線路端日誌

東海地方の鉄道を中心に、細かいネタからこつこつと。

三井化学専用鉄道へ

2008年03月14日 13時25分18秒 | 中小民鉄
旅行の最終日、大牟田へと朝から出かけ、かつての三池鉄道、現在の三井化学専用線を訪問しました。


仮屋川行きの列車が旭町踏切を行く(8:25)

大牟田駅を出てから、まず旭町踏切へ。事前に新聞記事で調べてあった通過時刻をもとにしばらく待つと、機関車らしくない電車の様な警笛とともに貨物列車がやってきました。

かつて大牟田には、三井三池鉄道という三池炭鉱で採掘された石炭の運搬を主目的に施設された鉄道がありました。貨物輸送だけではなく、一部区間では電気機関車がモハ63形の電装解除車を牽いて社員輸送列車の営業を行っていたことでも知られた鉄道でした。平成に入っても石炭貨物輸送は続けられていましたが、1997年に三池鉱業所が閉山、ほとんどの路線と多くの機関車はそれと運命をともにしました。

しかし幸いというか、宮浦停車場からJRの仮屋川操車場を結ぶ支線・旭町線が、わずかな距離ながらも三井化学専用鉄道として生き残りました。JRと三井化学の工場との連絡専用線として、宮浦ー仮屋川間を一日一往復、機関車回送も含めると二往復しているそうです。今回訪問したところ、朝8時台に宮浦から仮屋川までの貨物列車と折り返しの単機回送、9時台に宮浦から仮屋川までの単機回送と仮屋川から宮浦への貨物列車の姿を見ることができました。


宮浦へ一旦回送される(8:33)

旭町踏切で撮影したあと、仮屋川操車場へと歩いている途中で単機回送とすれ違いました。これだったら踏切でそのまま待っていればよかったかなと少し後悔…


仮屋川操車場

操車場の写真を撮った後、工場最寄の宮浦へと向かいました。その途中、三池港へと向かっていた(?)路線跡との分岐点付近で単機回送を撮影。


再び仮屋川へと向かう単機回送(9:17)

踏切で単機回送を見届けてから、宮浦停車場へ。構内には廃車体やらなにやら放置されていました。


放置なのか保存なのか


保線車両?


仮屋川からの列車。9:32

写真を撮っているうちに、今度は仮屋川でJRから引き継いだ貨物列車がやってきました。列車長は長く、編成全部を入れることはできず。



宮浦に到着し、編成を分割する作業の後、この18号機はパンタを下ろしてしまいました。ちょうどこの写真の側に製造年月日の表記があり、「TOSHIBA S12-2」と書かれていました。今年で製造されてから71年目になる機関車が、短い距離とはいえ現役で活躍しているのは貴重なことに違いありません。


9号機

18号機が入換を終るか終らないかの時に、この9号機がするすると側線から出てきました。工場と宮浦停車場の間で使用されているという小型の電気機関車で、化学薬品を扱う工場であるための防爆の必要性から、蓄電池車を従えています。車体表記には大正6年製とあり、18号機より更に古い機関車が現役で活躍していることになります。


蓄電池車デー1

これから工場内へタンク車を引き込む作業に入るのかな、と思ってしばらく待ちましたが、その後1時間ほど待っても動く気配はありませんでした。残念ながら滞在予定時間がきてしまい、退散しました。次に来ることがあるのかどうか分かりませんが、そのときには見てみたいものです。

ずいぶんずるずると書いてしまいましたが、九州の記録はこれでお終いにします。次からはネタの多い地元へと戻ります。

南宮崎駅で717系900番台を見る

2008年03月11日 17時38分25秒 | 鉄道
鹿児島中央からは日豊本線を北上したのですが、その道中、宮崎空港線に立ち寄ったところ、やってきた車両が717系900番台でした。


クモハ716-901側。南宮崎にて

717系は、そのほとんどが国鉄末期に475系等交直流急行車の機器を流用し、車体は新造して製造されたものですが、車体も流用して中央部に両開きドアを設けたという珍車が現在でもJR九州で使用されています。それがこの717系900番台です。


クモハ717-901側

種車はクモハ457-モハ456の電動車ユニットで、モハ456形に運転台が廃車流用品でつけられてクモハ717-901+クモハ716-901となりました。


車内

半端な座席配置にはなっていますが、ボックスシートは種車のものがそのまま使われているようで、窓側にも手すりがついていました。JR九州の457・475系は既に定期運用から撤退していますが、この717系900番台に当たれば、かつての雰囲気を味わうことができるかもしれません。

鹿児島市電を撮る

2008年03月11日 17時04分40秒 | 中小民鉄
ずいぶん長引いていますが、九州での成果を続けます。
鹿児島へとたどり着き、他事もしつつ、だいたい1日半がかりで鹿児島市電の撮影をしていました。鹿児島市電は、新型車両の導入が積極的に進められているところであり、訪問時の日中は、「軽快電車」スタイルと超低床車スタイルがほとんどでした。

鹿児島中央駅前から、まず郡元行きの2系統に乗車、終点まで行きました。


郡元にて

2枚ほど撮った後、2系統鹿児島中央駅前経由の鹿児島駅前行きに乗車。いづろ通まで移動。




いづろ通にて

いづろ通の交差点は撮りやすいのではないかと思って行ってみたのですが、この写真のとき以外では信号と電車のタイミングが悪く、何度も車に被られてしまいました。そのため、いづろ通はあきらめて鹿児島駅前付近へ戻り、撮影。


一両ごとに広告は異なっていた

鹿児島中央駅前にて

まだまだ不十分でしたが、ここでひとまず鹿児島市電の撮影は切り上げました。往復で指宿枕崎線を完乗してから、今度は谷山駅から1系統鹿児島駅前行きに乗車。車両はハートラムⅠ。運転席の大きいこと…

涙橋までの専用軌道区間は勾配のある区間で、その中を行く姿が好ましく感じられたので、宇宿一丁目で下車して撮ってみました。


宇宿一丁目にて

2本ほど撮影してから1系統に再び乗り、車庫で撮るのは光線がよくないので止めにして高見馬場で下車。ここの交差点は車に被られにくい状態で撮影することができました。鹿児島市電色の車両などを撮影。


9516号


これから増える7000形の7002号


1017号


508号。500形の姿は少なかった

この後、鹿児島駅前まで乗り、鹿児島市電は完乗となりました。鹿児島駅前~鹿児島中央駅前間では芝生軌道が導入されていましたが、少し緑が弱々しく見えました。場所によっては結構お客さんに踏んづけられてもいるようなので、町の美観には効果が大きいものの、芝生の整備はなかなか大変そうです。


夜になってから、食事のついでに天文館前辺りで撮影をしてみました。


アーケード街より

家路に着く人たちとともに列に並び、この日の撮影は終わりにしました。

翌朝、飽き足らずに撮影。平日の朝だったからか、600形の姿が多く見られました。


都通にて


鹿児島中央駅前付近にて


504号。パンタの向きが…

日本国内では先進的な取り組みが続けられる鹿児島市電。次に訪れるのはいつになるか分かりませんが、さらに超低床車が増えるのでしょうね。

くろがね線(八幡製鐵鉱滓鐵道)を見る

2008年03月08日 17時58分41秒 | 中小民鉄
黒崎まで筑豊電鉄で出てきてから、JRに乗り換えてスペースワールドへと向かいました。新日鐵の工場間を結ぶ専用線:くろがね線(八幡製鐵鉱滓鐵道)を観察するためです。

鹿児島本線八幡~スペースワールドの北西側には、新日鉄八幡製鉄所の敷地が広がっているのが地図を見ると確認できます。この工場と、九州工大駅の北側にある工場との間を結び、資材・製品等を輸送しているのが新日鐵残滓専用鉄道、通称くろがね線です。昨年、RM編集長のブログで取りあげられ、JRなどとは接続していない専用線であるため独特の機関車や貨車が使用されていること、現在でもそこそこの頻度で運行されていることを知って興味を持ち、今回、行ってみることにしました。

スペースワールド駅を出て、工場沿いの道路を北東へ進みます。やがて箱型ディーゼルの姿が見え、更に道を進むと機関庫が見えてきました。ちょうどいいところに電気機関車や貨車の姿があったものの、一眼レフでの撮影は金網に阻まれたため、コンパクトデジカメで撮影しました。


入換用機関車?D.619


貨車テヤ5508


E8502

次に、JRの高架下をくぐりスペースワールドの駐車場へと行ってみると、貨車が何両か停まっていました。


ユタ2461


形式不祥

いずれもレールみたいなものを積んでいましたが、これ以外の種類の貨車はここでは見られませんでした。列車はいつ来るか分からないので、とりあえず順光になるところへ行こうと考え、くろがね線の鉄橋を眺めたりしながら鹿児島本線沿いに枝光まで歩き、そこから九州工大前まで列車で移動。駅を出てから鹿児島本線とくろがね線のクロスするところまで歩くと、ちょうど貨物列車が通り過ぎていくところでした。折り返しの列車を撮るため、ちょうど良い感じに撮れそうな歩道橋へ上ってしばらく待つと、ゆっくりとした速度でゴロゴロと列車がやってきました。







後補機としてつくD705。


八幡方面へ向かう貨物列車。16:16ごろ

くろがね線の貨物列車は、本務機は電気機関車、後補機はディーゼル機関車が務めるという、日本ではここ以外にあまり見られない形態をとっています。どちらの機関車も防音のためか下部までスカートに覆われた特徴的な姿をしており、ジョイント音と貨車のきしむ音ぐらいの、貨物列車としては静かな走行音を立ててゆっくりと走っていく様は、積んでいる荷物の正体がよく分からないこともあり、少し不気味に感じました。半端な構図になってしまいましたが、とりあえず撮れたので満足です。

あまり書籍でも取りあげられてこなかったくろがね線。こういう分からないことだらけのところを尋ねてみるのも面白いものでした。

筑豊電鉄を撮る

2008年03月08日 17時44分45秒 | 中小民鉄
2月下旬~3月上旬にかけ、九州各地へと出かけてきました。その成果の中からいくつか書いていこうと思います。

全線専用軌道ながらも路面電車規格の車両を用い、黒崎駅前~筑豊直方を結ぶ筑豊電鉄。「レインボー電車」なる構想のもと、現在の塗装から変更されていく運命にある2000形目当てで訪問しました。

JR筑豊本線の直方駅で降り、まずは遠賀川鉄橋を望める河川敷へと向かいました。15分ほどで到着、天気があまりよくないことから、車両アップの構図で撮ることに。






いずれも筑豊直方ー感田にて

この日は平日で、2000形は昼間3本が運用についていました。そのうち2本が黄色に赤帯の塗装で、1時間ほど河川敷にいる間に撮ることができました。残り1本は紫に変更された編成で、遠景での撮影を試みたものの失敗してしまったため、ここでは省略します。

河川敷から高架駅の筑豊直方へと歩き、しばらく待つと3000形がやってきました。2面2線の設備を備えた駅ですが、昼間は1本のみが使用されているようです。


筑豊直方にて

この列車に乗り、車庫のある楠橋へと向かいました。福岡まで結ぶという計画のもと建設された路線だったためか線形は良く、場所によっては結構なスピードを出すものの、車両のせいなのか、結構揺れるように感じられました。

真昼間でしたが、車内には車掌が乗務していました。しかし妙なことに通常の切符は売っていないとのことで、切符を持っていない客は運賃を降りるとき運賃箱に入れるというワンマン運転と同じ収受方式がとられていました。その運賃箱には両替機がついていないため両替は車掌にしてもらう、という方式になっており、そのために車掌は車内を行ったりきたり。合理性が感じられないこの仕組みに、余所者としては少し戸惑いを感じました。

田んぼの残る住宅地を走り、楠橋に到着。運賃を箱に入れて列車を降り、車庫のある方角へと歩いていくと2000形、3000形の停まっているのが見えてきました。その様子を撮り、次いで走行写真をぼちぼちと撮影しました。この辺りは田んぼの中にゆるやかなS字カーブという線形で、通常の鉄道車両の方が似合いそうな景色でした。


運良くパンタをあげていた


行先表示幕の大きさが違う…


筑豊香月ー楠橋にて


筑豊香月ー楠橋にて

この後、楠橋駅から黒崎駅前行きに乗り、筑豊電鉄は乗破となりました。アップダウンの多かったのが印象的で、次に訪れることがあったら降りて撮ってみたいなと感じました。


黒崎駅前にて

現在、筑豊電鉄は昼間10分間隔での運行を行っていますが、来る3月15日に減便を伴うダイヤ改定を行うそうです。利用者減少のためということで、その旨利用者に理解を求める張り紙が、電車や駅構内にたびたび見られました。列車本数が減れば2000形の運用が優先して減らされるのは容易に予想され、今が訪問に良い時だったのかもしれません。


ダイヤ改定の貼り紙

489系「北越」走る

2008年03月01日 00時25分18秒 | JR(北陸)
雪のせいなのか車両故障なのか、去る2月26日、489系H04編成7両を使用して「北越」が運行されました。金沢発の「北越3号」に充当され、その返しは「北越10号」に続行する形で金沢へと回送されました。この回送列車を撮影することができたので、ご紹介したいと思います。


回送列車として到着したクハ489‐502以下7連


ヘッドマークも装着された

用事があって金沢へ戻っていた時でしたので、幸運でした。「はくたか」の代走ならちょこちょこ行われているようですが、「北越」は次いつに見られるのやら。

最近、ブログの更新がこれまで以上に鈍ってしまい、申し訳ありません。
当方、金沢から岐阜へと引っ越し、ネット環境のない状態になっておりまして、なかなか更新できない状況にあります。ネットカフェなどから、できるだけ更新をしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。