手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

見応えあった! 23日にTBSテレビ放映の「プロ野球戦力外通告」

2009-12-28 19:22:47 | 人生
去る12月23日の夜10時15分からTBSテレビで放映されていた「プロ野球戦力外通告」という番組は、実に見応えがあった。このような素晴らしい番組をこそ、もっと誰もが観やすい午後8時前後の時間帯に放映してほしかった。私は、翌日TBSに電話して、同番組の再放送の有無を尋ねたが、いまのところ再放送の予定は無い、とのことだった。残念である。
その日、私は同テレビの番組紹介欄を参照したので、参考のため、そこに記載されていた同番組の内容記事を紹介しておく。(原文のまま)
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プロ野球界でも、選手たちに残酷な現実が突きつけられた。
それは非情なる 「戦力外通告」。
彼らが生き残りを懸ける合同トライアウトは、
かつてない緊張に包まれ、筋書きのないドラマを紡ぎ出した。
人生の瀬戸際に立たされた男達の新天地への思い。
そして、男達を献身的に支える家族の存在。
果たして、運命の扉は開かれるのかー。
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元オリックス 山口 和男
日本人最速158キロ投手が戦力外通告に・・・
速球ピッチャーの行方は?!
1999年、逆指名・ドラフト1位でオリックスに入団した山口は、3年目には日本人最速タイの158キロを記録。投球のほとんどをストレートで押すピッチングは、見る者を魅了した。
しかし、その球速はときに危険を伴った。2005年、巨人の清原和博の頭部に直球を当てた時は日本人最速であるがゆえに、そのデッドボールが大きな話題にのぼることもあった。
しかし、3年前から出場機会が激減。プロ10年目の今年、山口は一度も一軍に上がることなく、山口は戦力外通告を言い渡された。
35歳になった今も山口の投球は全く衰えていない。“一度でも一軍で自分の力を試すチャンスが欲しかった” その思いを胸にトライアウトを受ける事を決心した。
トライアウトに向け、山口は2人の娘と妻を自宅に残し、単身である場所に向かった。
再びプロのマウンドに戻るため…山口の過酷な戦いが始まった。
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元阪神タイガース 今岡 誠
ミスター阪神タイガースが味わった
戦力外という屈辱
シーズン終了を待たずして戦力外を宣告された今岡誠。2006年以降、右手中指の腱鞘炎に悩まされ2軍暮らしが続いていた。今シーズンは不動のポジションだった三塁を追い出され、一塁へコンバート。心機一転、再スタートをきったが、出場試合数は23試合にとどまり全盛期の力が戻ることはなかった。
首位打者、打点王のタイトルを獲得し、リーグ優勝に大きく貢献したスター選手。
このまま野球人生を終わらせるわけにはいかない。
これだけ実績のある選手がトライアウトを受ける例は極めて少ない中、今岡はプライドを捨て、トライアウトの会場に姿を現した。そして、その場所は皮肉にも13年間お世話になった甲子園の室内練習場。史上初の室内でのテストとなったトライアウト・・・そこで今岡は力を出す事が出来たのか?
妻と子供もいる今岡の野球人生は、果たしてこのまま終わってしまうのか?
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元ソフトバンク 的場 直樹
妻は妊娠7ヶ月・・・
立ちはだかる絶対的正捕手・城島、そしてついには戦力外通告男にポジションを奪われた男の運命
1999年、的場はドラフト3位でダイエーに入団。その頃、ダイエーは初の日本一に輝き、城島は正捕手として不動の地位を確立し始めていた。“自分なら城島と対等に渡り合える…”それは野球のエリート街道を歩んできた的場の大きな誤算だった。長きに渡り、2番手捕手として甘んじるしかなかった的場に最大の転機が訪れたのは2005年。城島がFAでマリナーズへ移籍。2006年、先発マスクを任されたのは的場だった。しかし、的場はそのチャンスをものにすることが出来ず、なんと中日から戦力外を受けた田上秀則に正捕手の座を奪われてしまう。そして今年のオフ、ついに球団から戦力外通告を突きつけられた。
人生最大の屈辱・・・このままでは終われない。
そして的場には、野球を諦めきれない理由が他にもあった。妻・佐也香さんのお腹には新たな命が宿っていたのだ。妊娠7ヶ月の妻にこれ以上心配をかけたくない。妻に一刻も早く吉報を届けたい。的場はすべてをかけてトライアウトに臨んだ。
家族をも巻き込んだ冷酷な戦力外通告。果たして的場の運命は・・・?
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元ソフトバンク 山田 秋親
契約金1億円投手
期待の星が“契約金ドロボー”とよばれ・・・
再起を懸けた1年間の浪人・無収入生活
・・・その時、妻は?
2000年度、ドラフト会議。当時、日本一の球団に登りつめたダイエーに、山田は逆指名で入団を決めた。契約金は、最高条件の1億5千万円。山田は1年目から2ケタ勝利を期待されるも、そのプロ野球生活は思い描いていたものとは、まるで違っていた。1年で10勝どころか、3年経ってもその数字には届かない。そして聞こえてくる“契約金ドロボー”という非難の声…。後輩たちが次々と活躍を見せる中、度重なるケガにも苛まれた山田は、ついに1年前の2008年10月13日、ソフトバンクから戦力外通告を受けた。
山田は妻・里紗さんと2人の子供の4人家族。野球を諦めるか、それともケガを克服し、もう一度挑戦するのか?山田の現役続行、それは1年間の無職・無収入生活を意味していた。家族のためには一刻も早く無職の状態を抜け出したい…しかし山田はクビになって初めて自分の内に秘められた野球に対する情熱に気づいていた。そんな山田の下した決断とは・・・?


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