東野圭吾著 講談社文庫 1998.11 880
世界初のフライ・バイ・ワイヤーシステム(*1)を使った巨大なヘリコプターが、その試乗試験予定の当日、メーカーの格納庫から突如無人のまま引き出されやがて天空へ舞い上がった。
いや、ヘリには9歳の男の子が誤って乗り込んでいたのだ。やがてヘリコプターはある地点に向かって高速で飛行を開始し、ホバリングして静止したのは敦賀湾に臨む原子力発電所「高速増殖炉・新陽」のドームの真上であった。
やがて犯人から発信場所がわからないように細工したファクシミリによる声明文が送られてきた。
「日本全国にある原発の稼動を全て停止せよ。要求に従わなければ爆弾を積んだヘリコプターを新陽に落下させる。」というものであった。
物語のポイントは犯人が何者で目的は何か、いかなる方法で無人ヘリを操縦しているのか。犯人のヘリに一人紛れ込んだ少年をいかに救出するのか。また、不幸にして交渉が長引きあるいは決裂して実際にヘリが新陽に落とされた場合の被害予測はいかがなものなのか。
事件発生からわずか10時間あまりの短い時間、そして原発とその上空数百メートルにホバリングするヘリ、という極めて時間も場所も限定、凝縮された緊迫したドラマが展開する。
この手のテロものとしてはプロットの展開としては文句ないところであるが、どうも犯人の人物造形が弱い。あまり詳しく書くとネタバレになってしまうのだが、特に最後に岬の突端に立ち空に向かって拳銃を撃つ男の犯行動機に関しては全く説明がなされない。作者の掘り下げた描写がないが故に読者としては犯人に感情移入ができない。
この作品は単なる「反原発」主義を主張する内容になっておらず、列島に原発が存在するのは現地住民に思いをはせることのない「沈黙した大衆、国民」に原発が存在することの意味合いを思い起こさせることが必要なのだ、というメッセージを込めて描いているようだ。
本書のタイトル「天空の蜂」とは、これら沈黙した民への「蜂の一刺し」、つまり警告という意味なのだろう。
東野圭吾と聞くと僕は映画化された「秘密」を思い起こす程度で、実際この作品すら読んでいない。したがって本作だけで作家としての良し悪しを決めるわけにはいかないが、どうもひとつ感性の波長が合わないようだ。
(*1)パイロットの操縦をワイヤーを介して行わず「電気信号」に変換し操縦するシステム。通常の航空機は今やほとんどこのシステムが採用されている。
世界初のフライ・バイ・ワイヤーシステム(*1)を使った巨大なヘリコプターが、その試乗試験予定の当日、メーカーの格納庫から突如無人のまま引き出されやがて天空へ舞い上がった。
いや、ヘリには9歳の男の子が誤って乗り込んでいたのだ。やがてヘリコプターはある地点に向かって高速で飛行を開始し、ホバリングして静止したのは敦賀湾に臨む原子力発電所「高速増殖炉・新陽」のドームの真上であった。
やがて犯人から発信場所がわからないように細工したファクシミリによる声明文が送られてきた。
「日本全国にある原発の稼動を全て停止せよ。要求に従わなければ爆弾を積んだヘリコプターを新陽に落下させる。」というものであった。
物語のポイントは犯人が何者で目的は何か、いかなる方法で無人ヘリを操縦しているのか。犯人のヘリに一人紛れ込んだ少年をいかに救出するのか。また、不幸にして交渉が長引きあるいは決裂して実際にヘリが新陽に落とされた場合の被害予測はいかがなものなのか。
事件発生からわずか10時間あまりの短い時間、そして原発とその上空数百メートルにホバリングするヘリ、という極めて時間も場所も限定、凝縮された緊迫したドラマが展開する。
この手のテロものとしてはプロットの展開としては文句ないところであるが、どうも犯人の人物造形が弱い。あまり詳しく書くとネタバレになってしまうのだが、特に最後に岬の突端に立ち空に向かって拳銃を撃つ男の犯行動機に関しては全く説明がなされない。作者の掘り下げた描写がないが故に読者としては犯人に感情移入ができない。
この作品は単なる「反原発」主義を主張する内容になっておらず、列島に原発が存在するのは現地住民に思いをはせることのない「沈黙した大衆、国民」に原発が存在することの意味合いを思い起こさせることが必要なのだ、というメッセージを込めて描いているようだ。
本書のタイトル「天空の蜂」とは、これら沈黙した民への「蜂の一刺し」、つまり警告という意味なのだろう。
東野圭吾と聞くと僕は映画化された「秘密」を思い起こす程度で、実際この作品すら読んでいない。したがって本作だけで作家としての良し悪しを決めるわけにはいかないが、どうもひとつ感性の波長が合わないようだ。
(*1)パイロットの操縦をワイヤーを介して行わず「電気信号」に変換し操縦するシステム。通常の航空機は今やほとんどこのシステムが採用されている。