晴 最高/最低℃ =10.5 3.4
昨日は、午前中借りていた図書の返却日なので、延長手続を行った。
午後から京都に行き三条界隈の現代系画廊を回った。
三条につくと多くの人がいて、その持ち物や服装と、ポスターでも京都マラソンのことが掲示されていて、その為に多くの人が来ていることが分かった。
京都のギャラリーは、日曜日が最終日で、井生野ギャラリーが5時に終了するので、地下鉄を利用して蹴上まで行くことにした。
駅を出ると後は大通りに沿って下るだけだ。
いつものように、スズキ ― 虹 ― モーニング ― クンストアルツ ― 16 - 同時代と回った。
マロニエや寺町界隈もまわろうとしたが、時間切れで回れなかった。
スズキで個展を開いていた湯上氏や、虹で開いていた、大橋氏も、私がギャラリーをやっている時代からよく知る作家で、二人とも作品について、いろいろ話を聞くことができた。
それ以外のギャラリーでも、作家がいたので、しっかりと意見交換ができた。
私は、ギャラリーに行くと、作家がいればできる限り話を聞くようにしている。
作品に関して、いろんなことを質問すると作家は丁寧に答えてくれるが、そうした作家との対話は、現代美術を観る力を鍛えてくれている。
昔は作家と話がかみ合わなかったこともよくあったが、今は話が良くかみ合い、作家の意図も、話を聞く前から読み取れることも多くなり、そうしたことが喜びの一つでもある。
その後東山近くのファストフードでコーヒーを飲みながら読書した。
7時前にそこを出て、近くのギャラリー JARFOに向かった。
JARFO夜ゼミに参加した。
テーマは菊畑茂久馬についてであった。
そして、現代美術と戦後美術の違いということを中心に尾崎氏の解説があった。
私は、菊畑茂久馬や九州派のことは全く知らなかった。
九州派や菊畑の「奴隷系図-円鏡による」や「奴隷系図」や「天動説」「天河十七」等様々な作品が紹介された。
JARFO夜ゼミでは、知らない作品を観てタイトルを付けるという作業が入る。
自分でタイトルを作る作業で、作品と正面から向かい合い、作品から作家の伝えたいものを汲み取ろうとするため、様々な側面から作品を観察することにより、作品の鑑賞力が養われるのだ。
現代美術では、多くの作品が、質の高い作品ほど細かなことまでこだわって意味をもたせていることが多くある。
菊畑茂久馬の作品と、夜ゼミ参加者の推測したタイトルとはかなりかけ離れていたが、非常に面白かった。
具体やもの派は現代美術として取り上げられているが、菊畑茂久馬をはじめ九州派は戦後美術として扱われることが多いという。
そのあたりの、評価分析は、もひとつよくわからなかったが、九州派が途中で解体した脆弱なグループだったことが評価に影響しているのだろうか。
それ以前に、現代美術の定義が定まっていないのだから、そういう意味では現代美術と戦後美術の線引きも矛盾した話でもある。
昨日は、9時過ぎに講座が終了すると、2次会にも行かず、大阪に戻った。
ここ数日というより1週間余り前から、様々な展覧会や催しに参加したので、疲れ気味なのかもしれない。
今朝は多少体がだるい。
昨日は、午前中借りていた図書の返却日なので、延長手続を行った。
午後から京都に行き三条界隈の現代系画廊を回った。
三条につくと多くの人がいて、その持ち物や服装と、ポスターでも京都マラソンのことが掲示されていて、その為に多くの人が来ていることが分かった。
京都のギャラリーは、日曜日が最終日で、井生野ギャラリーが5時に終了するので、地下鉄を利用して蹴上まで行くことにした。
駅を出ると後は大通りに沿って下るだけだ。
いつものように、スズキ ― 虹 ― モーニング ― クンストアルツ ― 16 - 同時代と回った。
マロニエや寺町界隈もまわろうとしたが、時間切れで回れなかった。
スズキで個展を開いていた湯上氏や、虹で開いていた、大橋氏も、私がギャラリーをやっている時代からよく知る作家で、二人とも作品について、いろいろ話を聞くことができた。
それ以外のギャラリーでも、作家がいたので、しっかりと意見交換ができた。
私は、ギャラリーに行くと、作家がいればできる限り話を聞くようにしている。
作品に関して、いろんなことを質問すると作家は丁寧に答えてくれるが、そうした作家との対話は、現代美術を観る力を鍛えてくれている。
昔は作家と話がかみ合わなかったこともよくあったが、今は話が良くかみ合い、作家の意図も、話を聞く前から読み取れることも多くなり、そうしたことが喜びの一つでもある。
その後東山近くのファストフードでコーヒーを飲みながら読書した。
7時前にそこを出て、近くのギャラリー JARFOに向かった。
JARFO夜ゼミに参加した。
テーマは菊畑茂久馬についてであった。
そして、現代美術と戦後美術の違いということを中心に尾崎氏の解説があった。
私は、菊畑茂久馬や九州派のことは全く知らなかった。
九州派や菊畑の「奴隷系図-円鏡による」や「奴隷系図」や「天動説」「天河十七」等様々な作品が紹介された。
JARFO夜ゼミでは、知らない作品を観てタイトルを付けるという作業が入る。
自分でタイトルを作る作業で、作品と正面から向かい合い、作品から作家の伝えたいものを汲み取ろうとするため、様々な側面から作品を観察することにより、作品の鑑賞力が養われるのだ。
現代美術では、多くの作品が、質の高い作品ほど細かなことまでこだわって意味をもたせていることが多くある。
菊畑茂久馬の作品と、夜ゼミ参加者の推測したタイトルとはかなりかけ離れていたが、非常に面白かった。
具体やもの派は現代美術として取り上げられているが、菊畑茂久馬をはじめ九州派は戦後美術として扱われることが多いという。
そのあたりの、評価分析は、もひとつよくわからなかったが、九州派が途中で解体した脆弱なグループだったことが評価に影響しているのだろうか。
それ以前に、現代美術の定義が定まっていないのだから、そういう意味では現代美術と戦後美術の線引きも矛盾した話でもある。
昨日は、9時過ぎに講座が終了すると、2次会にも行かず、大阪に戻った。
ここ数日というより1週間余り前から、様々な展覧会や催しに参加したので、疲れ気味なのかもしれない。
今朝は多少体がだるい。