「この授業を受けると受けないとでは自分の人生が大きく異なってくるのではないか」

2008年07月20日 | 心の教育

 M大の授業名は「仏教心理論」ですが、意図があって、前期は現代科学の話を主にして仏教の話はほとんどしません。その意図を理解してもらえているかどうかを確かめるために、今回のレポートの課題は「仏教心理論なのに、なぜ現代科学の話をしたか?」としました。

 ポイントをとてもよく摑んでいるレポート(☆A評価)の1つを紹介します(2年生女子)。



 現代の日本人の中には自信がなかったり、生きる気力がなかったり、孤独を感じたりしている人が少なくない。
では、私たちが自信もてたり、生きることをすてきに感じられたりするにはどうしたらいいのか。

 答えの一つに仏教を学ぶことである。日本人の心の中心、価値観の元にあるのは仏教である。今ではなかなか口にされなくなったが、親が子どもを叱るときに言う「悪いことをすると罰が当たる」というのも仏教的な考えの一つである。
 私たち現代人は身近でなくなりつつあるある仏教をもう一度理解することで上記に述べた問題を徐々に解決していくことができる。

 仏教では命の大切さを学ぶことができ、またつながりコスモロジーと重なる。

 つながりコスモロジーとは現代科学での宇宙論である。現代科学では、私たちはもともと一つの宇宙と一体で、その一部であり、その進化のプロセスである、と言われている。
 宇宙は137億年ほどの歴史をもつが、そのうち人間が出現してきたのはごく僅かな時間でしかない。しかし、私たち人間は137億年という歳月によって生み出されたものであることにかわりはなく、またこれからのモノに影響を与えていくモノでもあるのだ。私達の体には宇宙137億年の歴史が入っている。

 このように考えて遡っていくと、私たち人間は皆親戚であり家族であり、星の子であるのだ。したがって誰一人として孤独な人は居ないことになる。
 また、生きていてもつまらないから、と自分の生命を粗末に扱う人が居るかもしれないが、それは間違っている。自分が今までの宇宙の137億年の歴史の結晶であることを忘れてはいけない。
 宇宙から託された命や潜在能力を100パーセント結実し、自分と宇宙は一体と気がつく必要がある。

 これ以外に自信がない、という問題があるが、そもそもの理由は今の社会の風潮にある。
 現代は常に社会の中で他人と比較される。そのため、自分より優れている人を見れば見るほど自分を惨めに感じ、ますます自信がなくなっていく。
 確かに社会の中では比較されることはあるが、家の中でまで、しかも自分自身で自分を他人と比較する必要はあるだろうか。比較のしすぎである。私たちには宇宙の歴史から生まれた様々な能力が備わっている。例えば体力や視力、聴力、歩行能力、会話能カ…などである。これでも自分には全く能力がなく、自信がない、と言えるだろうか。

 これらのように現代科学から私たちは生きる活力を得ることができるのだ。そしてそれが仏教心理にもつながってくる。

 最近良くないニュースが多い。しかも若者の犯罪が多く、悪質である。その犯罪者達が、自分と他人は親戚であり、誰一人として孤独な人は居らず、みんな何かしらの能力をもっているのだ、と知ったら何人の人が思いとどまるだろう。

 つながりコスモロジーの考え方を日本中にまずは広める必要がある。


  感想

 この授業の最初の頃に近代科学の話から、ニヒリズムについて話している時があった。私はその話を聞いて、自分は完全にニヒリズムだと思った。
 自分の人生は自分のためにあると思っていたし、なんだかんだ言って、いつも自分のことばかりを気にしている自分を前々から少し気にしていたからだ。自分がニヒリズムであることが単純にショックだった。きっと認めたくない自分が居たのだと思う。
 それから一気に授業に望む気持ちが変わった。

 初め先生が「私はみんなを親戚と思っている」と言ったとき上手く言っていることが自分の中に入ってこなかったし、どちらかと言えば拒否したくなった。
 しかし、後の宇宙の歴史、つながりコスモロジー、現代科学の話を聞いていく中で徐々に自分の中に入ってきて、いつの間にか自分のものになっていた。だから「みんな星の子なのだ」と言われたときは、うん、うん、とうなずけた。

 また、先週(7月10日)の授業で実際に体を動かしながら自己を認識する授業を受けて、生きることの本当の意味を知った。感動することができるのは人間だけで、とてもすばらしいことだと再認識した。

 それから、特に印象に残っている部分は、社会の中では比較されても、家の中でまで比較する必要はない、というところだ。この部分に強く同意する。例えば学校や会社での成績を比較され落ち込む人が出てきて、その人が家の中でもずっとそのことを考え続けていたならば、きっとその人は死にたくなったり、自分に意味を感じられなくなったりすると思う。自分自身で自分の能力を見つけることはとても大切なのだ。

 今まで自分は周りの人のことを親戚とは全く考えなかったし、自分の行動が次にどう他人に影響するのかもあまり考えなかった。しかし今は反対だ。

 振り返って思う、自分の考え方を良い方向に変える授業は小、中、高、大学通してなかった。この授業を受けると受けないとでは自分の人生が大きく異なってくるのではないか、と私は思う。



 こうしたレポートに対して、「4ヶ月授業を受けたくらいで、『人生が大きく異なってくる』なんてことがあるのか。一時の感動にすぎないのではないか」、あるいは「いい点をもらうために教師を喜ばせるようなことを書いているにすぎないのではないか」といった疑いをもたれる読者もいるでしょう。

 確かに「わかった→感動した→忘れた」という、持続・定着性の問題があることはまちがいありませんが、それに対する対策はすでに少し書きました 1)(詳しいことはまた後日書きたいと思っています) 。

 また実際、「いい点をもらうため」という面の感じられるレポートもあります。しかし、授業時の顔を直接見ていれば、ほんとうに感動しているかどうかはかなり確実に確認できると思います。さすがに、顔まで感動の演技はしていないと思うのですが、どうでしょう。

 それより何より、私の授業を受けた学生たちの中から、「持続可能な国づくりの会」という具体的・建設的な社会行動を起こしている若者が何人も出ていることが、一つの授業効果の証明だと思っています 2)

 レポートの学生も「つながりコスモロジーの考え方を日本中にまずは広める必要がある」といっていますし、もっと積極的に「発信者になる必要がある」といっている学生もいます。

 しかし問題は、「振り返って思う、自分の考え方を良い方向に変える授業は小、中、高、大学通してなかった」ということです。

 「この授業を受けると受けないとでは自分の人生が大きく異なってくるのではないか、と私は思う」というのが、この学生だけの特殊意見、または紹介している学生たちの少数意見にすぎないのならともかく、もっと一般性のある意見だとしたら、教育関係者のみなさんに、ぜひ検討していただきたいと思うのです。

 ぜひ、読者のコメントをお寄せください。




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コメント (6)
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