手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

久しぶりの従兄弟/従姉妹たちとの再会、海外旅行から帰った気分(2)

2008-03-26 16:44:55 | 家族
昨日(3月25日)の告別式は、正午から執り行われた。少し早めに会場に着いたので、その玄関前でうろうろしていたら、やがて高級車「レクサス」で、(若い)お坊さんが、会場に乗りつけた。
告別式には、前日の通夜とほぼ同じ顔ぶれの親戚の面々が出席していた。私の母には妹が二人いて、うち一番下の妹は既に他界していて、この度亡くなった八三郎おじさんは、その他界した妹のご主人だ。私の母のもう一人の妹さんは、腰を90度近くまで前のめりに曲げつつも出席、彼女の子供たち夫婦ともども3組がそろって出席していた。それに、孫までも出席していた。また、昨晩、私たちを自宅によんでくれた従兄弟の家では、彼の母は脳梗塞のため出席しなかったものの、彼女の子供たち4組の夫婦が出席していた。2日間にわたる葬儀では、母の姉妹の子供やその孫までもが大勢出席していたのに比べ、我が家では、母に子供が7人もいるのに、出席したのが私たち夫婦だけであり、肩身の狭い思いを感じた。
私の母には、お姉さんが3人いる(一番上の姉さんは故人)が、すぐ上のお姉さんは、元気に出席していて、告別式の後の会食の際は、偶然近くに座っている私を含む3人の男のいとこを前にして、家の相続問題にまつわる処世術を話してくれた。--相方を亡くして一人になった親は、自分と同居している子供に、家屋敷100%を即、相続させるべきだ、っていうことを話を口をすっぱくして強調していた。--後で、従兄弟の一人から伺ったところによると、こう話してくれたおばさんは、その昔、結婚したときは、酒癖わるく/横暴なご主人につかえて、食事もろくに食べさせてもらえないような、ひどい暮らしをしてきた、という経験の持ち主だ、という。ご飯のおかずは、食べ残した魚の骨を焼いて食べていた、のだ、という。そして、彼女は、私の母、女姉妹6人のうちではもっとも苦労してきた人だ、という。
告別式の当日、終盤には、お寺に行き、お墓への納骨の儀までも行われた。このお寺は、私にとっては2度目の訪問である。1度目は、約20年ぐらい以前に、私の母の母が亡くなったとき、葬られた時であり、当時は石塔もなく、地面をシャベルで掘ってお骨が埋葬されたのを記憶している。つまり、このお寺に葬られたのは、私の母の母が最初だった。しかし、現在では、その墓所には、この度、亡くなった八三郎さん建立の立派な石塔があり、それに、周囲の墓所の景観も20年ぐらい前とは、比較にならないほど、敷地も広く、綺麗に整備されていた。また、お寺の本堂も20年前とは見違えるほど豪華絢爛なものになっているのには驚いた。
かくして、私と家内が自宅に帰りついたのは、午後6時だった。この日は、日中は風もないうららかだった天候も、帰りつく頃には、小雨が降り出していた。
今朝は、二日間に亘る疲れのせいか、午前8時近くに目が覚めた。久しぶりに大勢の親戚、従兄弟/従姉妹たちと歓談し、何かしら、今日は、海外旅行から帰った気分がしている。

久しぶりの従兄弟/従姉妹たちとの再会、海外旅行から帰った気分(1)

2008-03-26 16:43:17 | 家族
一昨日と昨日の二日間に亘って、去る3月22日に亡くなった親戚の八三郎おじさんの葬儀が行われた。両日とも私は家内とともに、車で1時間ほどの場所にある葬儀会場へと行き、参列してきた。
亡くなった八三郎おじさんは母の妹のご主人にあたる方なので、本来なら当然、母も出席するべきなのだが、母は、"足がわるくて、転んだりしたら危険だから"と、いう理由で欠席、「お前たちで行ってきてほしい」と言う。
実は、つい先だって、母は、檀家としてお世話になっている、お寺の主催による一泊のバス旅行に参加しており、また来月にも参拝旅行に出かけたい、と言っているので、私は、母に、「参拝旅行には行けるのだから、葬儀にも出ることは、できるハズでは、?」と、話したら、母は目をむき出して怒りをあらわにして、「参拝は別格で、エネルギーが湧いてくる」のだ、と主張。
さて、一昨日は、午後6時から通夜の儀が行われた。会場は、入りきれないほどの大勢の参拝客でごった返した。なので、用意された椅子席は満杯で、後部には多数の人々が立って会場に臨んでいた。
約1時間ほどして済んだ通夜の後、食事がふるまわれた。その後、車で帰宅しようとすると、久しぶりに再会した従兄弟から、「家が近くなのでお茶でも飲んでいって」と、誘われたので、お言葉に甘えた。私たちを誘ってくれた'いとこ'は、私の母のお姉さんの子供で、私より2歳若い男性で、彼とは昔よく遊んだ仲である。彼は、脳梗塞を患っている母(私の母のお姉さん)と一緒に住んでいて、奥さんとともにその母のお世話をしている。堀ゴタツのある和室に通された私と家内は、彼と奥さん、彼の妹ご夫妻、それに彼の母も同席する中で、一升瓶の「越乃寒梅」なるお酒を飲みながら、いろんな話で盛り上がった。話題の中で、"葬儀のような機会でしか、従兄弟/従姉妹たちが再会できないのは寂しいことだ"、という彼の言葉に、みんなが賛同。私も、通夜の席で、たまたま同じ考えが浮かんでいたので、これって偶然の一致だった。そこで、そのうち、那須や鬼怒川とか近くの温泉に一泊旅行に行こう、という話でまとまった。
こうして、夜9時過ぎまで、話が弾み、私と家内は帰途についた。