順境の日には楽しめ。逆境の日には考えよ。
神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。
(旧約聖書『伝道の書』第七章一四節、日本聖書協会訳)
人間の一生には、ほとんど例外なくいろいろ浮き沈みがあり、幸福な日もあれば、不幸な日もある。
実際に浮き沈みがあるのだから、気持ちのほうも浮き沈みするのはしかたがないといえばしかたがない。
しかし、しばしば実際よりも気持ちのほうが大げさに浮き沈みすることがあるようで、それは、どうもあまりいいとはいえないように思う。
いい悪い以前に、あまりいい気持ちではない。
もちろん、ものに感じないのはつまらない。
だが、ふりまわされて動揺しすぎるのは、やはり苦痛である。
それで、何かあるたびに、先に引用した言葉を思い出すことにしている。
幸せな時にはすなおに幸せを楽しみ、苦しい時、悲しい時には、それを通して人生の深い意味を問う。
そういう対処ができれば、いい日も悪い日もそれなりによく生きられる、と思うのだ。
残念ながら、特別に例外的な人以外は、幸福だけでは生きられないらしい。
どうも世界は、自分の思いどおり・つごうどおりになるようにできていないらしいのだ。
世界がそうなっていないとすると、あとはそれに対するこちらの対処のし方しかない。
「神」という言葉がぴんと来なければ、「天」とか「自然」とか「宇宙」という言葉に置き換えてもことは同じだ。
ともかく人生の順境・逆境のめぐりは、自分を超えていてコントロールできない。
いくらかでもコントロールできるのは、それに対する自分の心だけだ。
それにしても、心のあり方しだいで、同じ事態がそうとう違って見えることも確かだ。
*これもかつて書いた小文ですが、参考にしていただけるかなと思って掲載しました。
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