
夏井先生の解説と添削。
1位 スマホ死す 画面に浮かぶ 指紋と月
【自 解】スマホの充電が完全に切れると液晶画面が真っ暗になり、そこに自分の指紋が浮かび上がった。
夜、外でそういう経験があり、そこには月も映っていた。
【解 説】「死す」は重い言葉ではあるが、若者は今風に充電が切れたことを「スマホが死んだ」と言うそうで、軽い表現として受け止められる。
「浮かぶ」と言う時、映像になってないケースが多いが、これは明らかに指紋が浮かび上がり、それに秋の大きな季語である「月」も一緒に映り、印象的な映像を作り上げている。
【私 感】並みいる名人の中、唯一特待生3級で出場しての快挙。
彼は当初、かっこいいイメージの句ばかり詠んでいたが、夏井先生から「自分の体験を詠みなさい。オリジナリティとリアリティを得ることができるから」という言葉を素直に聞いて、以後着実に伸びてきた。
2位 フリードリンク 夜学子の 電子辞書
【自 解】夜学に通っている人物が、授業の後にファミレスに寄って勉強している時、電子辞書の充電がなくなったという場面を詠んだ。
【解 説】「夜学」が秋の季語。「子」はその生徒。
仕事が終わって学校に行くまでのわずかな時間に、お腹を満たすために立ち寄って予習しているという解釈もできる。
「フリードリンク」から始めたのがよかった。
今どきの文房具である「電子辞書」との取り合わせもよい。
作者は最近七五五の句が多いが、本来の五七五も忘れずに詠んで欲しい。
【私 感】昔、初めて歳時記を読んだ時、1年を通して夜学校はあるのに秋限定の季語というのを興味深く思った。
「灯下親しむ秋」「夜長」などと関連づけるといかにもと納得する。
歳時記はパラパラと流し読みするだけでも面白い。
3位 静かに文を破く ふと秋蛍
【自 解】充電切れから、今にも光が消えそうな秋蛍に発想を飛ばした。
文とはラブレターのことであり、それを言わずして秋蛍と取り合わせてはどうかと思った。
【解 説】破調の句。文を破く行為と秋蛍との取り合わせに趣がある。
「ふと」は、二音足りない時に「ふと」、三音足りない時に「少し」を使っていると嫌味な批評をされることがある。
作者がふと秋蛍に気づいたのならこのままでもよいが、季語の描写に使うこともできる。
添削 静かに文を破く 秋蛍ほのと
4位 まず雁の 飛来を尋ね 長電話
【自 解】晩秋に雁の飛来する土地があるそうで、そこから都会に出た若者は、実家や故郷の友人に電話する時、「もう雁はやって来たか?」が挨拶がわりとなって会話するのかもしれない。
【解 説】俳句には「まず〇〇を聞く」とか「まず〇〇を褒める」というような型がある。
似たような句ではまずいが、上手に使えばよい。
ふるさとの光景が浮かび、尋ねる思いも伝わり、情趣のある一句だった。
5位 発電機 運ぶ赤鬼 村祭
【自 解】村祭りで鬼などが出てくるケースがある、
人手が足りず、鬼役の人物も準備に駆り出されている牧歌的な様子を詠んだ。
【解 説】「村祭」が秋の季語。語順がよく考えられている。
これといった直しはないが、こういった地域の行事、催し物の発想の句がないことはない。
それがタイトル戦では多少損したと言える。
6位 龍淵に潜む 充電切れスマホ
【自 解】我々の世代からすると、携帯電話は夢の世界のツールに思える。
画面にはあらゆる情報が映し出され、それが電源切れになった途端真っ暗になり、まるで深い淵を覗き込んでいるような気持ちになる。
【解 説】思い切った取り合わせで胆力がいる。
中国の言葉「龍は春分に天に昇り、秋分に淵に潜む」に由来し、「龍天に昇る」は春、「龍淵に潜む」は秋の季語になっている。
電源の落ちた画面を描写した方がよかった。
添削 真っ黒な液晶画面 龍淵に
こうすれば、1〜2位を争っていた。
7位 携帯を タコ足充電 夜学校
【自 解】自分も夜学に行ったが、いろんな年齢の人が通っていて、仕事の後に来ると携帯の充電残量が減っている。
教室の後ろに充電用のコンセントがいくつもあって、みんなが充電器を挿して授業を受けていた。
それが年代・職業を超えてひとつになっているようだった。
【解 説】発想はとてもいいが、散文の語順になっているのが惜しい。
「タコ足充電」という長いフレーズの置き所に迷ってのことだろうが、中八とするより、いっそ上五に入れて字余りにした方が定石と言える。
夜学校の「校」も、「タコ足充電」の絞った映像からいきなり広い風景になって損。
添削 タコ足充電 夜学の携帯の とりどり
8位 秋雷や 絶縁破壊 長き闇
【自 解】雷で停電し、長い闇になったという、兼題をストレートに詠んでみた。
【解 説】調べたら「絶縁破壊」という言葉がちゃんとあった。
これを果敢に俳句に取り込もうとしたのは、たいしたチャレンジだった。
しかし三段切れになっているのが残念で、これを解消した方がよい。
添削 秋雷や 絶縁破壊の 闇長し
中八となっても、この方が調べもいい。
9位 夜半の秋 次子に授乳の 妻ZZZ(ズズズ)
【自 解】二人めの子どもが生まれ、夜中に授乳している時、子どもは目覚めているが、妻はバッテリーが切れたかのようにうとうとしながら授乳していた。
「ジシ」「ジュニュウ」「ズズズ」でザ行を重ねてみた。
【解 説】「吾子」ではなく「次子」としたのは、育児の大変さを表現してよかった。
「ZZZ」も果敢に挑戦している。
しかし、季語である「夜半の秋」が弱いのが気になる。
添削 次子に乳 あきの夜半なる 妻ZZZ
「ジシ」と「チチ」に軽い韻ができる。
【私 感】俳句の表記は縦書きで、五七五の間を空けない。(ここでは横書きで、便宜上空けているが)
よって、「乳」に「秋」が続くのを避けて「あき」とひらがなにされた。
他にも漢字多用で重く見える時にどれかをひらがなにしたり、強調したい語句だけを漢字にしたり、たおやかに見せたい時ひらがなにしたり、表記上の印象も重要であるらしい。
しかしながら、夏井先生は「何をやってもいい」というが、自分自身は「ZZZ」にはいささか抵抗がある。
10位 秋蝉や 仰向いてなほ ぎぎと鳴く
【自 解】草むらに瀕死の蝉がいて、ひっくり返って震えて鳴いているのを見て詠んだ。
【解 説】どこが悪いという句ではない。しかし、このような情景を詠んだ句は、俳句の世界に相当数ある。
そういう句を上位にすると、視聴者から「自分もこんな句を詠んだ」と言われてしまう。
少しブラッシュアップすると、
添削 仰向いて ぎぎと鳴きけり 秋の蝉
【私 感】この夏、マンションの灼けた通路で仰向けで弱っているセミを見つけた。
せめて自然の中でと思い、近くの雑木林の木の幹に這わせてあげた。セミは微かに残っていた生命力で這い上っていた。
まさに俳句のタネであるが、詠んでいない
冒頭の背景画像は、9月22日の満月を撮ったもの。