塚田 努 (著)『だから山谷はやめられねぇ』―「僕」が日雇い労働者だった180日
幻冬舎・単行本 (2005/12) ¥1,470(税込)
著者は今時の多くの若者によく見られる何を学びたいか分からないままに入学した大学生で、気がつくと周囲の同級生は就職活動に忙しい。
何を学びたいのか分からないのと同様に何のために働くのかも分からない、結局全て分からないまま就職の道を選ばずに大学院へ進んだ著者。
そこで、かってボランティアとして山谷のドヤ街で仕事にあぶれた労務者に“炊き出し”の配給をしたことを思い出し、そこへボランティアではなく労務者の当事者として入ってみたい、山谷のドヤ街に住み同じ労務者の目線に立てば「働く事の意義」が分かるかも知れない、と彼は考えたわけだ。
大学院生という身分を隠し、いつでも自分のアパートに逃げ帰ることが可能な状況で、彼が望む「働くことの意義」が本当に分かるのだろうか?甘い考えでは?と当然思うのだが、実際に彼の行動そして考えは“甘々”であったわけだ。ま、このあたりはしょうがない、取りあえずこんな尋常ならざる世界に飛び込んだ勇気は認めよう。
さて、本書で面白いのは山谷のドヤや飯場の様子、それから“とび職”や普通の土工の作業服、靴、更には各現場で使われる道具・工具を著者の手書きによるイラストを載せている点。これは読者に確かに視覚的に訴えるものでありユニークだ。
もちろん山谷での仕事の手配の模様や建設業界での下請けの重層構造の説明など、こうした世界を全く知らない一般読者に対しては分かりやすい説明になっている。
尚、本の題名の通り『だから山谷はやめられねぇ』、と著者が思っているわけではなく、山谷に集る労務者の多くが陥る思考、行動のパターンとしてなかなか山谷から抜け出せないのを「乞食は3日したらやめられない」にもじってつけたもので、労務者が心底こんな境遇に満足しているわけではない。
山谷暮らしとホームレスの接点は限りなく近いのだ。
さてこの作者が180日間のドヤ、飯場暮らしで本当に「働く事の意義」を知ったのかどうかは読者の判断に委ねられるのであるが、少なくともなかなか外部からうかがい知れない世界をレポしたドキュメンタリーとしては面白いのではなかろうか。
幻冬舎・単行本 (2005/12) ¥1,470(税込)
著者は今時の多くの若者によく見られる何を学びたいか分からないままに入学した大学生で、気がつくと周囲の同級生は就職活動に忙しい。
何を学びたいのか分からないのと同様に何のために働くのかも分からない、結局全て分からないまま就職の道を選ばずに大学院へ進んだ著者。
そこで、かってボランティアとして山谷のドヤ街で仕事にあぶれた労務者に“炊き出し”の配給をしたことを思い出し、そこへボランティアではなく労務者の当事者として入ってみたい、山谷のドヤ街に住み同じ労務者の目線に立てば「働く事の意義」が分かるかも知れない、と彼は考えたわけだ。
大学院生という身分を隠し、いつでも自分のアパートに逃げ帰ることが可能な状況で、彼が望む「働くことの意義」が本当に分かるのだろうか?甘い考えでは?と当然思うのだが、実際に彼の行動そして考えは“甘々”であったわけだ。ま、このあたりはしょうがない、取りあえずこんな尋常ならざる世界に飛び込んだ勇気は認めよう。
さて、本書で面白いのは山谷のドヤや飯場の様子、それから“とび職”や普通の土工の作業服、靴、更には各現場で使われる道具・工具を著者の手書きによるイラストを載せている点。これは読者に確かに視覚的に訴えるものでありユニークだ。
もちろん山谷での仕事の手配の模様や建設業界での下請けの重層構造の説明など、こうした世界を全く知らない一般読者に対しては分かりやすい説明になっている。
尚、本の題名の通り『だから山谷はやめられねぇ』、と著者が思っているわけではなく、山谷に集る労務者の多くが陥る思考、行動のパターンとしてなかなか山谷から抜け出せないのを「乞食は3日したらやめられない」にもじってつけたもので、労務者が心底こんな境遇に満足しているわけではない。
山谷暮らしとホームレスの接点は限りなく近いのだ。
さてこの作者が180日間のドヤ、飯場暮らしで本当に「働く事の意義」を知ったのかどうかは読者の判断に委ねられるのであるが、少なくともなかなか外部からうかがい知れない世界をレポしたドキュメンタリーとしては面白いのではなかろうか。