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大阪の学力テストを賃金に反映する問題の対話

2018年08月20日 12時27分53秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
大阪の学力テストを賃金に反映する問題について、SNS上のサロンでで対話したが、私の考えを投稿したのでここでも掲載します。


「全国学力テストの結果を、教員の手当や人事評価に反映させるとした大阪市長の提案」の新聞記事に下記の意味のコメントが掲載されていた。 学校の実情は報道でしか知らないが、報道が誤りでなければ、その通りだと思う。
< >内、投稿コメント要旨(私の投稿ではありません)
<全国学力テストの結果で大阪の学校教育が悪くなったことが判明した原因。 
教育経験のない校長の公募や教育委員会のいびつな権限強化といった橋下改革が原因。
その結果、公教育に株式会社の論理を持ち込み、教育をサービス業に貶め、学校現場を混乱させ、先生たちを疲弊させた。
いま大阪の教育現場では、教頭のなり手がなく、採用試験でもいい人材が集まりにくくなっている。
大阪の教育を変えるには、時代錯誤の新自由主義を信奉する知事、市長を変えるしかないと考える。>
(上記記事は20180819 FBのグループに投稿)

上記私の投稿記事に対し、他者の反論要旨:学力向上が教員の仕事。人事評価に反映させることは悪くない。なんで橋下改革を原因にするかぁマスメディアはもっと取材をして現状を報道すべきだ。

以下、最後まで私のコメント
個人的な学力の問題やクラス単位の学力の問題だけなら、ご指摘の議論も成り立つかもしれません。
今回の問題点は、大阪府、市、全体の学力が低下したということです。
そうした議論を混同しない方がいいと思います。
組織的構造的問題が潜んでいると考えられます。
そうした問題に対し、大阪市の古典的な馬に人参的な、個人の問題に還元した発想はいかがなものかと思います。

「本来、教育は一対一の個人的なことだと思います。難しいことはわかりません。ただ、組織的構造的問題を教育者が発生さていませんか。」という意見について。 私の反論: そういう側面も少しはあるかもしれません。教育の技量や経験は個人の問題です。現実の学校教育は1対多です。そこには組織と運営の仕方、方法が定められています。そうしたことを決定指導するのは管理者(校長)であり更に上級の教育委員会や行政の長になります。個人に責任を転嫁してませんか。自己責任論と共通したお考えがうかがえるように思います。

私は教育に関しては素人ですが、周囲に教員の知人友人が沢山いて、学校の悩みを聞いたこともあります。その為教育問題にも興味があり、報道や教育評論にも関心があります。その問題は別にして、論理的に物事を考える場合、まず現実を正しく把握する必要があります。少なくとも学校や塾は一人または2人(補助教員)の先生が複数の生徒を教えていて教室が出来上がっています。教室が集まったのが学校で、クラスも学校も組織体です。その為、学級経営・学校経営といったことは当然の話です。組織体の運営にはどんな体制に係わらず、マネジメント=運営・管理・経営が欠かせません。        ここで問題なのは、管理の仕方にはいろいろあって、新自由主義的な管理、即ち競争原理や成果主義・効率第一・経済第一や極端に言えば人をモノとみなす管理も考えられます。当然人間はモノではありませんし、生徒の個性や関心はすべて違います。そういう意味でとにかく点数を上げる事だけに特化していいのかという問題だと思います。理解度を増すのは教育の一番大切なことは言うまでもありませんが、その手法も現在では、ITの利用とアクティブラーニングや塾のノウハウの活用その他さまざまな手法が考えられています。        教育風土、家庭環境、教員の多忙、文化的価値観の高低、その他様々な複雑な要素が絡み合った教育問題を、単にテストの得点と教員の賃金をリンクさせようという単純思考の反知性的かつ新自由主義的要素の強い大阪市の方針は違っていると思います。     現状を正確に調査しより深く分析して構造的問題を洗い出し、学校のみならず家庭や社会を巻き込んだ議論をし、解決策(組織を含む)を求めるべきだと思います。  余談になりますが大阪の美術品に対する支出は全国で最低といった報道がありましたが、それ以外にも大阪の文化人から大阪の人は金儲けには熱心だが、文化芸術に対しほとんど関心がないという指摘をいろんな方がしています。例えば国の貴重な文化遺産である文楽の補助金を打ち切ったり、集客の為とイルミネーションで飾り立てたり、企画会社・興行会社が喜ぶ催し物を多く作ったり、極めつけは壮大な博奕場IRを作ることには金を出しても、文化面には金を出さないのが大阪での維新政治の実態ではないかと思っています。


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