今日この頃

2008年07月16日 | 心の教育

 おとといの夕方、近所の霊園でのウォーキングの途中、今年初めての蝉の声を聞きました。

 昨日は、一つの大学の前期最後の授業でした。

 戦争したり、環境破壊したり、ニヒリズムに陥ったりするこのやっかいな人間という生き物 1) も、まちがいなく宇宙の一部です。

 長い間、なぜ、宇宙は自らのなかにあえてこのやっかいな生き物を創ったのかということを考えてきて、コスモロジーに到達した時に、こういうふうに考えるとすっきり理解できたんです。

 ……と、人間は、宇宙自身の自己認識器官 2)、自己感動器官 3) であり、これから自己覚醒器官になるために創造された、という私のコスモロジー的解釈を伝えました4)

 最終小テストを行なったので、単位を取るために、ふだんサボっている学生も来ていて、700人教室がいっぱいの状態(おそらく6百数十人)でした。

 「授業を始めます」といってもまだガヤガヤしているので、「今学期最後の親父の説教だ」と、「なぜ授業を静かに聞かなければならないのか」についてお説教しました。

 人間は、ことばを使って社会を形成しなければ生きていけない、コスモロジーなしには生きられない動物である 5)

 ことばを軽視すると、人間としての社会生活がちやんとできなくなる。

 授業を受けるとは、社会的に意味あるとされていることについて自分よりも知っているという意味で「目上」にある人のことばを聞くということである。

 授業を静かに、真剣に聞いていないということは、社会の、目上の人間のことばをしっかり聞いていないということであり、それは自分自身が成長できない、ちゃんとした社会人になる準備ができていないということである。

 「親に高い授業料を払ってもらって、授業を受けながら、静かに=ちゃんと聞いていないなど、成長できないという意味で自分が損をしている。それだけでなく、何よりも親不孝そのものだ! いいかげんに、大人になりなさい!」

と叱りました。

 その後は、だいたい静かになりましたが、まだ私語している学生が数人いたので、「何歳だ?」、「生理的にはもう立派な大人だな。いいかげんに、心理的・精神的にも大人になれよ」と叱ると、すなおに「すみません」とあやまり、後は静かになりました。

 この数の大学生を躾けるにはそうとうエネルギーが必要なのですが、コスモロジー的にいうと「遠縁の親戚の子である」彼らのこれからの人生のために必要なことだと思うので、あえてやっています。

 今日は、秋から講義に行くキリスト教主義大学のチャペル・アワー(礼拝)の講話に出かけます。

 明日は、もう一つの大学の前期最終授業です。

 自分の長所を考えてみるワーク 6) 7) 8) 9) とほめあいのワーク 10) をする予定です。

 学生たちの笑顔と瞳の輝きが予想されて、楽しみです。

 ……これで、大学の教師としての仕事は小休止、もうすぐ夏がやってきます。



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今日のことば 6: 喪失は自然なこと

2008年07月15日 | メンタル・ヘルス

 喪失は変化にほかならない。

 これが宇宙の自然の喜びとするところなのだ。

 その自然に従って万物は(うまい具合に)生起し、永遠の昔から同じ形の下に生起し、永遠に至るまで他の同様な形の下に生起していくであろう。

 しかるに君はなぜいうのか、すべては具合悪くできており、これからもつねに具合悪くあろうし、神々がどんなに大勢存在しようとも、これを正す力は彼らの中には結局見出されなかった。世界は絶えざる悪に悩まされるべく定められているのだ、と。

                      (マルクス・アウレーリウス『自省録』第九章35)


 マルクス・アウレーリウスは、ストア派、しかも折衷主義的だと評されます。

 確かにことばの表面だけを読むと、そうかもしれません。

 しかし、その覚悟の徹底性からくることばは、そういうパターンで理解しきれない、というか処理しきれない響きをもっているように思われます。

 この箇所でも、この宇宙には自分にとって具合の悪いことは起こっても、自然にとって不条理なことは起こらないことを、しっかりと再確認、覚悟しようという自省の深い思いが込められている、と感じます。




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今日のことば 5: つねにおぼえておくべきこと

2008年07月14日 | メンタル・ヘルス

 つぎのことをつねにおぼえておくべし。

 宇宙の自然とはなんであるか。

 私の(内なる)自然とはなんであるか。

 後者は前者といかなる関係にあるか。

 それはいかなる全体のいかなる部分であるか。

 また君がつねに自然――君はその一部分である――にかなうことをおこなったりいったりするのを妨げる者は一人もいないということを。

               (マルクス・アウレーリウス『自省録』岩波文庫、第二章9)



 コスモロジーの授業をすると出てくる典型的な反応に、「聞いたときは、そうだなと思って感動して、元気になるんですけど、一週間経つといつの間にか落ち込んでいるんです。どうしたらいいでしょう?」という質問があります。

 私が繰り返し答えるのは、「聞いた、感動した、忘れた、では、コスモロジーはあまりきみの実生活の役に立たない。聞いた、感動した、繰り返し思い出して、自分のものになった、というところまでいく必要があるんだよね」ということです。

 古代ローマの哲人皇帝マルクス・アウレーリウスでさえ、「つぎのことをつねにおぼえておくべし」と「自省録」に書き付けて、自分自身に繰り返し言い聞かせる必要があったぐらいですからね。




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今日のことば 4: 魂の船旅

2008年07月13日 | 生きる意味

 『シレジウス瞑想詩集』から


    魂の船旅

 世界は私の海、船乗りは神の霊、船は私の身体である。このようにして魂は故郷へ旅立つのである。



 私が、世界・この世で生きることは、実は宇宙が私において生きていることです。

 そのことを「魂」というのだと解釈することができます。

 私の身体は旅が終われば乗り捨てられ、朽ちていく船のようなものですが、宇宙は宇宙に還る旅をしているだけです。

 私たち(本当の自己)は、生きる前も宇宙に、生きている今も宇宙に、そして死んでからも宇宙にいます



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今日のことば 3 : もし地球が壊滅状態になるとしても

2008年07月12日 | 持続可能な社会

 まったりと脱力して終わりなき日常を生きることができる、と多くの若者が錯覚している間に、世界は北極の氷も溶け、ヒマラヤの氷河も溶け、IPCCの深刻な警告にもかかわらず 1)、洞爺湖サミットはしないよりはいいけど……程度の合意で終わり、石油価格も食糧も高騰し、多くの人々が飢えに苦しみ、死に……という危機が深まっています。

 しょっちゅう人身事故で電車は止まるのですが、しばらくするとまた動き出し、秋葉原では何事もなかったかのように電気製品が売られており、教育委員会や校長・教頭が汚職をしているのが発覚し、どうもそれは氷山の一角に過ぎないらしく……と、私たちの時代は、一見、先行きが見えないように見えます。

 しかし、私たちが賢くなれば、先行きというより、行き先はある、というのが私たちの考えです 2) 3)

 そんな状況の中で、宗教改革者マルティン・ルターのものと伝えられる言葉を思い出しました。

 40年も前に、大学生の頃、先生から教わって深く記憶に残っているものです。


 「明日、世の終りが来るとしても、私は今日、一本のリンゴの木を植える。」

"Wenn morgen die Welt unterginge, wurde ich heute ein Apfelbaumchen pflanzen."


 とても美しい、励まされることばです。

 「明日、世界が滅亡するとしても、私は今日リンゴの木を植える」という訳もあるようですが、私はein 、「一本の」が入った訳のほうが好きです。

 ルターは、もちろん神を信じ、世の終末には神が正しい裁き(最後の審判)を行なって、人類史の不条理にすべて決着をつけてくれることを深く信じており、しかもその終末がいつ来るかは神のみぞ知るであって、自分の知りうるところではないと思っていたからこそ、こういうことばを語ることができたわけです。

 それに対して私たちは、コスモスの進化には終わりがないということを科学的に認識しているので 4) 5) 、もし現代文明が壊滅状態になったとしても、「それでもコスモスの進化は止まらない」というゆるぎなき安心感をもって、このことばを味わいなおすことができます。

 もし、まもなく現代の地球文明がそうとうな壊滅状態になるとしても、私は今日、その先の世代のために自分たちにできることをする。

 しかも、私(ひとり)にできるささやかなことだけでなく、私たちにできる、できるだけ大きなことをしたいと思っている。

 それにあわせて、60年代のフォークソング、ピート・シガーの歌詞、「一人の小さな手、何もできないけど それでも みんなの手と手をあわせれば 何かできる 何かできる…」も思い出しました。



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今日のことば 2

2008年07月11日 | メンタル・ヘルス

  生死一如


 それぞれのいのちが宇宙のいのちの一部であることを覚ると、生と死も宇宙のプロセスであって分離した別のことではないことがわかる、という意味の禅語です。

 「生死」は仏教読みでは、「しょうじ」です。

 昨夜の般若心経の講義の中で、ふと思い出し、改めていいことばだなと思いましたので、ご紹介します。




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今日のことば 1

2008年07月10日 | メンタル・ヘルス





心の目の開け方、向け方、近づけ方を学んだら、きみときみの生きている世界は、輝いて見える。 1) 2) 3) 4)




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自殺大国日本:日本人の精神的荒廃のもう一つの側面

2008年07月07日 | メンタル・ヘルス

 19世紀イギリスの首相ディズレーリの有名な言葉に、「世の中には3つの嘘がある。一つは嘘、次に大嘘。そして統計である。(There are three kinds of lies: lies, damned lies, and statistics.)というのがあります。

 もう一つ、「政治家と統計は嘘をつく」というのもあるそうです。

 しかし、なるべく事実に基づいた論を立てるには、公的な統計はまず参照しておいたほうがいいと思いますし、ネットで容易に検索できますので、ここのところいろいろ見るようにしています。

 日本人の精神的荒廃に関わる、もう一つの大きなテーマは「自殺」でしょう。

 厚生労働省の「自殺総合対策会議(第2回)」(平成19年4月)の「参考資料
の中に「我が国の自殺の概要」という項目がありました。

 それによると、平成10年に3万人を超えてから、13、4年に2万9千人台になってはいますが、以後ずっと3万人を超えるという状態が続いています。

 驚きとやはりという気がしたのは、世界の諸国との比較です。

 WHOの資料によれば、自殺率(人口10万人あたり)は23.8で世界第10位(1位からあげると、リトアニア、ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、スロベニア、ハンガリー、エストニア、ウクライナ、ラトビア、そして日本)です(自殺数では、中国、インド、ロシア、米国についで第5位になっています)。

 1位から9位までの国は、政治・経済の混乱が大きな原因になっていると推測-了解ができます。

 しかし、経済大国(だった?)はずの日本で、なぜこんなにも自殺率が高いのでしょう。

 厚生労働省平成14年の報告では、G8諸国の自殺による死亡率(2000年時)では、ロシアについで第2位(以下、フランス、ドイツ、カナダ、アメリカ、イギリス、イタリア)です。

 これは、単なる経済的原因(不況等)だけでは説明できないように思います。

 もう一つ、「社会実情データ図録」というサイトがあって、時々利用しています(信用度についてはよくわかりませんが)。

 そこに「景気、失業者数、自殺者数の変動幅の推移」という記事がありました。

 その記事にこうあります。

 「自殺者数については、70年代までは景気や失業との相関は余り見られなかった。ところが、1980年代前半の不況の際には、失業の増加から更に1年遅れで自殺者が増加した。それ以降、自殺者と景気はおおまかには相関している様子がうがかえる。(もっとも90年代前半のバブル後不況については、失業者の動きとは異なって反応度が高いかたちで追従することはなかった。98年の自殺者急増はこのことの反動のようにも見える。)」

 私が注目したいのは、「自殺者数については、70年代までは景気や失業との相関は余り見られなかった。」というところです。

 つまりそれは、当たり前といえば当たり前なのですが、経済的理由だけでは――つまり景気が悪くても失業しても――生きる理由・希望・意味がわかっていれば、人間は簡単には死なない、ということです。

 もう一度、「我が国の自殺の概要」で確かめてみると、戦後のもっとも厳しい時代、昭和22年から28年まで自殺者は1万人台だったのです。

 現代日本では、生活が苦しくても生き抜く理由がわからなくなっっている、つまりニヒリズムが浸透してきた、精神性の荒廃が進んでいる、という私の解釈は、改めてこうした統計に照らしても妥当なのではないかと考えているところです。

 あと、自殺率が上がっているのは圧倒的に中高年男性(戦後一貫して女性の率はあまり上がっていない)だというところに、男性の一員としてなんともいえない悲しさを感じます(ほんとうに「男はつらいよ」ですね)。


*この他、「いじめ」、「高齢者虐待」、「孤独死」などについても、統計資料を参照しながら考えてみたいと思っています(すぐにはできないかもしれませんが)。



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母心の荒廃:日本人の精神的荒廃の重要局面

2008年07月06日 | いのちの大切さ

 「日本人の精神的荒廃の三段階」の講義をすると、必ずといっていいくらい出てくる反論・疑問の一つに、「荒廃しているという根拠(データ)はあるのか?」「最近凶悪犯罪、青少年犯罪が増えているというのはメディアがでっち上げたイメージで統計的には増えていない」といったものがあります。

 犯罪件数については、すでに述べたので、今回は、「児童虐待」についてふれておきたいと思います。

 幼い子どもが大切にされるどころか虐待されるというのは、明らかに社会の荒廃を示す現象だと思うからです。

 第72回日本社会学会大会での金原克憲氏の報告によれば、「幼児虐待は近年著しい増加傾向がみられる。全国の児童相談所における幼児虐待処理件数は、集計結果が公開開始された1990年の1101件から1997年では5352件と、7年間で5倍近く増加している。虐待者別に処理件数をみると、1位は実母による虐待であり、2943件(55%)と半数以上を占めている。」とのことです。


 そうした状況に対して、厚生労働省等、責任ある公的機関は十分に対応しているのでしょうか。

 平成15年6月付けの「社会保障審議会児童部会『児童虐待の防止等に関する専門委員会』報告書」の「はじめに」にはこう書かれています。


 児童虐待への対応については、「児童虐待の防止等に関する法律」(施行:平成12年11月20日。以下「児童虐待防止法」という。)の施行以来、広く国民一般の理解の向上や関係者の意識の高まりが見られ、また、この間、様々な施策の推進が図られている。
 しかし、全国の児童相談所に寄せられる虐待の相談処理件数も、ここ数年の間に急増し、平成13年度においては、児童虐待防止法が施行される直前の平成11年度の約2倍となる約2万3千件にも上っている。
 また、児童相談所の職権による一時保護や、保護者の意に反する児童福祉施設への入所措置を家庭裁判所に申し立てる件数の増加など質的にも困難なケ-スが増加している。児童養護施設に入所する子どももここ数年増加し、虐待を受けた子どもの入所も増加している。
 このような状況にあって、児童虐待対応の中核機関である児童相談所や虐待を受けた子どもを受け入れている児童福祉施設をはじめとする関係機関においては、様々な取り組みを行っているものの、十分には対応し切れていないなど、大変厳しい現状におかれており、児童虐待への対応は、早急に取り組むべき社会全体の課題である。


 「児童虐待への対応は、早急に取り組むべき社会全体の課題である」と書かれてから5年経った今年の6月朝日新聞の報道によれば、「全国の児童相談所が対応した児童虐待が07年度は過去最多の4万618件(速報値)に上ることが17日、厚生労働省のまとめで明らかになった。前年度より約3300件増え、初めて4万件を超えた。虐待を受けて死亡した児童は03~06年に295人いた。」とのことです。


 3つの資料を合わせて考えてみましょう(他にもいろいろな資料があるでしょうが、専門家ではないので、手近に入手できる社会的権威ある(と思われる)機関のものを使っておきます。)

 平成2(1990)年 1101件
 平成9(1997)年 5352件(7年で5倍近く増)
 平成13(2001)年 約2万3千件
 平成19(2007)年 4万618件

 もし資料に大きな誤りがないとすれば、調査が始まった平成2(1990)年からなんと約37倍になっています。

 ……とここまで書いて再度検索したところ、より詳細な「児童虐待相談対応件数の推移」というデータが見つかりました。

 これは、児童虐待の実数ではなく「相談対応件数」にすぎません。

 かつて相談されなかったのが相談されるようになったので増えた数も一部あるとは思われますが、それだけでなく実際増加しているのであり、おそらく相談されていない何倍もの件数の実態があるのだと推測されます。

 知れば知るほど、きわめて心の痛む深刻な事態、恐るべき荒廃というほかないのではないでしょうか。

 もちろんいろいろな社会的条件もあって、虐待してしまうお母さんのつらい事情もあるでしょう。

 しかしそれにしても日本社会全体として見れば、いのちを産み、守り、育てる中核であるはずの母(の心・精神性)が荒廃しているとしかいえない、と私は思うのですが、読者はどうお考えですか。

 そして、そうした事態を招いた責任の大きな部分が、「お金にならない家事・育児など価値はない」といわんばかりの価値観を流通させた、経済優先社会のリーダーたちにある、と思えてなりません。



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いのちの大切さが伝わる授業

2008年07月06日 | いのちの大切さ

 学生(2年女)がまた次のような授業への感想・評価・証言を書いてくれました。


 ……私はこの授業をうけるまで自分が他人と親せき(つながっている)と考えたことがなかった。

 この授業を通して、自分は今までの歴史が集積したものであり、進化の一部であることを知ったし、家族以外の人ともつながり、親せきで、かけがえがないということも知った。

 中学校の頃も薬物についての授業などで「自分は大切な存在なのだから……」と度々聞いていたが、単なるきれい言だと思っていた。

 今なんとなく、その意味が自分のものとなりつつある。

 最近、自分の行動によって次になにが起こるかを考えるようになった。

 授業をうけて自分の行動がかわるなんて授業は今までなかった。


 児童・生徒・学生が関係した悲惨な事件が起こるたびに、学校関係者の口から「これまでも教えてきたのですが……いっそういのちの大切さを教えていきたいと思います」といった言葉が聞かれます。

 そのたびに私は、「いのちは大切だ」といいさえすれば子どもがいのちの大切さへを納得するのならば、こんなに問題は起こらないはずなのに、と残念でなりません。

 「度々聞いていたが、単なるきれい言だと思っていた」、「授業をうけて自分の行動がかわるなんて授業は今までなかった」と学生が証言しているとおりです。

 私の10年以上のアンケートや聞き取り調査からすると、この学生の証言は特殊例ではなく、きわめて一般的なものだと思われます。

 あえていわせていただきますが、従来の〔絶対の根拠不明の〕ヒューマニズム的な教育法では、十分な質と量の納得は起こっていないのではないでしょうか(「そんなことはない。こんなに効果が上がっている」という反論があれば、ぜひお聞かせ下さい)。

 どういう思想と方法ならば、聞いている子どもの心に「いのちは大切だ」ということが「自分のものになる」という体験が起こるのか、教育関係者の方や親御さんに、ぜひ根本的な再検討をしていただきたいと切望しています。

 でなければ、ほぼまちがいなく同質の問題がこれからも繰り返し起こると予測されるからです。

 そして、コスモス・セラピー=コスモロジー教育は、唯一・最高かどうかはともかく、検討していただくに値する実績のある、一つの有力な候補であると思っています。
 


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『宇宙はこうして誕生した』

2008年07月05日 | メンタル・ヘルス


 大阪での講演に向かう途中、新幹線の駅の売店にこの本がありました(佐藤勝彦編著『宇宙はこうして誕生した』株式会社ウェッジ、1470円、2004年1刷、現在8刷)。

 コスモス・セラピーは現代科学の標準仮説を基礎にしていますから、改訂の必要がないかどうか、時々心がけてこうしたものに目を通しておくことにしているので、出た時から気になっていたのですが、読む時間がなさそうなので、そのうちにと思いながらそのままになっていたものです。

 待ち時間があったのでちょっと手に取って数頁読んでみるとおもしろそうなので、つい買ってしまい、レポート採点に使う予定だった行き帰りの車中の時間をつぶして読み終えました。

 「はじめに」に次のようにありました。


 宇宙創生の神話は、キリスト教の創世記に代表されるように、世界各地にそれぞれの民族の香りを漂わせながら数多く存在します。
 今日、私たちは二十世紀の爆発的な物理学の進歩と宇宙の観測技術の進歩によって、これらの問いかけに対して、科学的に答えることができる時代になりました。
 「私たちの住む宇宙は”無”から生まれた。無から生まれたミクロの宇宙は、インフレーションと呼ばれる急激な膨張によって、私たちが住むことのできるようなマクロ宇宙になった。インフレーション中に仕込まれた物質の凹凸が成長し、銀河や星が生まれ、私たち人類の存在をも含む、多様で美しい現在の宇宙が創られた」


 現代日本の科学的宇宙論の権威ともいうべき著者が、「宇宙は無から生まれた」と言い切っていて、「という説もある」という言い方をしていないのが、「ふーん、とうとうそこまで来たのか」という感じでした。

 もし「宇宙は無から生まれた」のだとすると、必然的に「宇宙の一部である私も無から生まれた」ということになり、「無は私も含む万物の母」ということにもなり、したがって私たちは「母なる無」を怖れる必要はないということにもなります。

 ニヒリズムは完全に終わりですね。

 読んでみると、その他いろいろ新しい、おもしろいテーマが出てきているようですが、基本的にコスモス・セラピーのストーリーの流れを変更する必要はないことが確認できました。

 しかしともかくおもしろかったので、お薦めです。



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瞑想の詩集

2008年07月04日 | いのちの大切さ

 17世紀ドイツのシレジウスという宗教詩人がいます。

 岩波文庫に『シレジウス瞑想詩集』上下があり、愛読書の一つです。

 次のような美しい言葉があります。



 あなたの外面的な目がここで見ている薔薇は、永遠に神の中で咲いている。(108)

 薔薇はなぜという理由なしに咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない。人が見ているかどうかも問題にしない。(289)



 とても深くて美しい言葉だと感じます。



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持続可能なまちは小さく、美しい:上勝町の挑戦

2008年07月04日 | 持続可能な社会




 ご縁があって、持続可能なまちづくりで知られる徳島県上勝町町長の笠松和市さんと環境ジャーナリスト佐藤由美さんの共著『持続可能なまちは小さく、美しい』(学芸出版社、本体1500円+税)を送っていただきました。

 レポート採点と重なってしまい、なかなか読めなかったのですが、ようやく時間を見つけて読み終わりました。

 地方の自治体単位でも、ここまで出来るという希望を感じさせくれる、すばらしい報告です。

 しかし同時に、戦後政府の農政・地方政策が結局は地方・農村を疲弊させる方向にあったこと、それを根本的に克服するにはやはり国が掌握している立法権と徴税・起債権という権限のところまで考えるほかないということも考えさせられました。

 ぜひ、「持続可能な国づくりの会」との提携-連帯を提案したいものだ、と考えています。

 くわしいことは、また時間を作って書いてみたいと思っています。



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