穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

アップデート要求44:ドラキュラだって

2021-03-29 13:57:00 | 小説みたいなもの

 それからどのくらい歩いたか分からない。半病人のようにさまよった。今にも倒れそうなのだが、立ち止まると逆に直ちにその場にくずおれそうになるのだ。彼は体の重心を前傾することだけを推進力として小半時も歩いたであろうか、かれは運河にかかった橋に出くわした。橋は太鼓橋のようにほんのわずか真ん中が膨らんでいたが、その傾斜がもう上がれない。橋のたもとに運河の河岸に降りる石段があった。みると河岸通りの道に遊歩者用のベンチがある。彼は金属の手すりにすがりつきながら階段を下りた。

 彼は力尽きてベンチの上にあおむけに倒れた。そうして上着で頭をすっぽりとかくして意識を失った。どのくらい時間がたったのかわからない。上の道路を疾駆し始めた大型貨物自動車が地響きを立てて橋を通過する。あたりは薄明るくなっている。日が上る前の一時の薄明りである。しかし、彼は再び意識を失った。二度目に目が覚めた時にはすでに日は上っていた。あたりは明るくなっている。彼は上着を少しずらしてあたりの様子を窺った。彼の寝ている河岸沿いの道には通行する人影はない。上の道路を見上げると通行するのは大型コンテナトレイラーと貨物自動車ばかりである。どうやら近くに貨物埠頭があるらしい。

 あたりに人の目がないことを確認して、彼はスマホを取り出すと自撮りをした。なんと顔がある。顔が戻ってきた。これなら大手を振って顔を隠さずに道をあるける。そう考えるとなんだか疲れが抜けたような気分がした。

 彼は背広の袖に腕を通して羽織ると上の大通りに出た。どっちにいったものか。貨物自動車の疾駆する方向へ行ったものか。一方はおそらくコンテナヤードだ。そこには彼の目指すようなものはないだろう。しかしどっちが埠頭なのか分からない。どちらに行くべきか。しばらく悩んだ後で、彼はその大通りから直角に行くことにした。しかし、ここでまた前に行くか後ろに行くか迷った。

 ふと思いついたことがあって彼は上を見上げて天測をした。天気は快晴である。日が昇ってくる方向を探り当てると彼はそちらに向かって歩き出した。彼の推理は次のとおりである。ふと、思ったのだが、顔が実体化したのは明智大五郎のプログラムのタイムスケジュールのせいだけだろうか。明るくなったことが影響しているのではないか。ドラキュラだって日が暮れれば墓場の中に入る。ハムレットの幽霊だって夜の暗闇の中でしか表れない。いや、そこまで言う必要もない。日本でも幽霊と言うものは夜出ると決まっている。彼の実体化が完了したのは日の光のおかげではないか。さすがに世界最大のコンサルタント・ファームの大幹部である。その推理は極めて明快で科学的であった。かれは太陽に向かって歩きながら、慎重に三十分おきにスマホで自撮りをして自分の顔を確認した。

 実体化理論だけではなくて彼のカンは正しかったようで、イットキほど歩くと彼は繁華な商業地に到着したのである。

 

 



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