村上春樹さん、ヤクルトの優勝お目出度うございます。
さて第二回(章)は「小説家になった頃」です。30歳で群像の文学賞をとった頃までの簡単な回想です。ふんふんと読んでおけばいいのですが、一つ留意してもいいのは、初めて小説を書いて戸惑ったときに、英文で書いてみたら、なんだかリシャッフルが頭の中でなされて、日本語でも自分の文体の卵が生まれたみたいな経験が書いてあります。
これは汎用性があるというか、だれにでも有効な方法だと思います。全く違う他の言語に触れる(使用する、勉強する)と自国語もうまくなるということは事実のようです。もっとも、これは書き言葉に限定されます。いくら外国語がペラペラしゃべれるようになっても、その人の日本語能力が向上するということは絶対にありません。せいぜい通訳として女の子に尊敬されるくらいでしょう。「読書人」には軽蔑され馬鹿にされるのがおちです。
こういう現象は維新後の日本で広く見られたことです。あるいは漢文が素養の基礎であった其の前の時代でも。昔の人の文章は、自由闊達で非常に力があります。教養形成の過程で外国語(文章)に晒されていた結果と思われます。
最初に本屋で立ち読みをしたときの印象を書きましたが、その時に250頁くらいの本と書きましたが、実際は310頁ほどでした。訂正します。
いま、半分くらいまで読みましたが、彼の小説「制作」の苦労とか長編小説を書くときのノウハウ、手順が出て来ますが、かれの中の認識では小説家として常に向上して来ていると感じているらしい。そう思うのは普通だし、無理もないが、私は彼の作品は初期の物が一番いいと思います。せいぜい「ハードボイルドと世界の終わり」ぐらいまでじゃないですか。
小説家には二種類あって進化型と劣化型があります。芥川龍之介なども明らかに劣化型と私は理解しています。これについては前に書きました。ドストエフスキーもどちらかというと劣化型ではないでしょうか。実質的な処女作「二重人格(ダブル)」が彼の一番の作品と思うし、中期の「罪と罰」や「死の家の記録」そして「虐げられたひとたち」あたりがピークじゃないでしょうか。
白痴あたりはまだ生気があるが、悪霊やカラマーゾフになると「抹香臭さ」が鼻につくんですけどね。
そこでチャンドラーの言葉を贈りましょう。・・・
小説制作のテクニックは年々うまくなるけど、小説の生気はだんだんうしなわれていく(記憶している趣旨を書きました。逐語的な正確さは保証しません)。
もっとも、彼自身の「ロング・グッドバイ」は例外です。