以前、夫が友人のカメラマンから写真を担当した書籍「ぬけ道、より道、山頭火」をいただき、その表紙がずっと気になっていた。
この本は俳人種田山頭火の九州吟行を写真と文とで紹介したものだが、表紙の木彫りの馬が気に入り、どこで撮ったものか尋ねてもらったら「高千穂町か日之影町の小さな神社。たしか日之影町だったと思う。」と答えたという。
「撮影に疲れてひと休みしてると何やら視線を感じ、振り向いたらこの木馬と目が合った。」のだそうだ。
木馬がある神社が出身町に? 心当たりがない。
他所の人にとって町境が曖昧なのも無理はない。
本文の高千穂を紹介するページでも、「山あいにひっそりと息づく高千穂の集落」とキャプションのついた写真が、実際は日之影町の中心部を俯瞰した風景という大ミスもしている。
もしかしたら隣県の熊本や大分かもしれない。
故郷の近辺なら一度実物を見たいと思いながら半ば諦めていた。
それが今回の帰郷であっけなく解決した。
前夜お邪魔したK君が山頭火が好きだということを昨年の帰省で知り、同じ本をネットで探して送ってあげていた。
それがご自宅にあり「この表紙の木馬知らない?」と聞くと、K君は首をかしげたが、隣にいた奥様が「それは波瀬神社ですよ。」とあっさり答えた。
波瀬といえば実家の二つ隣の集落ではないか。
「波瀬神社は牛馬を守護する神社で、社にこの馬がいますよ。」
博識な奥様に感謝!
実家に2泊し、再度姑宅に向かう朝、義姉の車で波瀬神社に連れて行ってもらった。
小学生の頃は徒歩30~40分かかるこの集落も余裕で行動エリアだった。仲のよい友達もいてよく遊びに行った。
ただ神社の辺りは昼なお暗い杉林で、怖くて避けていた。
その向こうの村に行くにも、杉林の道は全力で走り抜けた記憶がある。
鳥居をくぐると、まさしく見たかった木馬がいた。
山羊や羊ほどの丈をした見事な寄木の木馬である。
しかし私が勝手に描いていたイメージとは少し違っていた。
本の表紙では哀愁を感じたが、実際の木馬は口元がニンマリと笑っているようで愛嬌さえある。
カメラマン氏のアングルの妙、口元をアンダー気味にした手法にさすがプロだと感心した。
「何やら視線を感じ…云々」も盛ったエピソードだろう。鳥居を抜けた正面左にいるのだから。
だがドラマチックにしたい気持ちは十分わかる。
由緒を書いた看板を読むと鬼八退治の神話まで遡る。
後年島原の乱で有馬直純候が出陣した際、当社境内で召馬が急に倒れ、その平癒と戦勝祈願をしたところ、馬はたちどころに勇み立ち、戦でも武勲を立てたとある。以来牛馬守護の神として崇敬されているのだそうだ。
しかし庇の浅い濡れ縁のような場所に屹立していて、風雨にさらされたままでいいのだろうか気になった。
今回の帰省は高校時代の友人に会え、中学時代の友人に会え、神話の世界に触れ、子ども時代の思い出に浸り、積年の気がかりも解消し、とても充実していた。