穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

106:月曜日の朝

2020-06-14 17:50:22 | 破片

 今朝は家の中がばかに静かである。朝刊を広げながら橘源九郎氏は妻に聞いた。
「子供たちの学校は始まったのかい」
「ええ、今日からですって。だけど午前中だけで帰ってきます」
そういえば、と彼は思い出した。昔は二部授業というのがあったな。コロナ時代に復活か。
「昨日はどうだったの。そろそろ結果をだしてもらわないと、貯金も二桁になりましたからね」
「えっ、百円もないのか」と彼は驚いた。
「馬鹿なことを言わないでくださいよ。万単位ですよ」
「フーン」
「それで昨日の成績はどうだったの」
「もうちょっとのところだったんだがな。きわどくかすったんだけどね」
「こんな調子だといずれ私がパートに出なければなるわね」と妻は切り口上で宣告した。
「いや来週は絶対だよ」とかれはうそをついた。実は昨日ビックキルを達成したのだった。これが普通のあたりなら素直に報告できるのだが、大きすぎて反射的に隠したくなったのだ。かるく流した百円券が百万円に化けたのである。女房に対してでもおもわず隠したくなる。彼女が驚いて心臓麻痺でも起こされたら困ると思ったのだ。

彼女は大きなため息をつくと「今日も山手線で読書三昧なの」と皮肉に聞いた。
「いや、自粛要請解除で電車は混みだしたからな」と彼は箪笥の上に置いてある時計を見上げた。今頃はラッシュアワーで満員じゃないかな」
「それじゃ一日中家にいるんですか」と迷惑そうに聞いた。
「いや、もう少ししたら電車もすくだろう。自粛解除で店も開き出したというし、本屋も営業を始めるらしいから、また本屋を冷かしてみるよ」と彼女を安心させた。

彼女が汚れた食器を台所で洗い出すと、彼はショルダーバッグに「ヘーゲルからニーチェへ」という読みさしの文庫本を突っ込んで外へ出た。久しぶりに雨が上がって青空から降り注ぐ太陽の光がまぶしい。サングラスを持ってくればよかった。

いずれにせよ、彼はまた山手線に乗った。空いている席はないが待っていれば空きそうだった。しかしとても本など読む気にはなれない。まして今日持ってきた本はもう投げ出そうかと思ったほど、とりとめがなくて電車の中では読めそうもない。

彼は普段は素通りするターミナル駅で電車をおり、改札を出た。先日来の山手線読書の折に車窓から大きな駅前のビルにある大型書店の広告を見たのである。行ったことがないのでどんな店かのぞいてみる気になった。個人顧客用の様々な店が入っている大型の建物であった。上のほうにはレストラン街がある。もうみんな営業していた。彼はそのうちの一軒で昼食をしたためると、エスカレーターで地下三階におりた。そこに書店があるらしい。行ってみるとブックカフェという看板が出ていて広い書店の横にファストフード店が併設されていた。

書店を一巡したあと、彼はセルフサービスのカフェのカウンターに行って「ブレンドコーヒー」と女ボイに注文した。薄そうなコーヒーを受け取ると席までこぼさないように運んだ。砂糖がないことに気が付いた。カウンターに戻ると横においてあるガムシロップを一つとった。スプーンがない。女ボーイにスプーンを求めると「そこにマドラーがあります」という。どこにあるというのだ。ミルクのほかには耳かきの大きなものしか目に入らない。
 これなのか。彼はそれをつまんで、持ち上げると女ボイにこれのことかなと目顔で質問した。彼女は顔を動かすのももったいないというように少しうなづいたのである。かれはシロップと耳かきをもって自分の席に戻った。こういう店でだすコーヒーというのは番茶のように薄い。砂糖を使う客などいないのかもしれないと彼は考えた。

 

 



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