手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

バングラデシュでのサイクロン被害に憂慮

2007-11-19 12:42:27 | 社会
昨晩のテレビによると、バングラデシュを大型サイクロン(台風)が襲い、おびただしい数の死者や被災者を出している、という。
バングラデシュと言えば、私が定年まで勤務していた会社の社員だったころ、仕事で一度だけ訪問したことがあって、その際、いろいろな経験や想い出があって、終生忘れることができない国である。
当時、私たち社員4人はタイ経由で、飛行機でバングラデシュに降り立ったが、着陸前に首都のダッカを窓から見下ろした時の驚きは、今でも鮮明に覚えている。街全体が灰色がかって見えて、まるで洪水で水浸しになった後のような光景をしていて、「これは大変な国にきてしまった」と、思った。あらかじめ私はバングラデシュという国を調べていて、世界でも最も貧しい国の一つであることなどの予備知識もあって、まさにそれが現実なものとして直感できたのだ。
やがて、ダッカ空港に着陸、税関を通り抜けると、そこでは多くの裸同然の子供たちが私たち旅行者を待ち受けていて、手を差し出して金品をねだり、私たちにまとわりついてきた。子供たちの中には栄養失調で眼の中が白濁して明らかに失明している子供もいて、そんな子供は目が見える子供の肩に手を置いたまま、あちこち移動してはモノをねだっていた。そんな中、歩を進めると、なんと、空港の係官が空港周辺で旅行者に金品をねだる彼ら少年たちを竹箒で追い散らしているのを目にしたが、これには実に驚いた。まるでニワトリを追い払っている風景そのものだ。この光景、私には終生忘れ得ない光景だ。
やがて、私たちは出迎えに来てくれた日本人商社マンの自動車に乗り込んだのだが、それでも子供たちはドンドンと車の窓ガラスを手で叩いていた。-----私にとっては生まれてはじめてのバングラデシュ訪問で到着と同時にこのようなショッキングなシーンが展開されたので、今では忘れようにも忘れ得ない国になっている。
バングラデシュでは、私たちは電話を主とした電気通信の実情調査の作業をしてきたが、その際、北部方面にも足を伸ばして、地方をも巡回視察した。行く先々では、私たち外国人を初めて見る人々が大人も子供も大勢して集まってきて、なんか大ファンに囲まれた人気スターのような錯覚も味わった。各所では、私たちは多くの人々から一様に親切なもてなしを受けた。そして、彼らの人なつこい瞳に触れ、また、心の温かさに触れて感激した。
このバングラデシュ出張の際、あちこちで撮った写真を見るたび、昨日のことのように当時のことを思い出す。
私がバングラデシュに出張しているとき気づいたことの一つは、同国では、山らしい山が全く無い、ということだった。すべて平坦な土地柄のこの国は大雨などですぐに土地が水びたしになってしまうことは目に見えて明らかだった。事実、出張中にも激しい夕立があると、きまって道路が冠水していた。そんなわけで、私はいつもバングラデシュを大型台風が襲うのを心配していた。テレビで、サイクロン(台風)のため被災している人々の姿を見るにつけ、実に心が痛む。
コメント
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