手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

旧い知人の葬儀に出席した後、丸の内ブリックスクエアを散策

2009-09-05 19:13:56 | 想い出
一昨日、我が家に、三十数年前に知り合って以来、今まで会う機会が無かったN山さんの奥さんから電話があった。私たち夫婦は、結婚して最初に移り住んだ所が、JR南武線の鹿島田駅の目と鼻の先にある木造アパートだったが、そこで、そのアパートの同じ屋根の下に住んでいたN山さん一家と知り合ったのだ。当時、N山さん一家には、私たちの娘と同じ2歳くらいの男の子がいて、両家は、お互いに散歩したりなど、親しくおつき合いしていたものだった。私たち家族は、アパートで、2、3年くらい住んだあと、引っ越していったが、その後も現在まで、ずっと年賀状のやり取りは続いている。
で、一昨日、N山さんの奥さんから電話があったのは、ご主人が急逝されたことを知らせてくれたことだった。今年3月ごろ、ご主人に腎臓ガンがあることがわかり、それから、アッという間に、8月30日に亡くなった、という。59歳だったそうだ。奥さんによると、亡くなって、往時を振り返っていたとき、妙に思い出されたのが、三十数年前に私たち夫婦とお付き合いして懐かしい風景がよみがえってきたそうで、そこで、電話をされたのだそうだ。
奥さんに伺ったら、今日が告別式ということなので、私たち夫婦は、早速、神奈川県にある寺院で行われた、その式典に参列してきた。式場に着くと、すぐに喪主でもある、奥さんに声をかけられた。予想していたよりも痩せていた彼女は、気丈に振舞ったいることがうかがえた。それから、すぐに、昔、私たちの娘と一緒に遊んだ彼女の一人息子の圭介くんに紹介された。彼をひと目みて、昔の坊ちゃん当時の面影がはっきり残っいるので、すぐ圭介くんであることを理解できた。
しめやかに行われた告別式では、いつもながら、私は、人生って長いようで短いものだなあ、としみじみ思ったものだった。
告別式からの帰途、私は、辛い悲しい別れの現実を忘れる意味もあって、黒のネクタイを外して、家内と共に、つい数日前にオープンしたばかりの「丸の内ブリックスクエア」を散策した。驚いたことに、この場所は、以前に私が勤務していた会社が入居していた古河総合ビルとか、その他、三菱商事があったビル、それにかつて学生運動が盛んな頃、企業爆破事件として有名な三菱重工ビルを解体して全面的に建て替えられ、新築・建設された場所であることがわかった。今までの丸の内界隈には見られない、独特のデザインであり、ちょっと異国風とも受け取れる雰囲気を持つ、このスクエアは大勢の人々でごった返していて、今後は丸の内の名所の一つになると思われた。





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