenablog.com/entry/2015/08/…
もしも紀元前3800年頃にメソポタミアから発信されたウバイド精神の文明派が東西分派し、西側はケルトとしてアルモリカ半島に到達し、東側は紀元前1400年頃に紀伊半島の熊野、さらに奄美に到達したとするのであれば、きっと奄美とアイルランドに共通する古い単語がいくつか存在するはず。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月15日 - 09:10
アイルランドと奄美の類似性については、一体誰が最初に言い始めたのだろう?これを私は「島のケルト」ならぬ、「シマのケルト」問題とでも呼ぼうか。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月15日 - 09:23
南海日日新聞南海天地によると「東洋のアイルランド」という言葉を使ったのは中江兆民で、明治21年の大阪東雲新聞で、砂糖(サトウキビ)だけ生産する農業形態を行いながら膨大な負債に苦しめられている奄美の現状を指すものとして、「君知るや、東洋のアイルランドとはいずこなりや」と書いたそう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月15日 - 09:33
中江兆民は、明治天皇の名の下に発行されるであろう欽定憲法(明治憲法)によって定められる民権を「恩賜の民権」と呼び、それをいかに人民の憲法に行くのかを考えて「恩賜の民権から回復の民権へ」を書いたけれど、私はここに保守主義の父と呼ばれるアイルランド人エドマンド・バークの香りを感じる。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月15日 - 09:36
ナイス古墳!草薙にて。 pic.twitter.com/ID7ertSxG9
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月15日 - 16:18
朝崎郁恵さんにお会いして、奄美シマ唄の映像プロジェクトに関してお話して来る。上品でにこやかであるにも関わらず、何か強固なものを持っている朝崎さんと対面してお話していると、西行が読んだ唄「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」が心の中に浮かんで来る。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月14日 - 17:31
田中一村が初めて一村を名乗って描いた日本画「白い花」(1947)は、川端龍子主催の第19回青龍社展に入選した作品だけれど、これはそもそも川端龍子の「爆弾散華」(1945)へのオマージュとして描かれたものではないか? pic.twitter.com/iK4PbEOzeU
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月12日 - 17:26
安里屋ゆんたの「マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ」は、「マタハリ」がインドネシア語で太陽、チャンドラが梵語で月、カ・マヌシャが奄美の加那と梵語のマヌシャが混合して美しい人を意味する様になり、日没の後に登る美しい月を愛する人に例えて、日々の時間の経過を表現したものではないか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月12日 - 18:27
先日、父の葬儀の準備をしていて初めて知って驚いたのだけれど、静岡県には沼津の葬儀のみに沖縄や奄美と同じ「浜降り」の儀式があるのだそう。やはり黒潮文化は太平洋側を中心に広がっているのだろう。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月12日 - 18:31
e-sogi.com/convention/22.…
奄美のナナハベラ(三角形の布を7つ重ねた髪飾り)は人間の7つの魂を象徴しているという。中陰こと四十九日は7の二乗に当たるけれど、これはメソポタミアの神殿ジッグラトが太陽系の惑星を象徴する7層のスパイラル構造で出来ているのと同根だと私は考える。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月12日 - 18:38
ローソンがひとり親家庭の生徒向けに返還不要の奨学金の受付を開始とのこと。一人につき月額30,000円。
— 山崎 岳 (@gakkun87) 2017年7月9日 - 22:31
詳しくは以下から!
zenbo.org/lp01/index.html
昨日、テンプル大学の渡部真也さん(私の元上司!)と一緒に、神泉のレストランCafe Bleuにて、北海道余市の藤澤農園が作るワイン『塞翁が馬』を飲んだのだけれど、素晴らしく美味しかった。ニューヨーク出身のブルース・ガットラブさんが作ったワインで、知る人ぞ知る名品らしい。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月11日 - 09:32
Cafe Bleuという名前を聞いて嬉しくなったのだけれど、オーナーさんに訪ねてみた所、やはりStyle Councilのファンらしい。私はStyle CouncilのCafe Bleuが大好きなのだけれど、初めてこの曲が好きだという人に出会えて嬉しかった。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月11日 - 09:33
ブルース・ガットラブさんが北海道で作るワイン、また飲みに行きたい! pic.twitter.com/g1WadsKUqT
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月11日 - 09:35
今日は江戸東京博物館に藤森照信館長を訪ねてお話して来た。にこやかな藤森先生の話は、赤瀬川原平に始まり、奄美で活躍したアイルランド人建築家のウォートルス、魂と「懐かしさ」について、さらに旧石器時代から高床式住宅と人食いの文化についてまで多岐に渡り、時間の経つのが早かった。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月11日 - 21:25
藤森先生と農耕と太陽神についてお話すると、農耕が始まる以前の旧石器時代はきっと生活するだけで目一杯だったはず、また古い洞窟画は実際に行ってみると洞窟の大変深い所に描かれているという話や、当時のマンモスや牛は、きっと美味しかったはずだ、とニコニコしながら話してくれた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月11日 - 21:27
奄美で活躍したアイルランド人建築家のウォートルスについて訪ねると、40年前に初めて奄美を訪ねてリサーチした時は、ウォートルスの建てた白糖工場の跡地に煉瓦などが残されていたが、当時はまだ情報が少なくて大変だった、ここ20年でリサーチが圧倒的にやり易くなった、と話してくれた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月11日 - 21:28
磯崎新さんが端や橋、箸などの「はし」が二つのものを繋ぐ機能があると指摘しており、ルート計算可能な差し金や箸を日本に普及させたのは聖徳太子の母が間人(はしひと)であることを鑑みると、きっとこれらはペルシャ人が日本に齎したものだろうと話すと、藤森先生は箸墓古墳の話をしてくれた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月11日 - 21:30
箸墓古墳には卑弥呼が葬られているという説を唱える人がいるけれど、私は「はしはか」とは「パールシー(ペルシャ人)の墓」が原義であり、卑弥呼とは無関係だと考える。でもこの機会に、ぜひ一度足を運んでみた上で、考えてみたい。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月11日 - 21:30
また藤森照信先生は朝鮮半島の古墳を多く見て回られたそうで、日本や中国と比べると朝鮮半島の古墳はかなり小ぶりで、それが何故朝鮮半島でそうなったのかに興味を惹かれる、と話してくれた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月11日 - 21:31
諏訪の同郷出身者である松澤宥さんについて訪ねると、藤森先生は、松澤さんは諏訪でとても変わったホテルをやっていた、あれはもう無くなってしまったけれど、とても不思議なホテルだった、と話してくれた。どなたか、この松澤宥が関わっていた諏訪のホテルについて、ご存知の方はおられますか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月11日 - 21:32
美術博士論文を書き、36歳という年齢で映像作家デビューしたばかりの私は、いろいろと不安や孤独を感じる部分があるのだけれど、建築史家として評価を確立し、45歳で建築家デビューした藤森照信先生とお話することができて、少し吹っ切れた。もう、あとは自分の信じた道を突き進もう、そう思えた。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月11日 - 21:32
自分が批判したり攻撃している他者とは、実は自分の表象、つまり自分の一部に過ぎないと気づいた時、人は他者を自分の一部として大切にしよう、と思うのかもしれない。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月11日 - 21:38
不完全であればこそ、他からの影響を受けることができる―そしてこの他からの影響こそ、生の目的なのだ。病気の時に我々を助けてくれるはずのもの、また、助けることができるものは、もっぱら他者である。こうした観点から見ると、キリストが世界の鍵であるのは言うまでもない。 『テプリッツ断章』
— Novalis (@Novalis_bot) 2017年7月10日 - 16:33
知覚内容の総体に「物自体」という別の部分を対置するという人工的な対立を作りだしても、対立するもう一方の部分にはいかなる内容も与えることができない。なぜなら事物の特定の内容は、常に知覚内容の中から取り出すことができるだけだからだ。-自由の哲学-
— ルドルフ・シュタイナー (@R_Steiner_jp) 2017年7月10日 - 16:33
山種美術館の川端龍子展、「慈悲光礼賛」や「爆弾散華」、そして李晶玉さんがモチーフにした戦争画「香炉峰」など、素晴らしかった。7月23日までが前半展で、25日からの後半展では「金閣炎上」などが展示されるそうです。ご興味のある方は、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月9日 - 12:08
川端龍子の「爆弾散華」は、終戦2日前の8月13日に自宅が米軍の爆弾で爆破されたシーンを、植物の爆破で表現したものだが、素晴らしい表現だった。島尾敏雄が8月13日に特攻戦の出撃命令を受けたものの、発進の号令を受けぬまま終戦を迎えてし… twitter.com/i/web/status/8…
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月9日 - 12:13
中尊寺金色堂から発見された藤原氏のミイラ発見のニュースから着想を得た川端龍子の日本画『夢』(1951)は、藤原南家の郎女を耳面刀自と考えた死者、大津皇子を主人公に据えた折口信夫の『死者の書』(1943)へと応答する形で描かれたもの… twitter.com/i/web/status/8…
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月9日 - 12:59
川端龍子は横山大観との確執から院展を脱退、自ら青龍社を立ち上げたが、その青龍社に加わり、川端龍子との対立から青龍社を去って奄美へと向かったのが田中一村だった。アートヒストリーは、このような巨匠や権威への反発の連続(いわゆる下剋上)で発達して行くという側面があるのだと思う。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月9日 - 13:02
竹内栖鳳の日本画『絵になる最初』(1913)は、クリムトの『接吻』(1907-08)に対する日本からの応答として描かれたものではないか。 pic.twitter.com/3XKeRCyGe0
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月9日 - 15:46
竹内栖鳳が『班猫』にて描いた猫は、沼津の八百屋さんの荷車の上で寝ていた猫で、この猫を見て「そうだ、猫を書こう」と思い立った画家は八百屋のおかみと交渉、猫を譲り受けると、画室に自由に遊ばせながら丹念に観察して作品に仕上げたのだそう。… twitter.com/i/web/status/8…
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月9日 - 15:51
今日は城南海さんのライブに足を運んで来た。元ちとせさんとの島唄や『ワダツミの木』のデュエットや、武部聡志さんの演奏による私の大好きな曲『紅』が聴けて良かった。でも城さん、しばらく体調を崩していたとのこと。きっと過労ではないかと思うけれど、心配でならない。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月9日 - 21:32
去年、足の怪我で陸上できなくて病んでた時期に先生が毎日のように書いてこっそり日記に挟んでくれてた手紙。日本史のテスト諦めかけてたら机の中からでてきたよ(笑) これが支えだった。読んだら泣けてくる😂
— M@rin (@oh_its_marin) 2017年6月29日 - 23:46
一生の宝物✨
最近全力を尽く… twitter.com/i/web/status/8…
@oh_its_marin 茉倫さんは素敵な先生に巡り会えて幸せですね。きっとこれからも幸せな出会いがありますように。。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月9日 - 22:02
誰だって心が折れそうな時に支えてくれた人の言葉や行為って、一生忘れないよね。自分が死ぬ最後まで残る記憶って、そういうものなんじゃないかな。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月9日 - 22:06
@oh_its_marin はーい、ぜひ奄美で待っててね♫また美しいシマ唄を聞かせて下さい!
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月9日 - 22:15
@tamapisan こんにちは!お久しぶりです。モランディの絵画には、日本の侘び寂びではありませんが、何かそれに通じるものを感じますよね。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月8日 - 08:37
私はてっきり、「考現学」とは赤瀬川原平さん達のグループが作ったものだとばかり思っていたけれど、これは柳田國男の弟子(後に破門)に当たる今和次郎(こん わじろう)が1927年に提唱した学問だったんだね。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月8日 - 18:29
あの金ピカの金閣寺を焼きたくなる衝動や、丸善の本棚を檸檬で破壊することを想像する気持ちって、あの時代背景を鑑みるとなんとなく分からないでもないけれど、例えば法隆寺を見ても、それを焼こうとも、焼きたいとも思えないよね。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月8日 - 18:35
高天原からやって来たタケミカヅチに敗れた出雲出身のタケミナカタは、天竜川を上って諏訪へと逃走したとされるが、すると三保の松原や静岡の美保のルーツは、タケミナカタの故郷、出雲の美保だとは考えられないだろうか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月8日 - 20:15
中華料理店で目にする、「福」の字が逆さまに貼られたものを見て、これにはきっと深い意味があると直観したけれど、これは春節の日に貼られる「倒福」と呼ばれるもので、「福気・福運」を意味するそう。由来は思った以上に複雑だった。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月8日 - 20:52
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%92…
あなたが見ている景色を、私は見ることができるだろうか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年7月8日 - 23:27