老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

ローマ教皇の来日に思う

2019年12月09日 20時51分13秒 | その他
 11月末に4日間に亘って来日されていたフランシスコ・ローマ教皇は訪問先の各所で強い印象を与えられました。

◆教皇は2013年の就任以来「広島と長崎から人類は学んでいない」と発言するなど、一貫して核兵器廃絶の必要性を呼び掛けてこられましたが、11月24日に被爆地の長崎、広島両市を訪問されました。

 長崎では「核兵器や大量破壊兵器を所有することは、平和と安定の望みへの最良の答えではない」と世界に向けて核兵器廃絶を求めるメッセージを発信し、広島でも「原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています。戦争のために原子力を使用することは犯罪だ」と訴えられました。

◆また原発についても、東日本大震災被災者や福島原発事故避難者を前にした25日の演説で「日本の司教は原発の廃止を求めた」と述べるにとどまり、自らの言葉で原発に対する明確な姿勢は示されなかったようですが、共同通信によれば東京からローマに戻る特別機の中での記者会見では、個人的な意見としながらも更に踏み込んで下記のような発言をされた由です。
 「原発はひとたび事故となれば重大な被害を引き起こす。完全に安全が保証されるまでは利用すべきではない」


 私はクリスチャンではなく、キリスト教のことを殆ど知りませんが、仏教などと同じく宗教の基盤として、「倫理」というか「人の道」というものを大事にしているのは間違いないでしょう。

 ということを考えると、上記の核兵器に関する「倫理に反する」という発言や、、「(原発は)完全に安全が保証されるまでは利用すべきではない」という発言は至極当然なことで、キリスト教や仏教など宗教の種類を問わずに、人々の幸福を願う宗教家としての普遍的なメッセージだと思います。


 このような人間としての理念を語る教皇と我が国の首相が11月25日に会談されたようですが、世界で唯一の核兵器の惨禍を経験しながらも、愚にもつかない理由を並べて核兵器禁止条約に署名もしない国の責任者として、どのような顔で面談されたのでしょうか?
国民としても恥ずかしい限りで、国民の考え方と政府の考え方が乖離していることを明確にする必要があるかと考えます


最後に、教皇が日本の各地で残された言葉の中で、私の心に残る言葉を記しておきます。

・11月25日に行われた東日本大震災被災者との集いで、
 「私たちに最も影響する悪の一つは、無関心の文化です。家族の一人が苦しめば家族全員が共に苦しむという自覚を持てるよう力を合わせることが急務です」(東京新聞)

・11月26日上智大学で学生に対して、
 「どんなに複雑な状況であっても自分たちの行動が公正かつ人間的であり、正直で責任を持つことを心がけ、弱者を擁護するような人になってください。言葉と行動が偽りや欺まんであることが少なくない今の時代において特に必要とされる誠実な人になってください」(NHKニュース)
(まさ)