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知らなかったバルチック艦隊の秘密

2011年12月21日 17時35分50秒 | 考古学・古代史・歴史・文化人類学
先ほどNHKの再放送番組で、ろーかる直送便 しこく8「バルチック艦隊の真実~日本海海戦への知られざる航海」を観た。
この番組は再放送だが、先頭についている「ローカル直送便 しこく8」が気になったが、四国のローカル番組かもしれない。

番組の内容は、ロシアの司令長官側から見た、日本海海戦までの経緯だ。
バルチック艦隊は、ソビエト政府に非難され、負けた艦隊として歴史の片隅に押しやられた存在だったという。
ここ数年、ロシアのバルチック艦隊の遺族が集まってバルチック艦隊を追悼する集いが開かれ、そこで遺族同士の情報交換がされているという。
そこでバルチック艦隊を見直そうという動きが出ているのだろう。

バルチック艦隊が、バルト海艦隊から分かれて第二太平洋艦隊として、旅順の太平洋艦隊を支援する艦隊として編成されたことや、艦隊が急ごしらえで、兵員が徴兵されて間もない人も多く、訓練も余りされていなかったことなど、司令長官ロジェストベンスキーの手紙やその他の資料から、知られていなかった事実が語られていた。

当時日本の情報収集や宣伝工作活動は世界的に展開されていて、日本では海外駐在商社マンも動員しバルチック艦隊の動向を探り艦隊の詳細な情報を当局に上げていた。
そのため日本では、末端の関係者まで各艦の特徴を記した書類が配布されていた。

宣伝工作も行われ、待ち伏せ攻撃の噂も広め、その結果バルチック艦隊が、北海からアフリカに向う途中に北海でイギリスの漁船團を日本の軍艦と見誤って撃沈し、イギリスとの関係も悪化したという。

バルチック艦隊は、アフリカでは、喫水の深い軍艦が航行するのに欠かせない正確な海図情報が必要なのに、不正確な海図しかなく悩まされたという。
その上、大量の石炭が必要だが、赤道直下の炎熱と厳しい大量の石炭の補給作業と病気に多くの将兵が苦しめられという。

その後、第三太平洋艦隊も編成され、合流を命ぜられたが、第三艦隊は旧式船が多いため足手まといになると、ロジェストベンスキーは反対したという。

マダガスカルでは訓令待ちで2ヶ月停泊し、ベトナムではフランス領のためロシアの軍艦寄港が中立でないという国際世論に推され、港から出航せざるを得なくなり、石炭確保の為周辺の港を移動したという。
そんなわけでバルチック艦隊の司令官は、最初から苦戦を予想していて、何とかウラジオストックに逃げ込んで態勢を立て直せば良いと考えていたが、ロシア皇帝は日本海の制海権確保を考えていたという。


このようなロシア側からの目で日本海海戦を見ると、非常に興味深いし、バルチック艦隊には、最初から敗因が潜んでいたことがよくわかる。
当時は、日本の情報戦もすばらしいものがあったようだ。
しかし、日本人が日本海海戦で、ロシア最強の艦隊を撃破したという話は、上記の事実を知れば、多少見方が変わるかもしれない。



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