穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

「冷血」と名古屋女子大生

2015-01-28 09:43:42 | カポーティー

ちょっと読めるなと思う小説にぶつかると、次々とその作家の作品を読む癖がある。カポーティの「ティファニーで朝食を」を読んだあと、彼の冷血を読んだ。 

ティファニーと違い無慮600ページ(新潮文庫)の長編で犯罪小説(ノンフィクション・ノベル)であるが、概ね退屈であった。時々乗ってるところはあるが。

他に彼の小説を読んでいないが、カポーティは「ティファニー」で終わったんじゃないかな。村上春樹は「冷血」で終わったというが、巷間絶賛されているような作品ではない。

訳者あとがきによると、この作品は「ニュージャーナリズム」あるいは「ノンフィクション・ノベル」の嚆矢だそうだが、この種の何々の嚆矢というのは登場当時は衝撃的でもその後追随者が雲霞のごとく表れて現代では面白くもおかしくもない。ダシール・ハメットがハードボイルド文体の創設者と言っても今はそういう文体が多いから、ハメットを読み返してもどうということはない。

ミッキー・スピレーンが衝撃的だったというが、今の基準からすると穏やかなものだ。

さて、今日のニュースで名古屋女子大生が「人を殺してみたかった」といって殺してしまったという。『冷血』に出てくるペリーと言う殺人者を思い出した。テレビでは「理由な殺人」なんて言っているが、要するに「動機なき殺人」ね。

ペリーという犯人がいるのだが、これがひねくれた環境で育ったが、関係した人間の一部では思いやりのある、倫理観のある人間と見られている。窃盗に入ったが殺害する理由もないのに、四人も残忍な手口で皆殺しにする。

カポーティーは法廷場面を使って精神鑑定をする医師の証言等からこの動機なき殺人衝動の解明を試みる。どうもこの辺がカポーティのきもというか目標の一つらしい。因にこの法廷場面の出来は良くない。退屈である。

名古屋大学の女子大生もこの手が使えるかな。このごろこういうのが多いね。なんというか壊れた機械というか。佐世保でも似たような事件があった。それも犯人が若い女というのも世相かな。なにか理由があるのだろう。犯行動機じゃないよ。こういう人間が発生するという生物精神医学的な理由があるのだろう。

 


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