散歩者goo 

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昨日記130429月(24/12晴/曇 今城塚古墳 今城塚古代歴史館)

2013年04月30日 18時28分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、正午過ぎに家を出た。
いつものように自炊をしていると、家を出るのがどうしても1-2時ごろになるので、現地での活動時間がなくなるのだ。

駅から少し離れた牛丼店で昼食をとり、それから駅に行った。
日曜祝日の駅前の駐輪場はいつも一杯だ。
急いで環状線に乗り大阪駅へ向かった。
JR大阪駅から、阪急梅田駅への陸橋を渡り、更に阪急梅田の2階切符売り場に行くまでに、グランフロントの掲示板を持った警備員が何人も立っていた。
大きな人の流れのいくらかは、グランフロントに行くのだろう。
グランフロントにも、一度は行かなければとも思っている。

阪急高槻へ向かう特急電車は、込み合うことはなく座ることができた。
高槻駅に下りてから、一昨日先ずネットで調べ電話を入れたレンタサイクルを探した。
7-8年前、社労士業務をしている会社で営業担当していたときに、阪急沿線のレンタサイクルを借りて中小零細工場を住宅地図を頼りに営業したことがある。
今回その経験で、レンタサイクルを使うことを思いついた。
無論足と体力には自信がある。

駅構内を捜し歩き、やっとレンタサイクルを見つけた。
先ず身分証明書(運転免許証)を見せ一時利用カード作成手続きをした。
すぐに用意された自転車に乗り、今城塚古墳を目指して走り出した。
途中でサドルの高さが低かったので調整して、地図を見ながら走り出した。
途中で、道に迷ったが、すぐに現在地を割り出し予定コースである西国街道?に出た。

しばらく走ると、芥川に着いた。
上流で多くの人が集まり、音楽が流れ、大量のこいのぼりが泳いでいる。
昨日の朝TVでそのニュースを放送していた。
そこに立ち寄った。
子供も大人もにこにこしている。
川岸の両堤の間に張られた多数のワイヤーには、さまざまなこいのぼりが結ばれていて風に吹かれて勢い良く泳いでいた。
自転車を土手の下において、土手に上がりしばらく見物し写真を撮った。

その後、しばらく自転車で進むと今城塚は、すぐに見つかった。
非常に巨大である。
古墳には2重の堀があり、ほとんどは遊べるように芝生にしている。
外堀の堤を走っていると、埴輪祭祀場が復元されていて、始めてみたときそのスケールの大きさと形の面白さに、言葉が出ず笑うのみだった。
おおらかでいつまでも見飽きない。
そして思ったより大きかった。
子供は、馬の埴輪の上に乗って遊んでいる。
埴輪の持つおおらかな空気が伝わる。
本の写真で見たときも感動したが、実物の復元模型はやはり格別だ。

それから今城塚古墳の脇に立つ今城塚古代歴史館に入った。
お目当ては、安満遺跡で発掘された弥生時代初期の銅鐸である。
その銅鐸は陳列されていたが、表面が黒く照明もゆるいため肝心の模様は分からなかった。
多くの発掘された出土品が展示されていて興味深かった。
発掘資料や考察を書いてあるパンフレットを購入した。
予定では、太田茶臼山古墳や、ハニワ工場公園まで足を伸ばすつもりであったが、全く時間はなかった。

大阪に帰って、いつもの店でコーヒー片手に本を読んだ。
4月18日から読み始めた350ページ近い「大王から天皇へ」を読了した。
大王からどのようにして神としての天皇になったか、説明していた。
私は、この本を読む前、多少皇国史観がかったことを書いているのではないかと懸念していたが、純学術的に文献批判を行い、各時代で天皇がどのように代わっていったか良く描かれていた。
天武天皇時代に天皇制の基礎が定まったことは知っていたが、やはりそうだった。
鎌倉時代以降、武力を背景にした武士の政権が成立してからは、天皇は力を失うが、それ以前の天皇は力を持っていたようだ。
女帝の斉明天皇もその一例だろうし、奈良時代の聖武天皇も多く遷都をし、平安遷都をした桓武天皇もそうであった。
また古墳時代や飛鳥時代は、朝鮮半島や中国の関係を抜きに日本の歴史が語れないことも良く分かった。
昨日は考古学古代史三昧の大満足の一日であった。
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