手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

政府による叙勲の制度は廃止または大幅縮小したらどうだろう?

2007-11-09 12:00:54 | Weblog
2007年秋の叙勲の受章者数は4061人に上るという。以前から不思議に思っていたことだが、この受章者はどのように選ばれるのであろうか?どんな選考方法があるにせよ、その選考は、選考委員の判断というか、主観が入ってくることは避けられまい。誰の目から見ても、本当に受章するに値する人が選考されれば納得できるとしても、でも、そのような選考方法は現実には不可能であろう。かといって、受章者選出に際して、ある判断基準を設ければ、対象となる受章者が大勢出てきて、どうやってそれを絞り込むのか、これまた選考委員の主観が入ってくることになる。
叙勲の中でも文化勲章を贈られる5人ほどの受章者は、まあまあ、それ相応に納得できないこともない。問題は、それ以外の受章者の選出方法である。受章者の名簿リストを見ると、大企業の重役とか大学の先生、それに自衛官などの公務員の人々の名前がズラリと並んで受章者の大半を占めており、この傾向は春の叙勲の受章対象者でも同じことが言える。
一方で今、政府は莫大な額の借金を抱え、将来年金制度が破綻するかも知れないこと、など、国の財政は危機に瀕している。そして、巷では、働きたくても働き口が無い人々が数多くおり、また、母子家庭など厳しい家計をやりくりしている人たちなど、苦しい生活を強いられている人々が多数存在している。
--以上のような状況を考えるとき、政府は、文化勲章以外の叙勲という制度を廃止したらどうだろうか?叙勲に関わる政府の出費を福祉などに充当したほうが、時宜に適っている、と思う。叙勲に要する出費は、税金の無駄遣いに他ならない、と思えて仕方ない。
以前、どなただったか忘れたが、叙勲されることになった人が、それを断った、という話を聞いたことがある。叙勲という名誉を受けた人の嬉しい気持はわかるが、でも私は、叙勲を断った謙虚さに大いに頭が下がる。人は叙勲を手に入れるために活躍しているのではない!

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