名鉄名古屋本線加納ー名鉄岐阜間に、約40年前までは広江という駅があったそうです。
現在でも、駅ホームの跡が現地に残っています。
旧広江駅下り線ホーム遺構
広江駅は、笠松までを開通させた美濃電気軌道笠松線の起点として1914年6月に設置されました。
しかし同年12月には新岐阜(現:名鉄岐阜)まで路線が延長されたため、起点としての
歴史は短いものだったようです。
中途半端にホームを残したものです。
その後、一時期は特急も止まる駅だったそうです。
しかしホームの長さが2両分しかなく、加納駅からさほど離れていないところにある
駅だったこともあり、1968年1月、廃止に追い込まれました。
上り線(豊橋方面行き)にあった、こちらもホームの跡らしきもの。
千鳥配置のホームだったのでしょうか。
現在では広江駅が営業されていた頃走っていた車両は、営業車両では7000系だけに
なってしまいました。
谷汲線で6年前まで走っていたモ750形も、かつて発着したであろう旧広江駅。
現在はひっそりとホーム跡が佇むのみです。
地図はこちらへ。
参考:ウィキペディア『加納駅(岐阜県)』
現在でも、駅ホームの跡が現地に残っています。
旧広江駅下り線ホーム遺構
広江駅は、笠松までを開通させた美濃電気軌道笠松線の起点として1914年6月に設置されました。
しかし同年12月には新岐阜(現:名鉄岐阜)まで路線が延長されたため、起点としての
歴史は短いものだったようです。
中途半端にホームを残したものです。
その後、一時期は特急も止まる駅だったそうです。
しかしホームの長さが2両分しかなく、加納駅からさほど離れていないところにある
駅だったこともあり、1968年1月、廃止に追い込まれました。
上り線(豊橋方面行き)にあった、こちらもホームの跡らしきもの。
千鳥配置のホームだったのでしょうか。
現在では広江駅が営業されていた頃走っていた車両は、営業車両では7000系だけに
なってしまいました。
谷汲線で6年前まで走っていたモ750形も、かつて発着したであろう旧広江駅。
現在はひっそりとホーム跡が佇むのみです。
地図はこちらへ。
参考:ウィキペディア『加納駅(岐阜県)』
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