経過書評 at P215(新潮文庫)
Kの口調が土方から普通になってきたね。訳しているうちに自然とそうなったのか。163ページ第四行 「人生という物と折れ合うことができます」>>折り合うじゃないの、折れ合うという言い方もあるのかな。
ありましたね、広辞苑「折り合う」=「折れ合う」。いくつになっても勉強することがあるものだ、これはいいわけ。
ところで、読むほどに「だんだん良くなる法華の太鼓」じゃないけど読める様になってきた。まるで噛むほどに味の出てくるスルメみたいだ。
あいかわらず旅館の女中とすぐにベッドでギッタンバッコじゃない、ビールのこぼれているゴミだらけの床を転げ回るというハードボイル探偵並みの活躍を披露する。
これは一種の旅行記で(つまりスタイルとしてあるいはキャリアとして)、15、6世紀の例えばドンキホーテだとか、古代ローマの「東海道中膝栗毛」を踏襲(意識的に)しているようだ。