手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

心痛む、イスラム国による後藤さんたちの殺害

2015-02-05 10:45:32 | 社会
パソコンを操作しているとき、たまに、手前に置いた紙の上をちっちゃな蜘蛛がちょろちょろと歩いているのに気付くことがあります。こんなとき、いつも私がしていることは、ティッシュペーパーを取って、その蜘蛛をテイッシュの上を歩くように優しく導いてやるのです。そして、それから、そのティッシュを窓の外に出して、蜘蛛さんに戸外に出てもらうようにしているんです。このように私は、たとえ蜘蛛でも殺生をするのはイヤなんです。そんな私にとって、最近のイスラム国が起こした殺害に関わる事件は、あまりに惨い残酷なものです。
今まで考えつかなかったような、イスラム国による極悪非道な残虐さには、ただただ驚くばかりで、なんと言って表現したらいいのか考えつきません。
私は、後藤さんが戦地に赴いて、厳しい苦しい生活環境にさらされている子供たちの現状を撮影してきた写真やビデオが、テレビで紹介されているのを見ました。画面を通して、あどけない子供たちの可愛い姿やキラキラ輝いた大きな瞳を見るにつけ、後藤さんの心の優しさがものすごーく伝わってくるのを感じます。後藤さんは、あえて危険な戦地に行って、戦争に苦しんでいる子供たちの姿をカメラにおさめ、それらを世間に知ってもらうことによって、戦争の愚かさや平和の尊さというものを世間に訴えたかったのではないでしょうか。そんな愛情に満ち満ちた後藤さんが、想像を絶する恐怖の中で、どうして殺害されなければならなかったのでしょうか。後藤さんの心情を思うにつけ、実に無念だったろうに、胸が熱くなるのを感じます。この世には、神はなかった、ということなのでしょうか?
後藤さん、湯川さん、ヨルダン人パイロット、ほか、イスラム国によって殺害された人たちのご冥福をただただ心より祈るばかりです。
ただ、今になって言うのも「アトのマツり」なのですが、湯川さんと後藤さんのお二人が殺害される前に、日本政府に対して、2億ドルの身代金と引き換えに二人を解放する、としたイスラム国からの要求がありました。もし、日本政府がこの要求を受け入れていれば、お二人は殺害されずに済んだわけであり、この点、実に心に引っ掛かるものを感じます。ただ、ここで政府が身代金を支払った場合は、日本の同盟国アメリカの意向に反するものであり、一方で、身代金は税金からの支出ということでもあり、政府は苦渋の判断をして、要求を蹴った、というのが真相だと想像されます。

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