晴 8.6/0.2
昨日も、午後から漫然とTVを見て過ごした。
確かに、ニュースでは、日々予測しない事件・事故・問題が起きる。
最近では、例えば、ウクライナ・クリミヤ問題とロシアの軍事介入、柏市の無差別殺人事件、ビットコインといったものがある。
ウクライナ・クリミヤ問題は、一歩間違えば、大規模な軍事衝突に発展しかねなし、クリミヤは、歴史的地政学的観点からも、ロシアはどんな犠牲を払っても手放さないであろう。
国家間の紛争という観点では、現状維持が最も良いのだが、現実には、ハンチントン氏の指摘する「文明の衝突」の構造で、重層的に矛盾を抱えた国が、引き裂かれる可能性が強く、矛盾する要素が何かの事件その他で顕在化すれば、平和で問題のなかった地域も、文明圏・宗教の原理で引き裂かれることになる。
ユーゴースラビアやチェコも、指導者の死をきっかけに矛盾が顕在化し、分裂した。
そのとき、欧米は民族自決を支持した。
しかし、ウクライナの場合、歴史的民族的に複雑であり、特にクリミアは、過去にロシアの領土だったもので、かつ住人もロシア人が60%以上を占めるので、欧米の言う民族自決の原則からすると、国の一体化という話と矛盾する。
同様の問題は、中国やアフリカをはじめ多くの国が抱え込んでいて、誰もが簡単に結論が出せない問題である。
又柏市の殺人事件は、その背景すなわち人格障害への対応やネット社会の問題等考えを掘り下げるべき課題は多い。
それ以外にも震災復興の課題や避難民問題も、マスコミで多く取り上げられている。
このような様々な、世間で問題になっている事項をワイドショーでは取り上げ、時に専門家が解説するので、ついついTVを見てしまうのである。
元来私は非常に好奇心が旺盛なので、放っておくとニュース、ドキュメンタリー、教養、娯楽・お笑い、アニメ、スポーツ等どんな番組でも、子供番組(見ることは少ないが)から、大人の番組まで見るが、音楽番組(クラシック関係はかなり見る)や芸能関係やドラマ(朝の連ドラだけは見るのが癖になった)はほとんど見ない。
この、TV好きの癖は、直さなければと思っている。
多分、TV好きを直す最も良い方法は、時間を決めて無条件にTVの電源を切ることしか無いのだろうと思う。
最近は、電源をOFFにする時刻をTVのそばに置いて意識するようにしている。
というわけで、冒頭述べた午後から漫然とTVを見た後、夕方からジムに出かけた。
ジムに行くのは、気が進まなかった。
覚悟は決めているが、苦しいことをするのがいやなのだ。
ジムでは、時速9.6kmで24分間走った。
息が切れ、限界の状態である。
2月11日から時速9.6kmへの挑戦を始めた。
それまで、時速9.4kmで30分間楽に走れる自信と実績はあった。
その日時速9.4kmで24分間走り、その後スピードを9.6kmにして残り6分間走った。
終わったときは、疲労感も少なかった。
しかし、2月15日には時速9.6kmで15分走り、息が上がり足が疲れへとへとになった。
体力の限界を感じ、時速9.6kmで30分間走れるようになるには、かなり時間が必要だと感じていた。
それから1ヶ月で、時速9.6kmで24分間走れるようになるとは思っていなかった。
そのためには、記録を伸ばすために限界近くまで追い込む方法が功を奏したようだ。
その代償は、苦しみだ。
毎回走っているときに、途中で走るのを止めたいと何度も思う。
それをあと2分間走れ、と自分をだましだまし走る。
そして、限界まで息が上がるか、足に疲れが来てもつれそうになってランニングを終了するのだ。
多分限界を破るには、このような方法しかないのだろうと思っていて、ボディビルをしている人も、限界を超えるためには、ぎりぎりの所を耐えないと超えられないと、同じようなことを言っていた。
時速9.6kmで30分間走るために、これからもまだまだ限界に挑み苦しいトレーニングをする日が続きそうだ。
ジムに行くのが嫌になる原因も、まさにこのトレーニングの苦しさにある。
体力を維持するだけなら、時速9.0kmで30分間なら楽に走ることが出来るが、記録を押し上げるには、どうしても無理をしなければUP出来ないのだ。
このことに関連して、以前体調不良でかいた、右太ももの痛みに関して分かりだしたことがあったので、別ブログで書く予定。
昨日も、午後から漫然とTVを見て過ごした。
確かに、ニュースでは、日々予測しない事件・事故・問題が起きる。
最近では、例えば、ウクライナ・クリミヤ問題とロシアの軍事介入、柏市の無差別殺人事件、ビットコインといったものがある。
ウクライナ・クリミヤ問題は、一歩間違えば、大規模な軍事衝突に発展しかねなし、クリミヤは、歴史的地政学的観点からも、ロシアはどんな犠牲を払っても手放さないであろう。
国家間の紛争という観点では、現状維持が最も良いのだが、現実には、ハンチントン氏の指摘する「文明の衝突」の構造で、重層的に矛盾を抱えた国が、引き裂かれる可能性が強く、矛盾する要素が何かの事件その他で顕在化すれば、平和で問題のなかった地域も、文明圏・宗教の原理で引き裂かれることになる。
ユーゴースラビアやチェコも、指導者の死をきっかけに矛盾が顕在化し、分裂した。
そのとき、欧米は民族自決を支持した。
しかし、ウクライナの場合、歴史的民族的に複雑であり、特にクリミアは、過去にロシアの領土だったもので、かつ住人もロシア人が60%以上を占めるので、欧米の言う民族自決の原則からすると、国の一体化という話と矛盾する。
同様の問題は、中国やアフリカをはじめ多くの国が抱え込んでいて、誰もが簡単に結論が出せない問題である。
又柏市の殺人事件は、その背景すなわち人格障害への対応やネット社会の問題等考えを掘り下げるべき課題は多い。
それ以外にも震災復興の課題や避難民問題も、マスコミで多く取り上げられている。
このような様々な、世間で問題になっている事項をワイドショーでは取り上げ、時に専門家が解説するので、ついついTVを見てしまうのである。
元来私は非常に好奇心が旺盛なので、放っておくとニュース、ドキュメンタリー、教養、娯楽・お笑い、アニメ、スポーツ等どんな番組でも、子供番組(見ることは少ないが)から、大人の番組まで見るが、音楽番組(クラシック関係はかなり見る)や芸能関係やドラマ(朝の連ドラだけは見るのが癖になった)はほとんど見ない。
この、TV好きの癖は、直さなければと思っている。
多分、TV好きを直す最も良い方法は、時間を決めて無条件にTVの電源を切ることしか無いのだろうと思う。
最近は、電源をOFFにする時刻をTVのそばに置いて意識するようにしている。
というわけで、冒頭述べた午後から漫然とTVを見た後、夕方からジムに出かけた。
ジムに行くのは、気が進まなかった。
覚悟は決めているが、苦しいことをするのがいやなのだ。
ジムでは、時速9.6kmで24分間走った。
息が切れ、限界の状態である。
2月11日から時速9.6kmへの挑戦を始めた。
それまで、時速9.4kmで30分間楽に走れる自信と実績はあった。
その日時速9.4kmで24分間走り、その後スピードを9.6kmにして残り6分間走った。
終わったときは、疲労感も少なかった。
しかし、2月15日には時速9.6kmで15分走り、息が上がり足が疲れへとへとになった。
体力の限界を感じ、時速9.6kmで30分間走れるようになるには、かなり時間が必要だと感じていた。
それから1ヶ月で、時速9.6kmで24分間走れるようになるとは思っていなかった。
そのためには、記録を伸ばすために限界近くまで追い込む方法が功を奏したようだ。
その代償は、苦しみだ。
毎回走っているときに、途中で走るのを止めたいと何度も思う。
それをあと2分間走れ、と自分をだましだまし走る。
そして、限界まで息が上がるか、足に疲れが来てもつれそうになってランニングを終了するのだ。
多分限界を破るには、このような方法しかないのだろうと思っていて、ボディビルをしている人も、限界を超えるためには、ぎりぎりの所を耐えないと超えられないと、同じようなことを言っていた。
時速9.6kmで30分間走るために、これからもまだまだ限界に挑み苦しいトレーニングをする日が続きそうだ。
ジムに行くのが嫌になる原因も、まさにこのトレーニングの苦しさにある。
体力を維持するだけなら、時速9.0kmで30分間なら楽に走ることが出来るが、記録を押し上げるには、どうしても無理をしなければUP出来ないのだ。
このことに関連して、以前体調不良でかいた、右太ももの痛みに関して分かりだしたことがあったので、別ブログで書く予定。