ついにコンピューターが米長邦雄永世棋聖に勝ったという記事がNHK NEWSwebに出ていた。
米永永世棋聖に勝ったのは、次のソフトである。
「大手電機メーカーの研究所に務める伊藤英紀さんが開発した「ボンクラーズ」という将棋ソフトです。「ボンクラーズ」は、去年開かれた将棋ソフトの世界大会で優勝した現在最強と言われるソフトで、6台のコンピューターを使って1秒間に1800万手まで読むことができます。」(NHK NEWSwebより抜粋)
この話で面白いのは、「コンピューターに敗れた米長邦雄永世棋聖は、今回の戦った将棋ソフトの「ボンクラーズ」と、あらかじめ自宅で対局して研究を重ね、ふだんプロの棋士が指さないような手をわざと指して、コンピューターを惑わせる作戦で挑んだということです。」(NHK NEWSwebより抜粋)
この話を読むと、確かにコンピューターに、米長邦雄永世棋聖は、負けたが、その敗因として考えられるのは、「ボンクラーズ」は、1秒間に1800万手まで読むことができるが、それに対して米長邦雄永世棋聖の作戦、即ち「ふだんプロの棋士が指さないような手をわざと指して、コンピューターを惑わせる作戦で挑んだ」ことが、感情のないコンピューターには通用せず、粛々と1秒間に1800万手まで読むことができるコンピュータの能力を発揮して、奇策の手を順次咎めて勝ったのだろう。
奇策は感情を持つも人間では、奇策を打たれると、打つ手を考える前に、それ以外のことを考える癖がある。
例えば、奇策(常識と違う手)を打ってきた場合、その本心に何があるのかを考え、(例えば前提条件を全く変えるとか、違うルートから攻めるとか、)勝算があると相手が考えている何かについて、前提条件とかさまざまな事を類推しようとする。
奇策を打つ場合は、必ず常識はずれになるが、その場合の常識はずれは、今までのルールになかったことをする場合、即ち想定外のことをする場合が多い。
ところが、戦争とか、ビジネスでは、奇策を打たれると、元々想定外の条件がコンピューターにインプットされていなかったり、考えられる要素や条件の、場合の数が多すぎて、コンピューターでは処理できなかったりして、人間の勘が有効になる。
今回の将棋のように条件が決まっている場合は、(条件は将棋のルールに従って、勝つことだけであれば、)奇策といえども、決められたルールの範囲内なので、ひたすら将棋の打つ手を多く・早く計算して、最も有利になる手を選択して打つことが、勝利に繋がることは自明である。
それにしても6台の複数のコンピュータを使った「ボンクラーズ」は、「ぼんくら」どころか、非常に賢いことが分った。
そのうちに、人間の勘に相当する物を持つ天才コンピューターが現れるのも、時間の問題だろう。
このように書くと、人間がコンピューター以下とか、コンピューターに使われるとか、心配される方も多いが、プログラミングし、(プログラミングも多分かなりのところまで自動化できる)前提条件を入力するのは、人間しかいない。
前提条件や、どういう動作をさせるかといった命令は、人間の意志=目的や価値観でのみ決定されるのだ。
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米永永世棋聖に勝ったのは、次のソフトである。
「大手電機メーカーの研究所に務める伊藤英紀さんが開発した「ボンクラーズ」という将棋ソフトです。「ボンクラーズ」は、去年開かれた将棋ソフトの世界大会で優勝した現在最強と言われるソフトで、6台のコンピューターを使って1秒間に1800万手まで読むことができます。」(NHK NEWSwebより抜粋)
この話で面白いのは、「コンピューターに敗れた米長邦雄永世棋聖は、今回の戦った将棋ソフトの「ボンクラーズ」と、あらかじめ自宅で対局して研究を重ね、ふだんプロの棋士が指さないような手をわざと指して、コンピューターを惑わせる作戦で挑んだということです。」(NHK NEWSwebより抜粋)
この話を読むと、確かにコンピューターに、米長邦雄永世棋聖は、負けたが、その敗因として考えられるのは、「ボンクラーズ」は、1秒間に1800万手まで読むことができるが、それに対して米長邦雄永世棋聖の作戦、即ち「ふだんプロの棋士が指さないような手をわざと指して、コンピューターを惑わせる作戦で挑んだ」ことが、感情のないコンピューターには通用せず、粛々と1秒間に1800万手まで読むことができるコンピュータの能力を発揮して、奇策の手を順次咎めて勝ったのだろう。
奇策は感情を持つも人間では、奇策を打たれると、打つ手を考える前に、それ以外のことを考える癖がある。
例えば、奇策(常識と違う手)を打ってきた場合、その本心に何があるのかを考え、(例えば前提条件を全く変えるとか、違うルートから攻めるとか、)勝算があると相手が考えている何かについて、前提条件とかさまざまな事を類推しようとする。
奇策を打つ場合は、必ず常識はずれになるが、その場合の常識はずれは、今までのルールになかったことをする場合、即ち想定外のことをする場合が多い。
ところが、戦争とか、ビジネスでは、奇策を打たれると、元々想定外の条件がコンピューターにインプットされていなかったり、考えられる要素や条件の、場合の数が多すぎて、コンピューターでは処理できなかったりして、人間の勘が有効になる。
今回の将棋のように条件が決まっている場合は、(条件は将棋のルールに従って、勝つことだけであれば、)奇策といえども、決められたルールの範囲内なので、ひたすら将棋の打つ手を多く・早く計算して、最も有利になる手を選択して打つことが、勝利に繋がることは自明である。
それにしても6台の複数のコンピュータを使った「ボンクラーズ」は、「ぼんくら」どころか、非常に賢いことが分った。
そのうちに、人間の勘に相当する物を持つ天才コンピューターが現れるのも、時間の問題だろう。
このように書くと、人間がコンピューター以下とか、コンピューターに使われるとか、心配される方も多いが、プログラミングし、(プログラミングも多分かなりのところまで自動化できる)前提条件を入力するのは、人間しかいない。
前提条件や、どういう動作をさせるかといった命令は、人間の意志=目的や価値観でのみ決定されるのだ。
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