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線路端日誌

東海地方の鉄道を中心に、細かいネタからこつこつと。

函館市電を撮る

2007年08月18日 23時15分29秒 | 中小民鉄
北海道の路面電車のひとつ、函館市電。お手軽に、函館駅前から湯の川方に一つ目の電停・松風町付近で撮影しました。


松風町にて

ここにいた一時間弱の間で一番多くやってきたのが、710形でした。1959年~1961年にかけて製造された車両で、調べてみると間接自動制御を採用しているそうです。

何枚も撮れたので並べてみます。


 
 

710形は、711号の一両だけ車体更新がされました。工事を施工したのは国鉄五稜郭工場というのが不思議です。函館には他にも車体更新車は存在するのですが、それらとは異なる見事に切妻な前面形状は異彩を放っているように思えます。

711号。この姿も22年経過した


810号と720号

800形は、710形についで1962年から製造されました。制御方式が間接日自動制御となったことと、引き戸の形状が変更点です。8000形への車体更新が進み、全12両のうち半分以上が姿を消しています。撮れたのはラッキーでした。


8003号(もと804号)

車体更新車・8000形は、1990年以降に800形を車体更新して登場しました。ステップが三段となったのは、時代の変化でしょう。中扉付近を低床化した8100形も5年前に登場していますが、撮影は出来ませんでした。


純然たる新車・3000形

3000形は、1993年から1996年にかけて製造された純然たる新車です。VVVFインバータ制御、冷房搭載で、「マリンブルー号」の愛称が付けられているそうですが、写真の3004号は愛称に似合わずなんだかゴテゴテしています。


1006号

1000形は、元都電7000系を37年前に購入したものです。10両がやってきましたが使い勝手が悪いとかで、現在残るのはもう1両とか。早くに消えていきそうな車両のようで、これも撮れたのは幸運でした。


新鋭9600形「らっくる」号

9600形は、今年登場したばかりの前面低床車です。国産だそうで、2車体連接でもポートラムやアイトラムとは車体の雰囲気が異なります。
愛称ですが、「楽に乗り降り、迎えに来る」との語呂合わせと、形がらくだを連想するとかで「らっくる」号と付いたそうです。調べるまでは、いったいどういう意味なのか、少し頭を悩ませました。

概要・運用などはこちらを参考にしました
函館市電が誇る9601号

「らっくる」を撮影した後、ひととおり路線に乗り、谷地頭付近で撮影したりしていると、日が暮れました。谷地頭電停の近くには市営の温泉があり、旅の疲れを癒すことが出来ました。

弘南鉄道大鰐線を訪ねる その2

2007年08月17日 12時16分18秒 | 中小民鉄
津軽大沢駅の訪問記です。


大鰐線弘前口の車両たち

現在大鰐線は寸断されているわけですが、大鰐温泉口の方に7000系2本、こちら弘前口の方は7000系2本、6000系2本で輸送を行っているようです。10月末まではこの状況が続くと思われます。


「いでゆ」マークの7040-7039(手前)

津軽大沢駅では、車庫の中で写真を撮らせていただけました。

6005F


6007F

元東急6000系は、もともと少数派だったのが弘南鉄道に譲渡され、今に至っています。駆動方式が特徴的で、独特な走行音を上げて走ると聞きますが、残念ながらこの日の運用はなし。予備車ですが、東急の愛好家団体が磨き上げたとか、車体はぴかぴかに光っていました。


このタイプのラッセル車が残っているとは…


まだ車籍はあるのだろうか


義塾高校から引き返してきた7039F

ひととおり撮影し終わったところで中央弘前行きに乗り込み、引き上げました。
車庫内というのは面白いもので、入らせてくれた駅員の方には感謝、感謝です。

弘南鉄道大鰐線を訪ねる

2007年08月17日 11時56分05秒 | 中小民鉄
弘南鉄道大鰐線を訪れました。元東急車が活躍する、津軽の国の電気鉄道です。


JRから古い跨線橋をわたると、弘南鉄道の大鰐温泉駅

義塾高校前ー石川間にある、JR奥羽本線をまたぐ高架橋の補修工事のため、一部区間で運休・バス代行が行われていました。全線開通の暁には、また来たいものです。


臨時ダイヤ時刻表


やってきたのは青帯の7000系


各車両にはそれぞれ違うヘッドマークが。

北陸鉄道の7000系と異なり、こちらの元東急車は台車などが元のままです。空気ばね台車の乗り心地はいかに、と思ったのですが、線路の状態が悪いのか、プルプルと激しく揺れました。車内はあまりよい状態ではなく、シートにはつぎはぎがいくつもありました。

果樹園の中を走っているうちに、石川駅に着きました。


ここで、代行バスへの乗り換えでした。


代行バス


石川駅にて

代行バスは津軽大沢行きで、義塾高校までは行きません。大鰐温泉方面から義塾高校まで行く人は、相当少ないのでしょうか。

津軽大沢駅へ着くと、こんな看板が出迎えてくれました。


それはそうなのだけれど・・・

津軽大沢駅の車庫訪問は、次の記事で。

旅行でいろいろと立ち寄ることができ、収穫もありました。しばらく、ボチボチそれを書いていこうと思います。

写真は、A540、E-510併用。

近江鉄道ミュージアム(2)

2007年07月01日 23時55分02秒 | 中小民鉄
近江鉄道ミュージアム、車両編です…といっても、荒天のため概観を撮るのが精一杯でした…


左から、ロコ1101、ED14 3、ED31 4。

解説板を元に、少し各形式のまとめを…

・「ロコ1101」
 昭和5年(1930年)製の凸型機。阪和電気鉄道→南海→国鉄と使用された後、昭和26年に近江鉄道へ払い下げられ、昭和61年まで入換機として使用されました。

・「ED14」
 大正15年、米GE社製の60t箱型電気機関車。国鉄では東海道線→中央線、飯田線、仙山線で貨物列車牽引に従事し、昭和37年から昭和40年にかけ近江鉄道に払い下げられました。私鉄の現有電気機関車としてはかなり強力な機関車なのだそうで、昭和60年代まで石灰石、石油輸送列車に力を発揮していたそうです。4両のED14のうち、2両は現在でも除雪用として使用されているとのこと。ED14 3は休車の一両です。

・「ED31」
 大正12年製の40t電気機関車。(伊那電気鉄道→)飯田線で活躍し、昭和30~35年の間に5両が入線、使用開始され、貨物列車牽引用としては昭和61年まで活躍しました。現在でも2両が残り、工事列車用として使用されています。


振り返るとこんな感じ

LEーCarも展示されていました。手前の茶色の機関車はED14 4です。


最後の吊り掛け営業車・500形も展示されていました

500形は車内が開放されていました。今回は入りませんでしたが。。。

それにしても、天気が悪いのが本当に残念でした。傘を差していても雨が吹き込んでくるような状況で、とても満足な撮影は出来ませんでした。

いずれリベンジを、と心に誓って彦根を離れました。

近江鉄道ミュージアム(1)

2007年06月30日 11時25分46秒 | 中小民鉄
彦根駅に降り立つと、車庫に留置されている貨車も「近江鉄道ミュージアム」をPRしていました。



ミュージアムの入り口は、改札口を出て東西連絡通路を通った東口。通路にもフラッグ(?)が掲げられていました。



受付窓口で硬券風の入場券を買い、入場します。荒天のためか、人がほとんどいませんでした。



まずは資料館の方を見学しました。室内撮影もOKとのことでした。念のため。


かつて近江鉄道で使われていた品々 解説も付いている


パンタグラフの本物も鎮座。

 

鉄道部品以外に、乗車券や写真パネルなどが、壁を埋め尽くすぐらいに展示されていました。2枚目の写真は、記念乗車券の中から見つけた一枚です。かつては近江鉄道も「近鉄」という略称が使われていたことの証です。読み方は「おうてつ」だったらしいのですが…

ひととおり展示館を見ましたが、じっくり見ると結構時間がかかるだろうな、と思えるほど資料の点数が多かったです。街の観光キャンペーンとの連動企画とはいえ、近江鉄道恐るべし。

展示車両については次の記事で書こうと思います。

近江鉄道のサイトによる説明はこちら。
『近江鉄道ミュージアム(近江鉄道)』

近江鉄道(新)米原駅

2007年06月29日 21時36分11秒 | 中小民鉄
先週日曜日、近江鉄道に米原から彦根まで乗車しました。米原~フジテック間が新線に切り替えられてから初めての乗車でした。


営業を終えた、近江鉄道(旧)米原駅

(旧)米原駅は、JR米原駅の改札口から、ロータリーを挟んで少し離れたところにありました。駅舎やホームなど、随所に古さが感じられる駅でした。

JR米原駅の構造が変わってからこの状況が続いていましたが、現在進められている米原駅の橋上駅舎化に絡んでか、JRの近くに駅が移設されることとなり、2年ほど前から工事が進められてきました。6月上旬に1週間、フジテック前~米原間を運休・バス代行として線路の切替工事が行なわれ、6月15日、(新)米原駅の開業となりました。


(新)米原駅。

ずいぶん駅舎などが簡素な感じがします。


奥が旧駅、手前が新駅のホーム

旧駅と同じく、新駅も島式1面2線の構内配線となっています。


(新)米原駅に停車する“ライオンズカラー”801F

新線は従来よりも西側にあり、JR総研の展示車両がJR線よりも間近に見ることができる辺りを走っています。総研に並ぶ東西の高速試験車両を、ガチャコンと走るローカル線の車内から眺めることが出来るわけです。

JRの駅に近づけるためだったら、フジテック前~米原間のほとんどの区間で線路を移設するという大掛かりなことをせずとも、米原駅の手前で曲げればいいじゃないかとも思うのですが、現在更地になっている駅近辺の土地の活用方法が別にあるために、このようなことになったのでしょうか。

この後、私は801Fで彦根へと向かいました。

以下のサイトを参考にさせていただきました。
「近江鉄道のページ」さん