穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ドストエフスキーの未成年

2024-03-08 15:31:09 | ドストエフスキー書評

読む本が無くなるというのを寂しいもので、何かないかと段ボールの中を探していた。最近では何か読む本を求めて書店に行くことはない。捨てずにいる本を本棚や段ボールの中を探す。

そこで見つけたのが新潮文庫ドストエフスキー「未成年」である。この本は最初読んだときによく分からなかった。それで、再読の対象にした。当時は新潮文庫だけけだったが、のちに光文社古典文庫で大々的に?発売された。初読で読みにくかったので、別の出版社から売り出されたので、そんなに需要があるのかと、オヤと思った。本日段ボールのなかで見つけて読む気になったのである。まず巻末の解説であるが、佐藤優氏のであるが、読んでもよくわからない。若干の危惧はあるが、まあ時間がかかればそれだけ読みごたえがあると理屈をつけて机の上に開いた。

 

 

 

 


モンゴル語翻訳の難しさ

2024-03-07 07:38:04 | 無題

宮城野部屋(白鵬部屋?)の暴力騒ぎ:

報道されるところによると、問題はいじめ、嫌がらせというのが正確な表現らしい。より正確に言うなら、自分の優位な立場を利用して相手に恐怖心、不快感を与える行為であって、その効果は暴力と変わりがないと。

モンゴル語ではああいうのは「暴力」と言わないのではないか。そうすれば暴力行為にはどういうものが入るか教育の際に具体的に教えるべきだ。

かって、大相撲から追放された朝昇竜にも家庭用品や玩具を使った同様の嫌がらせがあった。ああいうのはモンゴル語で「暴力」と言わないのではないか。

だから彼らは殴ったり、突き飛ばしたりするのが暴力と理解しているフシがあるだから家庭用品や日常用品を使って(頭を使って)相手に恐怖心、不快感を与える、オゾマシイ手段を工夫する。

問題は翻って翻訳の場合にも注意する点ではなかろうか、外国語を翻訳するさいには。

 


警官の血、佐々木譲

2024-03-03 16:16:36 | 書評

下巻に至って興味索然、やはりこの手の読み物は上下二巻は避けたほうが良い。


佐々木譲「警官の血」

2024-03-02 09:56:38 | 書評

上巻読了、ミステリーとしてタネを小出しにして飽きさせない。なかなかの書き手である。


45口径は日本の警官には大きすぎる

2024-02-29 16:19:09 | ミステリー書評

どうも隙間時間に読むものがないと落ち着かないので目下佐々木譲著「警官の血」上巻を177ページほど。昭和二十三年の警官大募集から始まる。

治安情勢の紹介と新人警官の体験をまあ、そつなく書いている。大体私の知識の枠を出ない。よくフォローしているといえると思う。ところが、今読んでいるところで日本の警官が45口径の拳銃を支給されたとある。もちろん体躯頑健な警察官でも45口径は日本人には扱いにくく、使うのに躊躇するという記述がある。ジョン・ウェインの西部劇やみっきー・スピレーンの主人公マイク・ハマーにはふさわしいが、日本人には扱いにくいだろう。

もちろん占領軍(アメリカのことね)のお古の支給品であろうが、たしかに不釣り合いである。そのうえ、私が石原慎太郎の書いたものを読んだ記憶では日本警察に下げ渡されたのは38口径か32口径だったと思う。32口径ぐらいが警官にあうのではないか。28口径というと、あるいは25口径というと売春婦が護身用、トラブル対策で持つものだし、32口径ぐらいならサーベルの代わりになる。ちなみに東条英機が自殺用に使ったのはたしか25口径らしい(東条逮捕に向かった米軍兵士はこれを見て笑ったという)。

この小説では45口径と明記してあるが根拠があるのだろうか、疑問を感じた。なお、この小説であるが、いまのところ、記述は平板で山はない。

 


ミラン・クンデラ「冗談」

2024-02-27 13:28:18 | 書評

飛ばし読みで半分くらい読んだかな。

感想「冗談じゃないよ」

文章拙劣退屈

散歩の場面があるが、散歩の描写は一番文章力が問われるが、この作者はD級である。テーマが面白くないし、描写が拙劣、読むに堪えず。


柚月裕子「盤上の向日葵」

2024-02-24 16:10:57 | 書評

盤上の向日葵、読み終わる。どうやら終盤持ち直したようだ。読み終えた。

思い出したが、囲碁にも将棋と同様、素人で強いやつで金銭を賭けた「勝負師」というのがいたらしい。

間接のまた、間接でそれらしい人の話を聞いたことがある。呉清源に四目置いたら絶対に負けない、と豪語していた。

ただしその人は大学教授で賭け碁はしなかったらしいが、そういう人たちと囲碁を打っていたらしい。

王将とかいう演歌があったが、あれも真剣師(賭け将棋)を歌ったんじゃなかったっけ。

前回作者、というより出版社

に難癖をつけたが、なかなかの書き手ではある。

 

 


ミラン‣クンデラ「冗談」

2024-02-22 06:37:16 | 書評

岩波文庫西永良成訳で100ページほど読んだ。共産主義国での学生運動のごたごたを一個人、おそらく筆者の経験、をもとにして書いている。日本の同時代の学生運動と比較してみると面白いかも。

チェコでは国家は共産主義体制であり、学生運動は政府に追随補完する役割である。行ってみれば戦争中の翼賛体制での町内会の役割だ。

対して日本の同時代の学生運動はアメリカの支配の濃い自由主義体制に対する強烈な反発である。したがって日本の当時のほうが運動は激烈、容赦のないものだった。テロ、凄惨な内ゲバは日常茶飯事だった。もちろんシナ、ソ連の強力な支援のものに。

クンデラの描く学生運動は生ぬるく、ガールフレンドへの手紙の内容にケチをつけるようなことをしていたらしい。そして、驚くなかれ、女子学生に付文した主人公は学校を追われて地方の軍隊に入り炭鉱で働かされる。

体制に阿諛追従する学生運動はやりたい放題というわけだ。そのかわり、日本のように激烈な反体制運動とは無縁である。

その辺の事情をくみ取れば、まあ、比較一読の価値はあるかもしれない。

 


推理小説の文庫上下二巻は破綻することが多い

2024-02-22 05:58:18 | 犯罪小説

柚木裕子の盤上のひまわりという将棋少年の小説を上巻だけ読んだ。この作家は前に題名を忘れたがちょっと興味を持ったので頭書を読んだ。下巻に入ると、棋譜もなしに駒の動きを書く。おそらく将棋の練達者でもフォローできないだろう。まして将棋に関心がない読者には意味がない。

こんなことでページ数を増やすのは編集者の悪知恵で推理小説の類で上下二巻に分けるのは売り上げを増やすのが狙いの出版社の知恵だろうが、成功した例は少ない。

 


城読了報告

2024-02-16 20:47:29 | カフカ

池内訳「城」本日読了したのでご報告します。いま訳者池内紀氏のあとがきを読んでいるが、城の意味をめぐっては、今までに数限りない解釈がなされたとある。そこで昨日のアップになるが、カフカ研究書で城に言及したのが書店で皆無なのはどういうことか、過去色々論じられたが、現在では研究者に相手にされなくなったということかな?

 


城について専門家の批評紹介は無かった

2024-02-15 18:37:48 | カフカ

去る大型書店でカフカの「研究書」のコーナーがあった。全部で二十冊ほどあったかな。ざっと見たがどの本にも「城」の書評も考察、評価もない。わたしの拙い書評に間違いがあってはいけないのでチェックしたんだが、ウンともすんとも書いていない。やはり書けないのか、評価の対象となる完成品ではないとみているのか。それにしても二十冊もあるカフカ研究で「城」への言及がまったくないのは予想外だった。


カフカの作業

2024-02-14 19:42:54 | カフカ

「城」ポジションリポート388ページ。カフカの制作態度なんだが、長編では初稿、再稿、まあ最終原稿と普通は行くと思うんだが、特に長編ではね。カフカの長編というと、「失踪者」、「審判」と「城」だと思うが、これはカフカ研究者に聞かないと分からないが、失踪者と審判は、その纏まり方から判断すると、初稿に手を加えていたらしい。城は伝えられている執筆経緯からすると、初稿の行き当たりばったりで中断したらしい。

そう思えば、わかりにくくて当然である。荒唐無稽なのはしょうがない。無理して理屈をつけて感心することは滑稽かもしれない。城は「とりつく島がない」というのが正直な感想だと思うが、それを分かったように自己流に解釈するのはどうかと思う。今日ちとインターネットを浚って感想文を読んだが、えらい肯定的な文章が散見するので驚いた。もっとも専門家ではそう断定的に肯定する人はいないようだ。もっとも訳者は別だ。訳者には訳者の仁義があるだろうからね。

執筆途中で中断した経緯からして、あまり評価できないと思う。カフカの様な作家は粗原稿を彫琢していって完成するのが本来だろうからね。

その理由はこれまでいくつか理由を述べた。どこに問題意識があるのかフレームアップされていない。きわめて平板、冗長、退屈な作品である。


ポジションレポート・P334

2024-02-11 14:54:40 | カフカ

池内訳「城」334ページまでたどり着いた。最後まで読んでいないが、後半のほとんどは「この地方」の「処女権」の話だね。実存主義なんか関係ない。処女権というのはもともと封建城主が持っていた支配地域の処女のつまみ食い権利を言う。

カフカの城では城主のかわりに官僚集団の権利である。その当時か直前までそういう風習があったのだろう。そうでないと話がつながらない。そしてその官僚の権利を拒絶した人間、女は村八分にされる。つまり官僚には強制力はないが、村人たちが役人の処女の召し上げ権に反抗した住民を村八分にする。そんな話を「測量士」が延々と聞かされる。ほとんど小説後半すべてを使っている。

測量士が大した反論もしないで傾聴しているのを笑わせる。

小説の主題としてもおかしいし、実存主義の古典に持ち上げる文芸評論家の説はなお、おかしい。そしてもっとおかしいのはこの女性の親父が官僚のもとへとりなしをもとめて必死になる長い長いクダリである。村八分の解消を求めるなら、村民に働きかけるべきだろう。あらゆる観点からいって、この小説は破綻している。

池内さんの意見を聞きたいね。おーすとりあ・はんがりー帝国の醜状のリアリズムなのかな。

 

 


濡れ場が濡れ場ではない

2024-02-07 20:49:31 | 書評

城以外の作品で男女交合の描写はカフカでなかったと思う。それがまた、なんというか即物的なんだね。これがカフカの最後の作品だが、話は飛ぶがチャンドラーも最後の作品、なんと言ったかな、プレイバックだと思うが、すたこら登場人物がくっ付いて唖然としたが、カフカの場合はもっと味気ない、言ってみれば鉱物と鉱物がぶつかったみたいな描写だ。一言で言えば全然なっていない。

ともに最晩年の作だが、チャンドラーの場合はもう70歳だからまあ、そんなものか、と思うが、カフカは確か36,7歳だろう。あの味気なさはある意味で唖然とする。


カフカ「城」とキャラ建て

2024-02-06 13:59:42 | カフカ

カフカの城を300ぺージ読んだところで今回もスタック。放り出しておいたが、ふと、キャラ建てに気が付いたことがあって、別の角度から分析してみた。

言うまでもなく、皆さまご案内のように主人公のKは測量士である。百年ほど前のオーストリア・ハンガリー帝国の辺境の地??プラハの役人だったカフカは労働者の保険担当だったらしいから、仕事上で「測量士」をよく知っていたとは思えない。しかし、測量士を描く力量というか、キャラ建ての観点からみるとよくわかっていると思う。つまりリアリズムだね。

またそう思って読むと納得する。私も仕事で「現代日本の測量士」と間接的に折衝したことがある。ウェストウェスト伯爵ほどじゃないが。オーストリア・ハンガリー帝国の辺境の地ブタペストの百年前の測量士と現代日本のいわゆる「測量士」とは同じかと思うほど似ている。

城を読んでみると非常に似ている。社会的地位は土方とほんのちょっぴり知的な職業のミックスである。(三角関数やら少しの数学的な観測データの処理)。

一方で助手は先生先生と言って測量士を非常に尊敬した。この図式を「城」の描写に当てはめるとぴったりである。そして測量士がほんのちょっぴり知的な一面と根は土方的な部分もよく描写している。Kの荒っぽいしゃべりぶりも。そう気が付いて読むとなかなか読みやすい。手当たり次第に女とくっ付くあたりも。

この小説は「測量士のキャラ建て」を評価、玩味しないと分からないのではないか。