手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

休日は孫たちと公園でゆっくり過ごした

2007-11-06 09:52:28 | 
去る11月3日(土)、久しぶりに千葉から娘一家が我が家にやってきた。ここ1カ月くらいは孫娘の小学校受験などもあって余裕が無かったようだ。
私は、この日は彼らの到着前に10人まえの手打ちウドンを打ったが、そのうち4人前をほうとうウドンにした。(註:ほうとうウドンは、のしたウドン生地を包丁で切る時、切る幅を1センチくらいに幅広くして切っておき、その後、これらの数本を並行にならべて、その上を麺棒でローリングして、幅広く伸ばせば出来上がりです)
さて、翌日の4日の日曜日は風も無く晴天に恵まれたこともあり、私は午前10時過ぎ、孫娘2人を誘って近くの総合公園で開かれているお祭りに出かけた。広大な芝生の公園では、野外ステージがあり、バンド演奏などいろんな演芸が催され、また沢山の露店がびっしり軒を重ねていて、大勢の見物人やら買物客など人々で混雑していた。もちろん公園の一角にはブランコや滑り台など子供たちが遊ぶ施設などもあって、ここでも子供連れの家族でにぎわっていた。こんな中、孫たちは大いにはしゃいでアチコチ歩き回り、私は迷子にならないよう気を配った。孫たちはブランコを漕いだり、砂場で遊んだりした。また、公園の一角にこの日のため用意された、直径10メートルぐらいの巨大なマリオブラザーズのゴム人形があった。二人の孫娘もこの中に入って、多くの子供たちに混じって、飛び跳ねたり、などいろいろ楽しんだ。それから、チビッ子広場では、ピエロ姿のマーくんが大勢の子供たちに囲まれて、曲芸を披露していたが、孫娘は多くの子供たちと同じように、大声をかけたり、笑ったり、拍手したりして見物した。曲芸のラストでは、マー君が何本もの細長いゴム風船を使ってウサギの形をしたお人形を見事に作りあげて、それを観客の子供にプレゼントする場面があった。それを欲しがって、大声を出しながら手を挙げていた大勢の子供たちの中で、マー君がプレゼントしてくれたのは、なんと6歳の孫娘にたいしてであったのは実にラッキーだった。
また、公園に隣接した場所には、虚空像菩薩を祀ったお堂があって、私たちはそこを参拝した。
午後に入って、家内と娘も公園にやって来て、私たちと合流。露天の店で、孫たちの希望に応えて焼きそばを買って近くのベンチでほおばった。
かくて、この日は、孫はもちろん私たちもゆったり楽しんで過ごすことができた一日であった。
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孫の私立小学校の入学試験、親も祖父母もヒヤヒヤドキドキ

2007-11-02 15:56:39 | 
去る6月の頃、娘夫婦は愛娘を私立小学校に入学させたい気持ちになったようで、車で近くの私立小学校に愛娘を伴って見学に行った。
さあ、それからが大変。彼らにとっては想像以上に素晴らしく見えたらしく、孫娘はもちろん、みんながすごく感動したみたい。それ以後は私立小学校の魅力にとりつかれたようで、矢継ぎ早に、似たような他の私立小学校にも見学に行き、パンフレットをもらってきていた。それらの小学校の運動会などの行事も見学するようになり、それらの小学校入学のための学校説明会にもいくつか参加したようだ。やがて、娘夫婦は真剣に私立小学校への入学の検討を始め受験準備に取りかかった。小学校選びのための参考書を買ったのはもちろん、さらに問題集を買って、毎晩のように娘夫婦が愛娘を指導していた。その後、受験対策がエスカレートして、入学受験のための学習塾にも通わせるようにもなった。
世間では、このような小学校の入試受験を”お受験”と言っているが、私にとっては、まさか孫娘が”お受験”することになるとは、少し前までは全く思いもよらないことだった。
かくて、孫娘は昨日(11月1日)、都内の私立小学校の入学試験を受験した。それで昨日は、私は昼ごろ娘宅に行き、前晩から泊まり込んでいた家内や、夕方受験会場から帰宅した娘や孫娘、それに3歳の孫娘とともに、この日の午後6時に発表になる合否発表の知らせを待った。発表は小学校で行われ、半日休暇を取った娘の夫が同小学校に行き、結果を電話してくれることになっていた。
午後6時になるまでの数時間は、不安を抱きながら発表の知らせを待つ私たちにとっては、すごく長く感じられた。午後5時過ぎには、受験した孫娘は疲れがでたのか、寝入ってしまった。
やがて、6時を過ぎて数分後、娘が夫から電話で合格の知らせが受けた。やったァ!みんなして喜びを分かち合った。最悪の場合、娘はあと2つくらい別の小学校の受験も考えていたようで、心からホッとしたようだ。やがて昼寝から覚めた受験生の孫娘に娘が「受かったよ!ヨカッタネ!!」と声をかけて喜びを伝えた。孫娘はほとんどはしゃいだりしなかったが、内心喜びをかみしめているように見えた。
ほどなくして娘の夫が帰宅。みんなして夕食のシャブシャブを囲んだが、最近になく美味しく食べられた。
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読書の秋、いち押しは住井 すゑ さん著の「夜明け朝明け」

2007-11-01 10:01:58 | Weblog
読書週間など、いまや読書の季節。そんな中、私がこれまでに読んだ中でもっとも感動し、印象に残っている作品は、住井 すゑ さんの著した「夜明け朝明け」という小説だ。戦争で父を亡くし、母は病死、そんな家庭環境の中、筑波山のふもと鬼怒川べりの村で、兄妹たち4人が力いっぱい生きていく毎日を描いた作品だ。かつて私は朝の通勤電車の中で初めてこの作品を読んだが、読み進めるうち涙があふれてどうにも止まらず、周囲の乗客に気づかれないよう、あせったことを覚えている。私に言わせれば、珠玉の名作と言っていい作品で、こういうような作品こそノーベル文学賞に値する作品だ、と思う。それに、この小説のあとがきの中で、作者の住井 すゑ さんが書いている文章もまた素晴らしい。-
"悲しい時に、人は泣くといいます。それは、嘘ではありません。しかし、人は悲しい時だけ泣くものではありません。いわれているような悲しさでは、私は泣きません。私は、美しいもの、真実なものの前に泣きます。時には、その美しさ、真実さに感動して、おえつのとまらないことさえあります。たとえば、フランスの田園画家、フランソア・ミレーの画です。・・・・"-
と、いうくだりの部分にも、作者の魂のすごさが凝縮されているように感じられ、そのすごさ、素晴らしさに圧倒されたものだった。90歳を超えても、なお旺盛な創作意欲を持ち続け、茨城県の牛久の地で、ついこの間まで小説を書いていて生涯を閉じた作者は、私の尊敬する人物の一人だ。
ところで、小説 といえば、もうひとつ、私の脳裡に焼きついている、素晴らしい作品がある。それは、芥川 竜之介の作品「みかん」だ。私が中学3年生だったとき、私のクラスで、柴崎先生という男の先生が、担任ではなかったが、その小説を読んで私たちに聞かせてくれたことがあった。その作品は、たしか、奉公に行く主人公の女性が、汽車に乗車、踏み切りのところを通り過ぎるとき、その窓から、みかんをばらまくという、ものだった。この作品、なぜかしら今でも昨日のことのように印象に残っている。先生に読んでもらっているとき、小説の中の情景が、まるで私がその場に居合わせているような錯覚に陥ったものだ。
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