穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

「カクテル・ウェイトレス」ジェームス・ケイン

2015-05-25 19:57:52 | ハードボイルド

書店でこの本に目をとめて買う気になった理由は二つある。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を二度ほど読んだことがあるが、興味を感じなかった。別にタイトルに義理立てして二度読んだ訳ではない。随分昔のことであるが最初に読んだ時にはまったく感興がわかなかった。しばらくして読み方が悪かったのかなと再読したが迫力を感じない(大方の世評はそのインパクトを買うのであるが)。で別の本の新訳が出たので(新潮文庫)、他の作品はどうなのかな、と思ったことがひとつ。

ケーンは1977年85歳で亡くなったそうであるが、この作品は83歳から85歳にわたって書かれ一応完成していたが出版されなかったそうである。それをある編集者(チャールス・アルダイ)が原稿を探し当てて編集し2012年に出版したそうである。 

犯罪小説らしい。毒婦ものらしい。83歳でどれだけツヤのある作品が出来るものか、と言う点にも興味があった。それなら、俺ももう一丁ポルノでも書けるかな、と色気も出るところである。 

上記のアルダイという編集者が解説を書いているが、ケーンはチャンドラー、ハメットと並ぶハードボイルドの大家だそうである。ケーンの文章についてはハードボイルドだという評価もあるようだが、チャンドラー、ハメットの範疇に入るというのは初耳だった。普通HB御三家というとチャンドラー、ハメットとロスマグということになっている。もっともロスマグはあとの二人に比べると大分小粒である。別にミステリーというか探偵小説に限らなければケーンも御三家なのかもしれない。

ケーンの小説では探偵の視点は物語を引っ張らない。あくまでも犯罪者の視点である。もっとも、読んだことがあるのは「郵便配達」と今度の『カクテル・ウェイトレス』だけだから他の作品がどうなっているのかは分からない。

一種の毒婦もの(訳者によれば悪女もの)である。叙述は彼女によってなされ(録音というかたちで)、自己弁護というか、一切犯罪を犯していないという弁明という形になっている。そして逮捕されるが法廷で無罪を勝ち取っている。しかし、妊娠中の彼女はサリドマイド(奇形児を生む薬害で有名)を精神安定剤として多用していることになっているから、作者はやがて彼女が待望する生まれてくる子供の不幸を暗示するというテクニックで彼女が毒婦であることをにおわせているようである。東洋風、古風にいうと「親の因果が子に報い、」というわけである。

そこで85歳の文章の艶はいかにというに、編集者の手も加わっているのであろうが、まあまあである。いささかバイアグラを服用して力んでいるような感じを与える所もあるが。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。