「形而上学入門」の51ページにハイデッガーは書いている。
「哲学および哲学の思惟と同列にいるのは、ただ詩だけである」。本当だろうか。あるいは正しいだろうか、と反問すべきかも知れない。
以下でわたしは判定をくださない。ここでこのフレーズを取り上げるのは、これが彼の手法をよく表していると思うからである。
『形而上学入門』を通読したが、彼には論証というものがないようだ。哲学者には結論の前に適切な論証があるグループとない(と思われる)グループがある。前者の代表がアリストテレスやカントである。後者はプラトン、ヘーゲル、そしてわがハイデッガーである。
後者は論証が弱く、よく言えば跳躍があるところが詩的といえようか。後者はさらに二つのグループに分けられる。最初のグループは(隠された論理)を把握すればそれなりに筋道が理解出来る哲学者でヘーゲルがそれである。
よく西洋の文化を理解するには西洋文明の伝統を知らなければだめだ、と小賢しげに言う(進歩的文化人)がいる。かれらが言うのは狭いキリスト教のオーソドックスな教義をいう。つまりマルクス主義で言えば内ゲバ理論闘争を経て「正統、すなわち異端ではない」とレッテルを張られた教義をいう。
これは西欧の伝統の一部にすぎない。二千年の教義論争で異端として追放された数多くの教義。濃淡の差はあるものの、キリスト教と類縁関係にあるグノーシス主義や各種の神秘主義それに啓蒙時代に盛んになった秘密結社(たとえばフリーメーソン)など。それにマニ教、キリスト教以前のケルト土着宗教、各種神秘主義、錬金術などを含めたものを西欧の伝統とみなければならない。
そしてこれらの(縁辺)思想は事実上日本で知っている人は非常に少ない。ヘーゲル等は乱暴で奇想天外な「論理学」に驚くが、これら広義の西欧的伝統を包括的に知っていればそれほど驚くことは無い。
このヘーゲルの例の様にいわば隠し味が分かれば理解出来る思想家もいる。ハイデッガーはどうか。キーワードは古ギリシャ語、語源学、文法らしい。
つづく